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フレデリック CITRUS CURIO CITY ① 前置き

※ネタバレありで、自由に語っています。
1人1人の感想がかけがえのない宝物。
ご自身の感想が固まって、人の感想を味見してみよっかな~~って思ったときにお読みいただけたら幸いです!
どうかご自身の素敵な感性を大切に、上書きせぬよう、心遣いいただけたら嬉しいです。


だんだんと彼らとの付き合いも長くなってきて、なるべく自分に素直に、正直に書いていきたいなと思ってる今日この頃です。

各楽曲の感想に行く前に、語りタイムしていたら思いのほか長くなってしまって…(いつもか!)なので、1つの記事に分けました。

CCCに関する情報、全体的な印象やジャケットについて書いています。




11月20日、1年9か月ぶりの新譜、CITRUS CURIO CITYが発売された。
やった~~
そんな経つ??

いつだっけ、まだまだ暑かった頃、9月かな。
たまたまお友達といたときに突然リリースのお知らせが来て、一緒にめちゃくちゃ喜んだ。

「音楽で居場所を作ってきたフレデリックが、今度は音楽で街を作ります」

そんな感じで始まったお知らせ。

フレデリックの国に逃げ込んできてくださいとか、TOGENKYOもそうだし、ASOVIVAもそうだし、居場所を作ってきてくれた。

とうとう街になるのか・・・。
自分のこころの居場所がもっと広がっていくことが嬉しかった。
この気持ちはこの曲に、この気持ちはこの曲に・・・そうやって自分の中にある喜怒哀楽を曲の中に保管している。


そして、11月までにジャケットや曲タイトル、トレーラーなど少しずつ少しずつ全貌がわかった。

トレーラーがまたかわいい、、ぴょこぴょこ動く、、

なんだか、今回は今までのリリースと心持ちが違った。
すっごい緊張感があった。
自分に良い意味で刺さるんだろうな、という期待と
自分に悪い意味で刺さるんだろうな、という変な不安
とが入り混じってソワソワしていた。

HappinessがCCCのリリース前、最後の新曲だったこともあって、
一体次はどんな歌詞が出てくるんだろう?と、ちょっと怖かった。

Happinessがわりとシニカルだったからね!
良いも悪いも全部1回自分に矢印向けて聴こうとするとね。
大事な人の言葉ってだけで、すごく刺さるから。

フラゲ日の前日はなんと大阪にてフレデリックとラッキリの対バンのため、お泊り。

配送のお知らせメールが届いていたので、午前中に置き配指定にし、次の日大阪から家に帰ってきたら届いているという完璧な段取りにした。

宅配ボックスの段ボールをゲットし、スーツケースは玄関に置いたまま、そそくさと靴を脱いで着の身着のままで丁寧に梱包をあけると、ずっとずっと楽しみにしていたmini albumが目の前に現れて。

ふあ~~~って感動。
おそるおそる歌詞カードを広げると、そこにはCITRUS CURIO CITYの地図が…!!!
なにこれ最高すぎる、、
ひとつひとつに小さく感動しながら開けた。
地図とか粋だよねぇ。
大好き。妄想できる。


そして、立ったまま歌詞から読み始めた。

涙ほろり。

夕方には大学院の先生との予定が入っていて、正直それほど浸っている場合ではなかったけれど、どうしても聴きたくて、1周だけと決めて。
1人でまたまた涙ほろり、、

いやーーー、、やられた、、って思った。
新曲4曲とも振り切ったなって思った。
これです、これ。
枠にとらわれていない、自由、世界中探してもどこにもない音楽が目の前にある。
普段からいろんな音楽を聴く自分にとって、何にも似つかない、どこにもない音楽がここにある、この事実に喰らった。
だからフレデリックが好きなんだ、って再確認した。


