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僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.3
2018年11月16日
二日目(カトマンズ ~ルクラ)
■出発
五時半に目が覚めた。部屋の電気はつけっぱなしのまま、僕は荷造り中に寝落ちしていたようだ。
ベッドの上に無造作に広げられた荷物をザックにしまいこむ。昨日ラジャンからは重量を減らすように言われたから、ずいぶん荷物を置いていくことにした。きっとこのくらいなら13kgには収まっているだろう。外はまだ薄暗く、街灯の灯りが赤く光っている。どこかで鶏の夜明けを告げる声が聞こえた。
朝六時にホテルのロビーでラジャンと合流しして空港へ向かう。
と思いきや、彼は開口一番こう言った。
「おはようダイスケ!お茶飲む?」
ネパール人はとにかくお茶するのが好きな印象がある。どこへ言ってもまずはお茶。大体コーヒーかチャイか選ぶのだけど、観光者としての僕は、のんびりしているこの習慣は好きだ。
お茶を飲み、予定を確認し、空港へ出発する。
ホテルの庭には腰の曲がった老婆が一人、長いホウキで散らかった落ち葉を掃除していた。通りに出ると、薄く霧がかかっていた。排気ガスと動物の匂いが漂っている。少し湿気を含んだ空気がその匂いを包んで、僕の鼻にまとわりつく。そういうところも含めて、あぁ、やっぱりここはカトマンズ(Katmandu)だな、と思った。僕達を乗せたタクシーは、そんな野暮ったい霧の中を空港へと向かって走っていった。
■空港にて
ネパール空港の国内線は人で溢れ返っていた。そのほとんどが観光客で、皆一様に大きなザックを背負っていた。大半がポカラ(Pokhara)に行くか、ルクラ(Lukla)に向かう人だった。ポカラへ行く人はアンナプルナを目当てに、そしてルクラへ行く人はエベレストにしているのだ。
搭乗時間になっても飛行機は飛ばなかった。それどころか、僕達が乗る予定よりずっと前の飛行機でさえ、まだ出発していないようだった。痺れを切らした観光客の何人かは、「いつになったら飛ぶんだ!?」と係員に詰め寄っていた。観光客の殺伐とした重々しい空気と、飛ばないのはいつもの事さと言わんばかりのネパール人達ののんびりとした雰囲気が混ざり合った不思議な空間で僕は暫く待たされることになった。
僕は待つのは苦手じゃなかった。むしろ得意と言っても過言ではなかった。そう言う時に場の雰囲気や空気を感じられると、僕の旅の臨場感は増すからだった。僕は空港の一部になってフロアを見守ることにした。
ある人は音楽を聴きながら、ある人は目当てのものなど何もない売店と自分の席を何度も往復しながら、ある子供は母の袖を掴み、またある子供は母の手を振り払って小刻みに踊っていた。それを見て何をしているのか考えた。そうやって人を見ていると、知らないうちに時間は過ぎていった。気付いた時にはサハデが僕の肩を叩いていた。彼は言った。
「さあ、行こう。出発の時間だよ」
■遅延の理由
こんなに飛行機が遅延するのは理由があった。大抵こういう場合、その理由は【悪天候】と【滑走路渋滞】なのだそうだ。
ネパールの国内線は危険だと言われるそうだが、その理由は山岳地帯を飛行することにある。そのため、悪天候時は往々にして運転が見合わされる。
これについては僕も国内で経験があった。山岳地帯を飛ぶわけではなかったが、僕は仕事で伊豆七島に飛ぶことが多く、調布の飛行場からセスナを利用していた。そこもまた、悪天候や、霧が出た日にも運転を取り止めることが頻繁に起きた。乗客、添乗員の安全を考えた結果なのだから納得がいった。
もうひとつの【滑走路渋滞】に関しては、ネパールのお国事情なのかと思う。現状、国内線の離発着を一ヶ所で行っているから便数が多いと対応に時間がかかるというものだ。
それだけネパールに観光客が押し寄せてきているということだろうか。それともただ単に設備投資と処理が追い付いていないだけなのかは定かではなかったが、未だ途上国ならではの理由なんだろうなと思いながら待っていた。
■ヒマラヤを眺めて
ともあれ僕達は無事飛行機に乗ることができた。調布飛行場のセスナを思い出せるかのような小型飛行機は、僕達を乗せて飛び立った。
カトマンズの街がみるみるうちに小さくなる。山づたいに広がる集落が次々と現れるのを眺めていたが、高度が上がりやがてそれも見えなくなった。
視線をあげると、目の前にヒマラヤの山々が飛び込んできた。山を登らない人が見れば、ここから見る景色だけでも万感の想いだろうなと思った。真っ青な青空に、白い雪をたたえた沢山のヒマラヤの山々は本当に感動的で、この全ての山に神様が住んでいると言われたら信じてしまうほど神々しく輝いて見えた。
これからあの山々に向けて歩いていくのだと思うと、嫌が応にも胸が弾まずにいられない。
機内は静かだった。常時聞こえるのはエンジン音くらいで、その他には時折カメラのシャッターを切る音が聞こえる程度。皆、目の前のヒマラヤに目を奪われていたに違いなかった。
■テンジン・ヒラリー空港にて
正直な話、この空港の離発着ほどヒヤヒヤするものはない。
ルクラのテンジン・ヒラリー空港は、その名の通り【テンジン・ノルゲイ】と【エドモンド・ヒラリー】と言う、二人のエベレスト登頂者の名前に由来する。しかも、初登頂者。山をやる人なら一度は聞いたことのある名前、山の英雄だ。
しかしこの空港、実は世界で最も過激な空港として紹介されている。その理由が、空港が建てられた立地にあった。
この空港、まず滑走路が527mしかない。そしてまずいことに、滑走路の先が断崖絶壁になっているのだ。通常の飛行機の離発着におよそ1800m必要とされていて、プロペラ機でも1000mは必要と言うのだから、この滑走路の短さが何を意味するかは分かると思う。この空港に離発着するためには高度な技術が必要だ。失敗すれば、気付いた時にはエベレストよりも遥か高いところから現世を見下ろすことになるのだろう。
そう言う所に、僕達は無事降り立った。ちなみに妻から後日聞いた話では、YouTubeでこの空港を調べて「うちの旦那は飛行機で死ぬのか」と泣いたそうだ。多分、妻と共にこの空港を利用することは絶対にないと思う。
ルクラは多くの旅人達が最初に訪れる町だけあって比較的大きく、そしてたくさんの店が開かれていた。ここからエベレストBCまでの旅が始まるのだ。
サハデは勝手知ったる様子でぐいぐいと進んでいく。僕はワクワクしながら、彼の背中を追いかけていった。