【スキー】23-24シーズンの振返②
気がつけば前回の投稿から時間が経ってしまいました。
時が過ぎるのはあっという間、残された雪も残りわずかとなりました。
23-24シーズンの振り返りの続編です。
思い出が、次章をめくる
前回の記事の続編となりますので、
ご関心をお持ちの方はぜひ①の記事からご覧ください。
さて、たまたま参加したスキーフォーラムでの講演(聴く側)をきっかけに何かスキー場での仕掛けができないかと思いつき、企画書を作成し始めました。
企画内容は「スキーヤー・スノーボーダーのための合同撮影会」。
自分自身、幼少期からスキーに親しんできて、さまざまな大会にもチャレンジしてきました。
その中でもとりわけ嬉しかったこと、思い出に残っていることの一つが、ある大会でプロのカメラマンに滑走写真を撮影してもらえたことでした。
スキーフォーラムで登壇されていたSさんが、地元須原出身のプロカメラマンだったことと、過去の「思い出の一枚」がリンクして、真っ先にこの企画を思いつきました。
この企画の良いところは3つと考えています。
①コストパフォーマンス
今の時代、SNSなどを通じて、自ら情報を発信することが容易になっています。そうしたツールでスキー活動を発信するためにも画像・映像はマストです。僕自身も競技活動PRのためにも宣伝写真が必要と考えていました。ただし、宣材写真をプロカメラマンに依頼するのは、当然それなりの費用が発生します。今の僕にそこまでの余力はありませんでした。そこで、一人でプロカメラマンを雇うのではなく、イベント化して、同じニーズを持つ参加者同士で「ワリカン」すれば可能じゃないかということで、一人当たりの単価を抑えることができました。
②スキー場のPR
この撮影会の参加者には規約への同意が参加条件になっています。その確認事項の一つが「撮影した画像の権利はフリーであり、スキー場・企画者によって利用する場合があること」としました。撮影会場が須原スキー場なので、須原スキー場にもコンテンツが残るようにしたかったのです。それを活用することによって、スキー場のPRにもつなげたいとの思いがありました。
③コミュニティ形成
おそらく参加を希望される方の多くは「ソロ」の方が多いように想像しておりました。複数名ですべられる方はお互いに撮影し合うことができると思ったからです。そこで同じ趣味を持つ仲間、似た境遇(ソロ)の方が揃うと新たなコミュニティが生まれ、参加者自身にとっても、スキー場にとっても、メリットがあると考えました。
とこんな調子で企画書をお送りし、
スキー場にもご快諾をいただきました。
あとは雪が降るのを待つだけです。
このことですっかり勢いづいた僕は、自分が所属する須原スキー学校でのレッスンを企画し、さらに水面下であるYouTube番組?の誘致を計画してシーズンインを待つこととなりました。
暖かい冬、温める企画
シーズン前から噂されていた通り、記録的な暖冬がスタートしました。
シーズン初めこそ地元・奥只見丸山スキー場での指導者研修会でスタートを切ったものの、どこのスキー場も地形が出ていて満足な滑走ができるとは言いにくい状況でした。滑れる環境を求めて移動するシーズンインとなります。
例年レッスンのお手伝いをさせて頂いている舞子スキー場のホテル前もこんな感じ。アスファルトが出ている状況でした。
須原スキー場のオープンも遅れ、企画していた特別講習のうち、初期に企画していたものは告知が間に合わず、開催を見送ることとなります。本音をお話しすると、今シーズンの全日本技術選は北海道での開催が決まっていて、旅費を工面するために指導活動をしているという側面もあるので、雪がないことで被る家計への被害は甚大なものです。
出来ることと言えば「信じて雪を待つ」ということのみ。その間、雪が降った時に備えて水面下で企画を温める日々が続きます。
ギックリ腰の先に開けた道
iPhoneの写真を見返すと1月中旬頃になると降雪の中で滑っていた様子が散見されてきます。
全日本技術選に向けた甲信越ブロック予選会が1月
22-24日の開催でしたので本当に直前で仕上げにかかったような状況だったと思います。
それが祟ってか直前(1月20日)に行った奥志賀高原でのトレーニング中にギックリ腰を発症。
この時点では今季の大会出場は完全に諦めていました。
過去にもギックリ腰はやっていて、こうなるともう回復には時間がかかることは知っているし、予選会場である戸隠スキー場の超がつくほどの急斜面なんて滑れるわけがないという気持ちになっていました。
ところが同クラブから全日本に出場している先輩が当事者である僕以上に真剣に回復策を模索してくださったおかげで結果的には大会出場が叶うことになります。
正直、怪我をした奥志賀高原からの帰り道、完全に終了モードで諦めがついていたのですが、先輩の熱意に負けて治療にかかることとなりました。
※治療の選択肢の一つに「ブロック注射」なんて言葉が出ていて、痛いものが苦手な僕の治療に向かう気持ちを表すと「熱意に負けて」というネガティヴな表現になります。笑
治療は実家から車で5分程のところにある整骨院で鍼を打って頂きました。
※「ブロック注射」は"回避"できて"歓喜"です。
そして見事に回復します。笑
そして全日本の出場権も得ました。笑
さらに予選終了後、吉報が入ります。
シーズン前に打診していたYouTuber(チャンネル登録者数当時53,000人)の撮影クルーが須原スキー場に来てくれることが決定しました。
さらに吉報、その後須原で企画していた特別講習は満員御礼、別途、県外のお客様からのプライベートレッスンのオーダーもいただき、充実のシーズンがスタートすることとなりました。
思い返せば奥志賀高原からの帰り道、完全に痛みに負けた僕を尻目に(いやむしろ僕の感情はほぼ無視されていたのかもしれません)、回復策を探ってくださった先輩が繋いでくれたシーズンだったように思います。感謝です。
続きは次号で
と、前段が長くなりましたが、
2月から3月中旬の全日本までの1ヶ月。
ここがまた怒涛の1ヶ月になりました。
メインストーリーは次号で!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
次号もよろしくお願い致いたします!
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