リリースの少し前、友人との会話の中で「1回私たちのこととかぶっ飛ばして、自由にやってみたら良いんじゃないかな~」的な話しになり。

うわ、きた、って思った。
LIGHTが出たときのような、あの感覚にまたなってみたかった。

そして、注目すべきは歌詞。

これほどに感情表現のダイナミクスが大きくなり、愛や葛藤や不安、緊張、どろどろしていて、爽やかで、温かくて、冷めていて、心にグッサグッサ刺さってくるとは思わなかった。

自分が特に涙ほろりしたのは、煌舟の歌詞だった。

サウンドで激刺さりしたのは、sayonara bathroomとひとときのラズベリー。大好き。



CCCに関する情報

まずは、共通言語を作るという意味で、
雑誌やラジオを通して得た情報、健司くんがCCCについて伝えてくれていることを先に書き記し、それに対する自分の考えを書いてみようかな。

オフィシャルインタビュー↓

ナタリー↓

MUSICAも必読↓3回くらい読んだ。

ほかにもたくさん!

健司くんや康司くんの言葉を自分なりに咀嚼、変換しつつ、書いてみます。

CITRUS CURIO CITYのテーマは「刺激と好奇心」

CITRUSは柑橘系の果実のこと。
レモンとかオレンジとかライムとか。
甘さや苦さ、酸味、爽快感、、生きているといろんな経験があるけれど、それらを刺激と捉えて表現した。

CURIO CITYは英語のCURIOSITY(好奇心)から作った造語。

刺激と好奇心を持って取り組んだ作品。

フレデリックと言えば、の安定感がある曲があまりなくてどの曲もどういう景色が見えるのか予測がつかない(健司くんがどこかで言ってた)。

CYANとかHappinessはその方向性ではあると思うけど、王道ではないのかな。
(安定感というのは、BPMがある程度速めで、キャッチ―でのりやすくて、フェスでやったら盛り上がるだろうなって予測が立つ曲と自分は思った)

フレデリックには大衆に受ける楽曲を作ろうと思ったら、どんどん作れるであろう秘伝のレシピがあると思う。
正攻法を知っている。

フェスでそうやってお客さんを増やしてきたフレデリックにとって、
それってお客さんの期待に応える、寄り添っているとも言えるし、ある意味では自分たちが本当にやりたいことを見失ってしまうことでもあると思った。


いつだったかな。
健司くんがどこかで語ってくれていた。
自分たちがやりたいことをやる道を選んだと。

我々が持つバンドに対するイメージや期待は、過去の産物であって。
今この瞬間から過去になっていく。
そこをちゃんと自分も更新していきたいし、置いていかないように伝えてほしいとも思う。

他者の期待に応えるのか、自分がやりたいことをやるのか、これって永遠のテーマで、自分が生きていても感じること。
他者を慮る、尊重するがゆえに、自分を譲る、我慢することって日常的にあって。
でもそれをやり続けていたら生きていけない。

だってさ、舟が進みたい方向が本当は北が正解なのに、
東に行きたい人のことを永遠に尊重してたら、いつまでも北にはいけないから、いつの日かは北に行くよ!って自分の道を歩かないといけない。

でも、東に行きたいって言ってる人がいるのに、「いいから、北に行くの!!」ってずっと我を通すことって、時に自己中心的にも感じる。

同じ舟に乗ってるんだったらね。

だから、そのバランスって難しいよね。

もう!!いいもん!!他人なんか!!って突き放し、1人になることは簡単だけど、自分と同じ感覚や価値観を持つ人はいないからこそ、他者と共存して生きていくことの難しさ。

いつだって人は人に生かされているし、
自分も他者を生かしている。
人の間に生きている以上。


自分はわりと周りのこととか気にせず、やりたいことをガンガンやってきた人生だなと思うけど、バンドは特に、お客さんっていうお相手がいる職業だからこそ、難しいと思う。

彼らがやりたことを臆せずにやってみる、それを面白い!って思いながら、見守っていたいと思う。

そして、健司くんいわく、CCCは自分たちがやりたいことをやった、自分たちが好きだと思うものを詰め込んだ。

(補足:けして、上記の舟の話題から、CCCが自己中心的であると短絡的に結び付けたいわけではありません。
この場合は「自分らしさ」と結び付けて話していきたい)

