3日目の9月25日は、午前中は自転車を借りることにしました。午後はまた阿蘇山へ行きました。(再び!)
市内散策
旧女学院跡
阿蘇山ふたたび
草千里
心がホクホクしながらホテルへ帰りました。
たくさん遊んで家に帰る、風の又三郎の同級生みたいな心持ちで。明日は何があるかな?明日は何が見れるかな?
大人になると、明日の予定なんて大体決まっていて、行くところも見える景色も大体決まっていて。明日ってそんなに未知なものではなくなってゆく。そういう心持ちに慣れてしまってゆく。
なにも決まっていない明日を迎えるって、ほんとうに豊かなこと。サンセットも虹も、真綿のような細かい優しい火山のパワーも、何一つ思い描かずに、何一つ「これが欲しい、これが見たい、これが体験したい」と決めつけずに、必要な荷物は持ってきたけれど、心は手ぶらの状態でやってきました。阿蘇に行くと決めたのが出発の2週間前だったので、綿密な下調べをする余裕もありませんでしたが。もっとも綿密な下調べがこの世でもっとも苦手なのですが…
「その日にその場所で与えられるものを、神様からのプレゼントを開けるような気持ちで。」そんな新鮮な目で日常の日々も見れるだろうか…。自分の仕事、日常のあれこれ。雑音と情報量が大きすぎる都会でどんどん自分が埋もれてゆき、人々の疲労の波に接するたびにエネルギーを消費し、「まだ見知らぬ何かや誰か」が与えられるのを待ち望む、からっぽの心を持てなくなっていたように思います。全き独りになり、見知らぬ土地に立って、見知らぬ空気に触れて、自分の五感そのものになり切ることは、わたしにとってとても必要なセラピーでした。
火山のエネルギーは地球の吐息。噴火するから地元の人にとってはきれいごとだけで済まされないのは重々わかっているつもりですが、ほんとうにパワーが溢れています。さすがにオフィス生活を送っていた人間がいきなり1日中歩き回ったり坂を登り続けたり自転車に乗るということをして、3日目にもなるとかなり脚が棒になってきているのですが、火口へ向かう道を歩き始めると、とても軽くなり、癒され、疲労など初めから無かったかのようなのです。同じ自分ではないみたいでした。
阿蘇山はわたしに何かをあげているつもりなんて一切ないでしょう。わたしに少し分けてくれても尽きることはないですし、地底からエネルギーがどんどん湧いてくるのですから。
何をいいだすんだ、と思われるかもしれませんが、
ふと、
「阿蘇山みたいな人になりたいな」
と思った、3日目でした。
4日目の最終日の日記も書きます。
つづく