土地の記憶。
マンザナーという場所をご存知でしょうか。
カリフォルニア州を貫く雄大なシエラネヴァダ山脈、その麓に位置するマンザナーは、第二次世界大戦時に日系人収容所として使われた場所。
1942年から45年まで、1万人以上の日系アメリカ人が強制的に集められたそうです。
「りんご園」だったマンザナー。
「Manzanar」とは、スペイン語で「りんご園」の意味。
元々ここにはネイティブアメリカンが暮らしていたのですが、19世紀にヨーロッパ系の入植者がやってきて、果樹園にしたそうです。
雄大な山の麓に、瑞々しいフルーツがなる場所。
子供たちが通う学校ができ、教会ができ、人々が集うタウンホールができ、お店ができ、娯楽ができ・・・。町は賑わっていきました。
その後、1900年に入ると、ロサンゼルス市が付近一帯における水の権利を買い始めます。干ばつの年に、ビッグシティに水を供給するために。
そして、水を奪われた果樹園はどうなるのか?
フルーツを育てることができなくなり、マンザナーに暮らす人々は三々五々、その土地を離れていきました。
日系人収容所となったマンザナー。
人が去り、荒れた土地となったマンザナー。
第二次世界大戦の最中、米国陸軍がこの広大な土地をロサンゼルス市から借ります。そしてそこを、日系人収容所としたのでした。
主にロサンゼルス近郊に住んでいた日系アメリカ人が、強制的に連れてこられたそうです。
人間が、ルーツや外見で判断された、悲しい歴史ですね。
ロサンゼルスからマンザナーまで、現在の整備された高速道路をぶっ飛ばして、4~5時間の距離ですから。当時は、たどり着くまでどれほどかかったでしょうか。
見渡す限りの山と平野。乾燥した、何もない土地。
都会に住み慣れた人たちは、ここで何を思ったでしょうか。
強制的に集められた場所ではあったけれど。人々はマンザナーでたくさんの「日本庭園」を造って、安らぎを求めたそうです。
庭園の跡地には看板が立てられ、そこには「自然と美しさを愛する、いかにも日本人らしい素晴らしいスピリットだ」の説明文が。
日本人という外見で差別され、日本人らしさを褒められる・・・という。なんとも複雑な気持ちになりました。
そして、何もなくなった。
日系人収容所としての役目を終えた後、建物はすべて壊されたそうです。まるで、収容所の歴史を隠すかのように。
その後長い時間をかけて、風に運ばれた土や砂が、マンザナー全体を覆っていきました。
残っているのは、わずかな生活の痕とお墓、そして新たに建てられた記念碑だけ。見張り塔は、作り直したレプリカだそうで。
「何もない」がある場所、それが現在のマンザナーです。
マンザナーは史跡として保護されているので、この土地にこれ以上、手を加えることはできません。
フルーツもならない。
子供たちの笑い声も、聞こえない。
この土地が、新しく瑞々しい生活の記憶を作っていくことは、きっともうないのでしょう。
史跡はすべてそうなのかもしれませんが。
歴史を語る重責を負うことになった土地の憂い・・・らしきものを、マンザナーに感じてしまいました。
4歳の娘は、何かを感じ取ったのでしょうか。
「怖い。帰りたい」と言っていました。
デスバレー旅行の帰りにマンザナーに寄ったのですが、この旅全体の中で、マンザナーは特に記憶に残っているそうです。
夫が「イチョウの木だ!すごいねぇ。マンザナーにイチョウって、なんかグッとくるものがあるね!」と言っていたので、たくさん写真を撮ったのですが。
近づいてみたら、イチョウではありませんでした。
(なんのこっちゃ)
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