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「何故どうして」を毎日のように思わせてくるような環境は変えてしまえ

これは、仕事に対するストレスがマッハの時に書いた僕の記事である。

煮え滾る思いで必死に書いたためか、それとも仕事というテーマのお陰か、はたまた引用した米津の歌詞が人々の心に刺さったのか。
真相は定かでは無いが、これまでの記事の中で1番伸びた。何故か公開して半年経ってもたまにいいねが飛んでくる。

結局僕は今、別の会社で働いている。どん底を味わったあの頃は相当参っていたが、なんとか先の見えないトンネルを抜けることができた。

元々僕は転職志向であり、新卒入社した会社でも周囲に「3~5年で2社目に行く」と公言していた。理由は至ってシンプル。現状維持では成長が見込めないからだ。多少の負荷を、いや、ちょっと強いくらいの刺激を与えるくらいが丁度いい。

ずっと同じ環境に居続けると「慣れ」が出ててくる。これは一定期間まじめに働いた対価、もしくは成果だ。年数に応じて求められるレベルが上がるにしろ、仕事の回し方や人間関係のツボさえ押さえてしまえば、あとは楽にやれる。職場に適応することは良いことだ。しかし、僕はそれより新しい環境へ飛び込む方を選ぶ。

慣れるということは、新鮮さが失われていることの裏返し
同じ会社、同じ同僚、同じ仕事内容。初めは知らないことだらけで刺激があるだろうが、次第に未知より既知が多くなる。ものの見方がワンパターンになる、考え方が周囲に染まる、発想が固定化されていく。世界がどんどん狭くなる(もちろんこれに当てはまらない例もあるだろう)。

僕は決して無闇に仕事を変えろと言いたい訳ではない。職種はそのままで「何に対して働くのか」を変えるのも、十分大きな変化だ。真に仕事を極めるには、応用力を備えることが肝心。多面的に考える力を身に着けるには、様々な現場を経験するしかない。 
 

…とまあ、思想ばかりが大層なもので、実のところは「そろそろ転職しても良いな~」と思いながら何もしていなかった。
よく考えてみてくれ、実際に転職するにはエージェント登録、面談、書類作成、面接…。馬鹿にならない工数が必要であり、面接を受けようものなら有給を使うしかない
転職は当たり前と謳われる世の中、皆これを平然とやっているということだ。え、普通にすごくないか…?

ふわっとした目的のために有給を切る気力なんて湧かないし、当時は目の前の仕事だけで精一杯だった。平日フルタイムで働いている状況で転職なんて無理だろ。皮肉なことに、切実に転職を望む者に限って行動を起こせるような状況にないのである。

だから、僕が転職活動に踏み切れたのはラッキーだったと思う。自信という自信を喪失し、人生の中で上位に入るくらいには苦しかったけども。
こんな天職は他に無いと確信をもって選んだ職。それが間違いだったかもしれないという恐れ。いっそ前提条件から練り直してしまおうと、全く違う職種で仕切り直す線も検討したがどうしても諦めきれなかった。

叶えた夢をこんなに呆気なく終わらせていいのか?
憧れだった職業を自ら手放すのか?
これでこの先後悔しないか?

葛藤に葛藤を重ね、一か八かで同業他社への転職を試みた。微妙なスキルセットで心もとない装備だったが、身の丈にギリ合わない会社から内定を獲得し、腹を括って入社した。今まさに、足りない分を補うべく必死で働いている。でも、前職に勤めていたころのような辛さを感じることはない。

仕事上のストレスの種類なんて腐る程あるだろうが、個人的にキツイのは「なんで?どうして?」と戦わないといけない環境
異を唱えたいが、何かしらの事情があって叶わない。聞き入れてくれるような人がいないとか、そもそも言っても無駄だと分かりきっている時とか。

日々の違和感や価値観の差異は塵も積もれば山となる。小さなことで傷つき、怒り、相手にそんな意図がないと思い直して反省し、また数時間後になんでだ!と怒る。僕の中で生まれる感情が仕事の邪魔だった。そして、あるとき些細なきっかけで僕の感情は爆発した。

これは職場に限らない。友人関係だって、家族だってそうだ。
解決できない疑問は、抱くだけ損。心に嘘をついても、絶対あとから反動が来る。こみ上げてくる感情は制御できない。だからといって、己を戒める必要もない。ただ、違う場所へ行けばいい。離れたらいい。

恐れず居心地のいい場所を探しに行けばいい。
 
 
もし、現在の環境に対して不満や辛さを感じる人がいれば、何かの支えになれば幸いだ。

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