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2024年のお正月
暖かい部屋にいても、時間がたっぷりあっても、身の置き場も心の置き場もない。正月にしようと思っていたあれやこれやはあるものの、「今この瞬間」に困難の只中にいる人の姿が心に浮かび、取り掛かれずにいます。
私がいま沈んでも、誰の役にも立たない。それはそう・・・悲しさを換金できるわけでも、誰かの実益になるわけでもありません。だから、一切を頭から締め出して楽しいことをしよう、という人がいるのは分かります。ただ、自分がそれをやったら、自分のことを大嫌いになってしまう。いまは、悲しみの中に一緒に身を置きたいのだと私は思いました。
そいういうわけで時間と身と心を持て余す私は、1月3日は、家から行けるところまで歩くことに。
撮ってきた写真を並べます。
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荒川をずっとずっと下っていくと、葛西臨海公園やディズニーランドに辿り着くらしい。行けるところまで行ってみようかと思い歩みを進めるも、殺風景な景色が余りにもつまらなくて、断念。
予定変更をし、かねてから行こうと考えていた場所を目指すことにしました。
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ここは、昔々、牧師として開拓伝道をしていた曽祖父が復興に携わったプロテスタント教会。曽祖父は私が生まれる前に他界しているので、直接会ったことはないのですが。
なんと、、、お恥ずかしながら、今日が初訪問です。戦前戦後、世間の逆風をいくような職業人生だったはず。どのような志で、ここで牧会をしていたのだろうか。建物は当時のままではないものの、図々しくドアノブを回してみました。しかし鍵は閉まっていて、中には入れませんでした。
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道中、レトロ喫茶を発見しました。
お野菜を切る音。卵をかいてフライパンに流す音。丁寧に洗い物をする音。軽快な音楽とともに。とろとろのオムライス・・・
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こちらも足を伸ばしてみました。ここの信徒でなくても、常時一般開放をしているとの話を聞いていたので、ずっと行きたいなと思っていた聖堂です。
長崎の教会のような・・・
静謐な空間でした。
祭壇の奥の暗がりのなかに、浮かび上がる十字架。
「地の塩、世の光」「闇に光を・・・」
闇の中でこそ光は真価を発揮します。
そのような存在に1歩でも2歩でも近づいて行けるように、今年1年、私の内的成長を促し導いてください。そして、今この瞬間に助けを必要としているすべての人たちへ、天の采配と、配慮と、支援が存分に注がれますように・・・。
一般開放されているものの、来訪者は私一人だけだったので、贅沢に独り占めしてお祈りをしてきました。
置き場がなくて持て余していた私の心も、祈る時間を通して鎮まったような気がします。
カトリック聖堂なので・・・右膝をついて礼をして、後にしました。絶対にまた来ようと思います。