後厄がなければ愛もない
今日は休みだった。
そういえば、と小一時間程作業してから帰ろうと思って仕事場に着いたのが13時頃。
そして結局仕事場を出る時には日が暮れかかっていた。涼しくなったが薄手の長袖を着て歩いていると少し汗ばんでくる。秋の虫の音も多く聞こえるようになった。
帰宅してハイボールを飲み始めた。
高くて美味いウィスキーはたくさんあるがここ最近角ハイの美味さを再確認してハマってる。ちなみに信じられないくらい美味しい角ハイを出すバーがあるがここは誰にも教えない。
空きっ腹なのですぐに酔って来た。
先日旅行に行ったのだが半分くらいかそれ以上は心残りがある。持って行った本は手付かずのままでボケーとすることも温泉をひたすら堪能することも出来なかったからだ。近々リベンジをしてあげないと自分がかわいそうだと思った。
後厄の今年も後3ヶ月で終わる。
さっきnoteの下書きに「後厄がなければ愛もない」と題された文章が書き途中のまま保存されていたのを見た。内容は見返してないが題の通りで僕にとって「厄」というものが気のせいだったり、ありもしないのであれば同じく「愛」も同じようにありもしない代物なのだ。タイトルなしで書き始めたが下書きにあったことを良いことにこれをこのテキストのタイトルにしよう。
執着と愛の区別もつかない人間が愛だとかなんだとか喧伝してるばかりで本当に辟易する。都合の良いことばかりを愛に着せて。
思い入れのない愛で自然になれる。
音楽よりも静寂が好きだ。それは嘘かもしれないが時折静寂に奉仕するために音楽があるようなそんな気がする時がある。
窓の外いる秋の虫達の音も静寂を鳴らしている。
何もありはしない。
思い込みがあるだけだ。