つまり、CCCを好きだという人とは彼らと気が合う証拠でもある。


自分らしさについて、康司くんも日記で話していた。
リンクは貼らないけど、ご興味がある方はインスタを見に行ってみてね。
康司くんの日記ねーー、、これだけで語りたいことがたくさんあるけど、本当に素晴らしかった。
言葉の選び方、感性、康司くんが楽曲を作る中で体験してきた葛藤や希望、そんなものが少しずつ感じられて、曲を補完してくれた。



自分らしさについて話したいことが2つある。

1つ目。

昔読んだ本に、「自分らしさは作るもの」という言葉があった。
実体験と照らし合わせてもそうだけど、
フレデリックを好きになる前、ロリータの服が好きだったので、家のクローゼットには、ワンピースが多くてズボンはほとんど持っていなかったし、ヒールの靴ばかりでスニーカーも持ってなかった。
職場で明日BBQしよーって突然言われて、さすがに、、と思って
ユニクロに急いで買いに行ったくらいズボンを持ってなかった。
でも気が付いたら、クローゼットの中身はガラッと変わったし、ズボンも履くし、スニーカーも履く。
日焼けしたくなくて日傘さして外に出ていた人間が、野外フェスも行く。

大学時代の友達に会ったらどうしたの!?って聞かれたこともあったけど、今の私にとっての「自分らしさ」はそれ。

自分が一歩、足をだしたら、そこに自分らしさの花が咲く。
だって自分は自分だもん。

常日頃から、4人に対して「自分らしくいてほしい」と願ってきた。
時に5歳児のように興味関心も赴くままに、鳥かごから解放されて、自由に飛び回ってほしいと思っている。



自分らしさについて、2つ目。

ジョハリの窓という概念がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Johari_window_ja.png
あんまりWikipediaから引っ張りたくないけど、わかりやすいので画像を引用

①自分知っている×他人も知っている
②自分知らない×他人は知っている
③自分知っている×他人は知らない
④自分知らない×他人知らない

自己分析とかで使われるフレームワーク。前につぶやいたけども。
フレデリックのオドループが①で自他ともに知っているイメージだとすると、CCCは③もしくは④なのかなと思った。

よく言われるのは、①を広げていけると生きやすくなるよ、とか
②自分が知らなくて他人は知らないのならば、鏡になってもらって教えてもらおうとか
③自分は知っていて、他人は知らないのであれば、伝えていこうとか

④はとっても可能性が秘められた、ブラックボックス的な部分。

自己評価と他者評価の認識のズレとか、時にその狭間で葛藤することもあるけれど、自己一致、表と裏がなるべく一致していけると生きやすくなるのかなあと思う。

インサイドヘッド2っていう映画は自分らしさについて考えるものでもあるので、もしよかったら興味がある方は見てみてちょ!

どんな感情もあなたの宝物になる。
CCCだってそうだった。


話しは戻し、、
健司くんいわく、フレデリックは、10年前にオドループがリリースされ、その数か月後にはフェスで何千人と集まるような状況になり、その状況を飲み込んだり、追いついていくことに精一杯だったそう。

ひとりひとりと向き合うというよりも、この人たちの期待に応えないといけないとか、環境の変化に追いつくとか、場を収めるとかかな。
でもそれって無理もないことだよね。

(ここにちょと補足だけど、
健司くん、康司くんが昔書いていたブログを読んだことがあるんだけどね、向き合ってないことなかった、当時から。本当にそんなことなかった。
一人ひとりのことを大事に思ってくれていたと思う。昔のブログを読んで、今の自分に置き換えて、じーんって感動もする。
きっと無意識だったのかもしれないね、意識の持ち方が違うんだと思う)

たしかに振り返ってみると、自分がフレのライブに行き始めた頃は、健司くんはフェスでMCなしでライブにストイックに向き合っていたときもあったし、そういう意味もあるのかな。


