最近読んだ小説についての独り言。
遠野遥の「改良」を今更ながら読んだ。ストーリーも面白いし、何より読みやすくて一気に読んでしまった。選評では、ネーミングセンスのダサさを指摘されてて、でも、もちろんディスる気は全く無いのだが、あのダサさこそが良いんじゃないかーーーーーーーと思った。あれらがもっとカッコよさげな固有名詞だったら、今でこそ無機質な印象の小説が更に無機質になってしまうではないか!、と書きながら別にもっと無機質を突き詰めてもそれはそれでキャラクターとして成立するか、とも思うけど、あの不器用なサービス精神がファン心を掴むと言うかさ、まあつまりあのネーミングセンスも彼の魅力のひとつとして大事にしてもらいたいな〜と思います、一読者として(でしゃばった事言ってすみません)。それにしても、読み終わった後にすぐ次作を読みたい!と思えたのは久しぶりだったので嬉しかったです。これは完全な余談だけど、この小説の主人公がなぜかコスメティック田中さんで脳内再生されてた。それと対談で「本って読んだ方がいいですか?」って何回も確認するの可愛すぎた。
尾崎世界観の「バズの中にはおよそシェア100万個分の栄養素が含まれている」。一読しただけでは意味がほぼわからないタイトル。2回読んでなんとなく分かりそうでやっぱり分からんタイトル。Twitterに張り付いてないと書けないよこんな小説は、と思う。めちゃくちゃTwitter見てんだろうなぁ、私のツイートも見られて欲しいなぁ!、とそんな事はどうでも良くて、主人公のキャラクターが良くて大好きな作品でした。普段生活しててこういう人居るよな〜とは思うけど、そういう人の操縦席に初めて座った感。それで言うと上記の「改良」の主人公も街でたまにすれ違うような人ではあるんだけど、遠野遥の書き方では、人称の設定に関係無く、小説の世界と読んでいる自分との間に透明なガラスが1枚ある感じがあって(だからダメージが少なくて読みやすい感じがあったのかなぁ)、尾崎世界観の書き方だと(母影もそうだったけど)、主人公の中から小説の世界を見ている感覚になるからより体験型読書って感じがした。(体験型読書って何?)だから主人公が傷付けばその分辛くなる。(それで言うと宇佐見りんはかなり痛い。尾崎世界観が擦り傷みたいな染みる痛さだとしたら宇佐見りんは波刃包丁で切って治りにくい傷ができた時みたいな声にならない痛さ。宇佐見りんの「かか」もめちゃくちゃ好きで、彼女のほんの何秒間の間に起こる些細な所作や心の動きを文字でどれだけ表現できるかみたいなところで勝負している姿勢が好きだなぁ。本人もそういうので感動するタイプの人なのだろうなぁ、私もそういうタイプです!)
ここからは更にオタクの尾崎世界観語りなので聞き流してもらって大丈夫ですが、デビュー作とかその選評とかって、審査員も審査員然として真顔だし、審査される方もそれに倣って肩肘張って真顔だし、そういう真顔の文章ばっかりで。そんな中で読んだ「バズの中に〜」だったから余計良く感じたのかもしれない。それでも真顔の大人に囲まれた中で、センシティブな話題にあえて突っ込んで行ったり、セコい気持ちや情けない顔を晒したり、甘えたりを好い加減で、ストレートな言葉を使ってできるのはやっぱりすごいと思う。それは今までずっと人に見られる立場に居たから身に付いたものなのか、それとも彼そのものの魅力なのか分からないけど、どっちにしても尾崎世界観が魅力的なことには変わりないです!!!!!自分の弱みみたいなものを変に普遍的なものに落とし込んだりしないでありのままで晒せる人に憧れてしまうし、弱いんだよなぁ。
ここまで書いといてアレだけど、文藝2019冬号について今更言及するのどう考えても今更すぎるし普通に恥ずかしい。