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比叡山でおみくじを

ティファニーで朝食をみたいなタイトルにしましたが比叡山延暦寺なので朝食はもちろん上で鶴喜そばですよ当然じゃないですか山菜ののったおそばが大変美味しいのです…

比叡山は全部霧でした。

ケーブルで山上に着いても琵琶湖はおろか5メートル先も見えない霧。山の木々が神秘的を通り越してファンタジーの中の森のようでした。思わず職員の方にこんな日でも比叡山シャトルバスは出るのですかと確認してしまうほどの霧。
今日の目的はおみくじ発祥の地、元三大師(良源)様のお住まいだった場所→その後元三大師を祀る場所となった比叡山延暦寺横川の『元三大師堂(四季講堂)』です。以前は根本中堂あたりしかお邪魔していなかったので横川は初めてで源氏物語や地獄変を思い出しながら、濃霧の中を普段のスピードで快走するバスに震えあがりながら横川の駐車場に到着しました。もちろん真っ白で横川のお堂に行く道の入口の道がやっとぼんやり霧の中に見えるくらいでした。
まずは横川中堂にお詣りさせていただきお写経。ここは写経信仰の生まれた地でもあります。お堂の中の写経の机でひとりゆったりと写経をさせていただきとてもありがたかったです。その後予約の時間が近づき、元三大師堂へ向かいます。写経の時間でズレが出て、一緒にバスに乗っていた方々はもうどこにも姿が見えず霧と小雨の山の中をひとりでポツポツ歩きます。神聖なお山とわかっていてもちょい怖で木の葉が風で落としてくる水滴のザザザザッという音にひいいぃぃとビビりながら小走りで向かいます(たぶん霧さえなければすぐそこで緑も美しい素晴らしい道だったはず)。やっと霧の中に建物があらわれた時は心底ほっとしました。
こちらのおみくじには予約が要ります。以下貼り付けるので読んで下さい。

そういうことで、予約をしてわたしはここへ参りました。伺いたいことは自分の生きる上での道の中の分岐点のあれこれです。ここには書きませんがもちろん実際にはものすごい具体的な内容になっています。
まずお堂に入って予約の旨を告げ、渡された紙に名前や悩み事を書き、奥へ通され、お部屋で僧侶の方と面談です。サシでガチ面談。もっと怖い感じの方かと思っていたけどお話をきっちり聞いて下さり、かつ必要な質問をして下さり、元三大師さまにお伺いすることを絞っていきます。抽象的なことではおみくじのお返事の解釈がぼやけてしまうようです。例えばで言うと『土地を売りたいけど身内でもめていて反対と賛成にに分かれてしまった』という悩みがあったとすると、このなかにもいろいろな伺い方があるのはお分かりいただけると思います。賛成の人の言ってることがよいの?反対がよいの?そもそも売るのがいいの?売らないほうがいいの?など判断は細分化していくときりがないのです。(たぶん)そこを面談でどれかに絞って決めます。仮に今回は『売っていいのかということを伺いたい』とお話で決まれば、お堂に戻ってご僧侶がお経をあげておみくじを引いて下さいます。これが不謹慎ではありますが読経の途中のおみくじの箱をじゃらじゃらと振られるのがかっこいい…。実際には真後ろで正座をして手を合わせているので背中しか見えないのだけどクライマックス感があってすごく劇的な感じがするのです。そして引き出しの中から籤の番号の紙を取られ、また部屋に戻りお話した伺いごとの解釈をお聞きします。わたしの伺ったことはシンプルに『否』と解釈されるおみくじだったのですが、いろいろな方向の解釈を聞き、また少しお話して、終了となりました。
帰りの横川のバス停への道も霧+雨でまだ午後の早い時間なのに完全に水墨画の世界で、自分一人しかいないのもあいまって異世界のようでした。バス停でバスに乗りまた帰りも快走に震え、バスセンターに戻ってやっと現世に戻ってきたような、そんな体験でした。

その後この

梵字カプチーノを会館でゆったりといただきながら、自分の質問に対するおみくじをまじまじまじまと見つめ考え、売店で比叡ゆばと元三大師様の考案されたという沢庵を買って、最後まで霧に包まれたままケーブルで坂本に戻りました。

まだじーっとこのおみくじを読んでるんですよ。いろいろ解釈できるんです。でもこの悩み事(迷いごと)を自分以外に話したのはあの元三大師堂が初めてだったので言葉に出したことによって自分の足りない事というか、聞かれてもちょっと言い訳してみたりくどくど理由を説明したりとかそういう弱点も良く分かったんですよね。大きな指針はしっかりといただいたと思うのであとは私次第ですな。わははははははははははは。あと、また状況ががらりと変わったらまた来られてもいいし、おみくじは必要なら二枚引くこともできますよ、なども伺ったのであのお山の上の別世界を、わたしの中の『本当に困って迷って停まってしまった時のとっておきの場所』ということにさせていただいて、日常生活の中でもっとしっかりすべきところはきちんとしようと思った次第です。

本当に貴重な体験でした。

締めに気の利いた短歌の一首でも詠みたいところではありますが、いつものようにというか、まだ強烈な体験の余韻でなかなか詠めないので、本日はこのまま失礼致します…

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