代々木のときに健司くんが、声がコンプレックスだった話しをしてくれていた。
あのときの光景、今も鮮明に覚えている。
そのときに、お客さんに救われたと言われたことがきっかけで、自分がリスナー1人1人に伝えるという意識が強まった。
フレデリックが、というより、俺が、という意識で1対1でお客さんと対峙したい気持ちが強まった、そんなことを話してくれていました。

アリーナでライブするときに、一人ひとりがちゃんとフレデリックの信念だとかを深いところでわかっている状態で、ライブに行けたら、たとえ物理的に離れていても心が通じ合える。
離れていても、お互いを想いあっていることができるとき、物理的な距離は関係ないなと思う。


上記、さまざまニュアンスですが、そんなことを語ってくれていました。

今回雑誌でもラジオでも、本当に心温まる話しをしてくれていて、1人に伝えようという熱意が言葉を超えて、伝わってくる。

ライブ以外の場所で、普段音楽を聴くとき、1人のシチュエーションが多い。
仕事の行き帰りの電車の中、お風呂の中、布団の中。
結局、1人で受けとめる。

自分もここで、たった1人として音楽に向き合ってみようと思う。


全体的な印象


ジャケットを見て、曲を聴いて。
これはこの街の妄想ができると思って。

実は、このミニアルバムを語る上で、恋愛要素は外せないと思って。
そこを外すと深みが出ないと思うからね。

でも、自分の経験の話しをするのははばかられるので、自分がイメージする映像、ストーリーを文章で創作してみました。

こういうの苦手じゃないよっていう方は、リンクを押してみてください。
あくまで個人の楽しみの範疇ということをご了承いただけたら幸いです。

この曲とこの曲の世界線は一緒なのかな、
同じ平面で起きているけど、違う場所だったり、
同じ場所だけど、過去と今と未来とで、時系列で繋がっているのかな、そんな風に想像しました。

恋愛的な話については、その物語から引っ張ってこようかなと思う。

サウンドや歌詞については、とにかく枠にはまらず、自由。
そういう展開!?って意外で、そういう歌詞のはめ方!?でまたまた意外。

感情のダイナミクスが上も下もめっちゃ出ていて、
康司くんがこんなにストレートに言葉にしているんだ…と驚きだった。
康司くんのストレートは変化球って感じのイメージだから。
でも、今の康司くんはそうなんだね。

何よりリスナーへの想いがびっっっっくりした。
煌舟はほんとにびっくりした。
康司くんが書いたと思えなかった、でもよく見ると康司くん。
あーー、、って打ちひしがれちゃった。

素直にありがとうって思った。
ちゃんと伝わってる。
返しきれないよ、今ここにある自分の気持ち伝わっててくれと願ってしまう。

ジャケット

第一印象、あまりにもかわいすぎる。
康司くんのデザインだ!!って随所にわかる。
エッシャーを思わせる階段。
これは個人的解釈ですが、PEEK A BOOのリリースのときにも書いた通り、自分はここ最近シュルレアリスムにはまっていたので、それらしき解釈をさせてもらうと、(康司くんは以前から使っているけれども)キリコを思わせるアーチ型の窓のモチーフも好き。

街の中央にある大きな柑橘系の食べ物にはモニュメントなのだろうか?
少しつぶやいた通り、ルネマグリットの「個人的価値観」という作品があって、現実にはあり得ない大きさで描くことによって、知らぬ間にその人の中にあった固定観念のようなものを問い直すような作品。
街の入り口にいる人間もちょびっとだけ、ルネマグリットのにおいを感じたり。(ご興味ある方は作品見てみてください)

メガジャケが特典のものをわざわざ選んで、今も部屋に飾っているし、ステッカーはノートパソコンのカバーに入れた。
それくらいデザイン的にも気に入っている。
今年のデザイナーKoji Miharaの仕事量が信じられない、、
新曲も作って。おかげさまでとってもとっても幸せです。
康司くんが書いたジャケットってだけで本当に愛着がわいてしまう。
可愛すぎる。

気が付いたら6000文字ぐらいいっているので、次のnoteへ…

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