久しぶりに京都市内へ。2
イノダコーヒーの思ひ出話。
イノダコーヒー三条店がリニューアルしたそうだ。
最近はもっぱら京都駅の地下にあるポルタ店ばかり行っているので気が付かなかった。旧館が映えるので人気の本店と、そこに近い三条店はいつも観光客が並んでおり、すっかり足が遠のいてしまった。ちなみに名物の「京の朝食」もポルタ店で食べられる。
大学生の頃、授業をサボってあの界隈をよくふらふらしていた。特に目的があったわけでもない。兎に角よく歩いていた。
三条通を通る度に大きなガラス窓からそのゆったりとした空間を眺めるのが好きだった。もちろんお店も利用したことがあり、いつもケーキとミルク入りの珈琲、もしくは紅茶を注文した。紅茶は洒落た銀の持ち手が付いたガラスカップが銀の小皿に載せられて供される。
カフェを利用していていつも気になることがあった。少し奥に据えられている楕円形の大きなカウンター席、そしてそこに集っている老紳士たち。あそこは何か特別な席なのだろうか、常連しか座れないとか?
あれこれ想像していたが、ある日の午前中、勇気を出してその席に座ってみた。なんだかいつもと眺めが違う。
珈琲を傍らに新聞を読む人、おしゃべりに興じる人、読書する人。それぞれの朝のルーティーンがそこかしこで回っていた。新しく老紳士がやって来る。片手を挙げて挨拶する人、声を掛ける人、皆に軽く会釈しながらその人は席に収まり、たしか何も注文していないのに珈琲が差し出されていた。
エモい。エモすぎる。
当時は「エモい」という言葉はまだなかったが、今思い出してもなかなかのエモランクだ。孤独のグルメのゴローさんのように頭の中はお祭り騒ぎである。こんな所でケーキなんか食べてる場合じゃない。携帯電話なんて似合わない。ミルクと砂糖の入った珈琲だけ注文し、できるだけクールを装うが、ふと、ここに私が居ることすら彼らにとっては「日常」なのではないだろうか、と思った。
いつもの朝の風景に好奇心に駆られた若者が紛れ込む、そんなちょっとした冒険も彼らにとってはすでに何度もあった出来事に過ぎず、たいして目新しいものではない。
湯気の向こうの裏庭に据えられたテラス席に朝陽が差している。珈琲の香りが漂い、時折、新聞を繰る音とさざめくような声。いつもの朝、いつもの風景、何もかもがいつもと同じようにあるべき場所に収まり、為すべきことを為している。変わらない幸福と少々の退屈が優しく空間を包み込んでいるように思えた。
だが、永遠ではない。温かい珈琲が冷めていくように、美味しいケーキが跡形も無くなるように、気が付かないぐらいゆっくりといつの間にか時は過ぎ、老騎士の顔ぶれもお店もいつかは変わっていく。永遠に思えるのに間違いなく変わりゆく日常。だからこそ今、このひと時が美しいのかもしれない。
珈琲を飲み干し、早々に席を立った。せっかちなので一人の時はあまり長居しない。円卓の騎士団よ永遠なれ、この美しい時よ永遠なれ。そんな事を思いながら店を後にした。