問:「夏来にけらし」を証明せよ
[証明]
夏に感じるわくわくの原因を「わくわく粒子」と置く。
自転車がパンクしていたので、帰りは手で押していくことにした。
世界は知らない間に7月を迎えていて、照りつける日差しに肌がじっとり汗ばむ。端的に言って、暑い。夏だ。夏が来た。
パンクした自転車はガタンゴトンと不規則に揺れて、時間がなかったとはいえ、よくこんなのに乗ってきたなぁと感嘆8割・後悔2割。サーッと自転車に乗った中学生たちが私の横を通り過ぎる。小気味よく回る車輪が、爽やかな風を残して去っていく。
ああ、夏だ。 ・・・①
信号を渡って、橋の上を歩く。手すりから下を覗き込むと、藍色の川に手すりの影が落ちていた。ふと、顔を上げる。川の終わりよりも向こう、熱い空気のずっと向こうに、蒼々とした山が鮮やかに鎮座していた。
緑。いや、青。緑青、鮮緑、蒼色。これだ。
川から山にかけて、藍と蒼のグラデーションになっている。森の中で深い湖に飛び込んだような、豊かな色彩イメージが眼前で弾け飛んだ。
世界の色が濃い!今日までまったく気付かなかったが、川も、山も、道路も車も看板も、パンクした自転車でさえも、数ヶ月前に比べて明らかに色が濃くなっている!これは間違いない。
夏だ!!! ・・・②
坂道をのぼりながら、季節による色彩の変化に思いを馳せた。
温度が上がると植物が育つ。木々が葉をつけるので、山も町も一気に緑が広がる。夏が最も緑青にあふれていると言ってもなんら過言ではない。
一方で赤はどうだろう。赤を抜きにしては、色彩が豊かだなんて口が裂けても言えないだろう。
個人的な感覚では、最も自然の赤を目にする季節は春だ。梅やチューリップなど、きれいな花がそこかしこに咲いている。しかし、赤が映えているかというと、どうにも夏に劣る印象だ。
なぜ夏に赤が映えるのか。私は、さっき横を通った中学生の真っ赤な顔を思い出した。次に自分の腕を見て、ちょっと日焼けを心配した。
トンネルに入ると、少し歩くペースを落とした。気持ち休憩。ここから出たらまた暑いんだろうな、とトンネルの先を見た。あ。
赤い車が並木の陰になって、チラチラ見え隠れしている。トンネルの額縁に切り取られた、印象派の絵画のようだった。午後の日差しを一身に浴びて、小さな赤い車が木々の間を走り抜けていく。やがて木の実ほどの大きさになって、その車は見えなくなった。
思い出した。夏は緑青の季節だ。そして赤は青緑の補色だったはずだ。そうだ。反対の色が互いに主張し合っているから、それぞれの色が強く見えるのも道理だったのだ。額縁の中に一歩踏み出す。
これが夏なんだなあ。 ・・・③
それなら。舗装の剥げた歩道をガタガタと進む。夏がキラキラしているというのも、案外その通りなのかもしれない。
①,②,③より、「夏は温度が上昇して、ちょっとしたことに清涼感や爽快感を見出す。そして色彩がより鮮やかに見えるようになる」といえる。
キラキラは視覚情報をもとにした感覚だ。確かに考えてみると、夏の冷えた水面はやけにキラキラに見えている気がする。キラキラしたものには飛び込みたくなるのが人の性だ。だって楽しい。これは水以外にも、例えばアイドルなんかにも通じるものがある。そう思うと、夏の恋物語は理にかなっているのだ。
こうして、私は夏のわくわく粒子を吸い込んでいるのだろう。温度が、色が、キラキラが、夏を夏たらしめている。
わくわく粒子は人の足取りを軽くさせる。もう海に行く予定が待ちきれない。私は自転車を置いて、家の前の階段を駆け上がった。
夏が来た!!!!!!!
【証明終了】