再読書のすゝめ

読書は良い

学びを得るときのプロセスを二つに分けてみると、①有識者に話を聞く②書籍で調べると分けることもできると思う。どちらもメリットデメリットあるが個人的には②のほうが好き(良し悪しではなく好みの話)。仕事終わりのカフェや休みの日にゆるーく読書してふむふむしているのが好きなのです。自分の脳みそになかった観点や面白い!という刺激が頭の回転を促し、読書の習慣が続いているときは仕事中もぱっとアイディアが思いついたり頭の整理がすぐできるような感覚にある。逆に読書をさぼっているときは全体的に頭に靄がかかったような感覚で、言葉が出てこなかったりとか考える力が鈍く結果的にいい仕事ができないように思う。もともと、たいして本を読む習慣はなかったが数年前の上司が極めて読書家(週3冊とか平気で読む)で部門の能力開発の一環で定期的に読書会を開いてくれておりそこに参加していたことでそれなりに本を読む習慣がついたように思う。読書は良いものだ。

読書会のために読書するのはもったいない

上述の読書会は部門メンバーの任意参加性となっており、一度手を上げたら半年間、隔週で課題図書を読み読書レポートを作成、それを定時の一時間前に集まり各々が発表するというスタンスだった。レポート提出が遅れるとそれ以降の読書会には参加できなくなるという割と厳しめの縛りが設定されていた。最初は学ぶぞ!成長するぞ!とモチベーション高く参加していたメンバーも会を重ねるごとに徐々に疲れてきて、会話の中でも「課題図書読んだ?」「まだ、、レポート提出明日だよね?」「まだ課題図書を買ってすらいない」「SNSに課題図書のレビューあったからそれつぎはぎして出そうと思ってる」など、非常にもったいない会話がなされたものです(僕も何回か同じようなこと言っていた)。

で。こんな状態になると、本来の「能力開発」から目的がブレ、読書会のために読書をするようになる。時間もない、モチベーションが低い、そうなるとせっかく本を読んだのに実りが少なくなってしまうし怒られないために読んだ本のアウトプットなんてあまり期待できなくなる。もったいない。

再読書のすゝめ

結局3タームくらい参加し、学びは多くあった。だが上述のようにもったいない扱いを受けた課題図書もあった。本棚に目をやれば「あの本つまりなにが書いてあったんだっけ」というかわいそうな本たち。人生100年、学び続けないのと置いていかれる世の中でなんかもったいない。課題図書も安くなかったし。と思って気になる本を改めて手に取ってみた。すると、当時は一種の強迫観念の中読んでいたからか、見落としていた重要なキーワードにいくつも気づくことができた。今自分に足りていないものを補完するように選書するわけだからふむふむ感も高く、あーつまりこういうことだったんだ、と気づくことも多かったように思う。勉強家の皆さんはここまでご覧になって「甘いなこいつ」と思われた方もいらっしゃるように思う。一方で身に覚えがあるな、という方もいらっしゃると思う。後者のほうにシンパシーを感じていただいた方にはぜひ再読書をお勧めしたいと思う。

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