「自主隔離」生活と画家エドワード・ホッパーと。
新型コロナにより「自主隔離」生活を始めて、かれこれ約1ヶ月。
それは、ほとんど突然に始まり、始まった当初から「いつまで」という終わりは明確ではなかった。
だが、「いつまで」という終わりがある、2週間か4週間か…、そういうものだと思っていた。
いよいよ終わりが「見えない」、そして「戻らない」ことが分かったのは、10日ほどを過ぎた頃だっただろうか。
そのことに私は絶望したか、というと意外にも、そうは感じなかったように記憶している。
というのも、部屋の窓からみえる外の世界では、春の気配が日一日と濃くなっていたからだ。
木々の葉は目に見えて青みを増し、気の早いのは桃色の花を咲かせ、風の感触は穏やかになり、光もなんだか柔らか。
私たち人間の活動は制限されているが、自然はいつもと変わりなく活動を続けている。「ああ、時は止まってない」「生きている」。そのことを視覚的に確認できたことで、かなり救われたと思う。
仮にもし、「自主隔離」の開始が1月や2月の冬の真っ只中だったら、心持ちは違っただろう。
さて、そんな時に書いたのが、このエドワード・ホッパーの記事。
「いま、私たちは皆、エドワード・ホッパーの絵の世界にいるようだ」
ちょうどネットで話題になっていて、いろいろな美術評論家が色々な解釈を寄稿していた。
解釈というか、リアリズム絵画の旗手エドワード・ホッパーについての記述の中で面白かったのが、イギリスの美術評論家ジョナサン・ジョーンズの寄稿文の中のココ。
「小説家のF・スコット・フィッツジェラルドが、狂騒のジャズ・エイジのパーティー三昧の日々を綴ったころ、その手のパーティーに一生招待されることのなさそうな人々を描き続けた画家」と、英紙「ガーディアン」への寄稿文の中で述べている。
現代人は、(村社会的なしがらみから解放されて)自由になりたいがゆえに、近代の孤独を選んだ。しかし、ホッパーの作品は、現代の私たちにこう疑問を投げかける。
「現代的な生活の中から自由が差し引かれたとき、孤独以外に何が残るのだろうか」と。
孤独、疎外感、物憂い。ホッパーの作品がとりわけいま、人々の心に響くのは、パンデミック下における自主隔離生活と重なる部分が多いからなのは言うまでもないが、実際、自主隔離生活が始まる前から、孤独、疎外感は「実は感じていたこと」だったりするのでは、とも思う。
都会、特にニューヨークのような生々しいほどエネルギッシュな”生”を与えてくれる街にいると、そのエネルギーと波長を合わせている限り、孤独や疎外感を紛らわすことができる。しかし、人が家にこもり、街を満たしていた都会的とも猥雑ともいえるエネルギーが消えてしまうと、
途端に街の無機質さが際立ち、そこに住む無数の個々人が抱えていた孤独や疎外感が、浮き彫りになる。
それがまさに、エドワード・ホッパーが描いた有機性を欠いた都会の「静」。そんなふうに響いてきた。
私は、ペットもパートナーもなく、ニューヨークの街にひとりで暮らしている。よって「自主隔離」生活も当然、ひとりである。
ひとりでご飯食べて、ひとりで話して、ひとりで笑って、時々ひとりで泣いている。
家の中はひたすら静か。
時折気になる物音といえば、気まぐれにつくヒーターのパイプにお湯がチョロチョロと流れる音と、キッチンの吐水口から漏れるポタポタという水の音。偶然、どちらも水の音である。
数週間前までは遠くに聞こえたサイレンの音も、最近は耳を澄ましてもあまり聞こえてこない。ニュースで報じられている通り、感染のピークは越えたのかーー。