僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.5
2018年11月17日
三日目(ナムチェバザール散策)
■地獄の水浴び
ナムチェの入り口から東側を少し登った場所に建つロッジに、僕達は宿をとった。
確か三階か四階建てになっていたと思う。廊下がやや薄暗くはあったが、山の中にしては綺麗なロッジだと思った。一階の食堂には大きなテレビスクリーンが設置されていて、先に到着していた何人かのポーターが食い入るように画面を見つめていた。
僕は最初にシャワーを浴びるよう勧められ、それに従った。ついでに洗濯もすることにした。着ているTシャツもさすがに四日目だ。この先いつ洗うかわからないし、やれるときにやっておこう。
案の定、シャワーを浴びる時間は苦行だった。山中で確保できる水も少ないからなのか、シャワーの水量も少なく、お湯はチョロチョロと出るだけだった。分かっていたことだ。ここは山なのだから。
ヒマラヤは日が出ているうちはとても暖かいが、日没になるにつれて猛烈に寒くなる。
そう言えば、今日の道中でも街道沿いに住むシェルパは、午前中に髪を洗っていた。明るく暖かいうちなら洗った髪は良く乾く。
夜の準備は、昼間明るいうちに済ませなければならない。日本にいる時のように昼は昼の生活、夜は夜の生活とのんびりやるわけには行かないのだ。太陽に合わせて、自然のリズムで生活しなければならない。
■気付き、理解、適応
ネパールの道を歩いていると、【気付き】【理解する】【適応する】ことの大切さに改めて気付かされる。
ここでは日頃、日本で恵まれた生活を送っていると絶対にぶつかることの無い不都合、不便、不条理、抗えない環境条件など、自分にとって都合の悪いことが往々にして起こりうる。
そう言った外的要因しかり、自分の体調管理しかり。ここではとにかく、国や自然環境の大きな流れの中で、人が合わせていくしかない。
そこに気付くかどうか、理解して受け入れるかどうか、どうすれば良いのか考え適応していくことが大切なのだろう。環境や文化が違う所に日本と同じもの、自分と同等の価値観を求めても無理がある。無いものは無いのだから。
ここで僕はそんな基本的で、しかしとても大切なことを学び直している気がする。
サハデが出してくれたチャイはとても温かく、冷えた体に良く沁みた。寒かったら、温まれば良いだけなのだ。
■散歩
少しの読書の後、念願叶って僕は街を散歩することにした。明日もこの街に滞在する訳だから、余りくまなく見て回る必要はない。時間はたっぷりあった。
気になったコーヒーショップの一つに入ることにした。Wifiも充電も出来るから有難い。店内はカウンター、テーブル、ソファ席と一通り揃っていて、外見よりも広くなっていた。入り口に固まっていた男性グループの横を通るときに、聞きなれた言葉が聞こえた。どうやら、日本人のようだった。
コーヒーを飲み、棚にあったヒマラヤの写真集を手に取り、パラパラと捲る。ふと思い出し、妻に連絡を取ることにした。日本とネパールの時差は三時間程だから、恐らく晩そろそろご飯の時間くらいだろう。
話の内容は他愛の無いものだった。ここまでの報告と、これから標高が上がるにつれて通信環境が悪くなるから連絡しにくくなることを伝えた。久々の夫婦の会話なのだから甘い言葉のひとつでも掛ければ良い旦那だっただろうが、残念ながらそんな言葉は出せず仕舞いだった。
それでも妻には感謝をしている。きっと伝えられていないだろうけど、彼女の後押しなしでは旅は出来ていないことは間違いない。
「次はもう少しハッキリと伝えよう」
そう思った。
■サハデという男と、ガイドの価値
辺りが暗くなった17時半頃に、少し早いが夕食を取ることにした。言うまでもなくダルバートを食べる。ダルバート、実は大好きなんだ。
※ダルバートは、ネパールの国民食とも言える定番の家庭料理だ。ダル(daal=豆スープ)とバート(bhaat=米飯)、それにカレーやおかず(タルカリ)、漬物(アツァール)等が付く定食のようなもの。各家庭、各店でそれぞれ特長があって、どこで食べても大概美味しい。豆、いも、野菜がメインなのでヘルシーだと思う。
食後にサハデがフルーツを持ってきてくれて、それを食べながら話をした。一人旅でいる時に話し相手がいるのは嬉しいことだ。
山のことや彼の出身、家族のこと、旅のことを色々話した。中でも、ガイドについての話はお互い気が合った。
世の中には【激安】を求めてガイドを付けずに無茶な旅をするバックパッカーもいるが、それについてどう思う?という話だった。
サハデは言った。
「俺はおすすめしないのだ。だって危険じゃないか。道を間違えたらどうする?滑落したら?高山病になったら?下手したら死ぬ可能性だってある。」
そして、こう続けた。
「ヒマラヤで危険な状態になった時に、全て一人でやるのは無理がある。第一、君がそうなった時に、母国の家族はどう思う?君の友達はどう思う?」
説得力のある言葉だった。実際にここまで歩いた時点でも、また数年前にランタン谷を歩いた時も、単独の遭難者の話は聞いていた。
自分達でイチから旅をデザインしたい気持ちは良くわかる。ガイドを雇う金を節約しようと言う気持ちももっともだと思う。
ただ、それはケースバイケースだ。それで通る場所とそうでない場所がある。ヒマラヤは後者に当たると僕は思っている。
ガイドの仕事は、ただ単に宿や移動手段の手配、道案内にとどまらない。
まず第一に、彼らは旅人の安全を保証してくれる。僕達が安全に楽しく旅が出来るよう、最大限配慮してくれる。僕たちの健康状態を把握し、様子を見て、経験からペースを作る。怪我をしたときのフォローもそうだ。動けない時、意識が無い時、あるいは連絡手段を持たない時にヘリを手配したり、病院へ送ってくれるのも彼らだ。
また、ガイドは同時に僕達を楽しませてくれる。文化や歴史を語り、ランドマークとなるものを見落とさないよう教えてくれる。それを教えてくれることで、僕たちの旅はただ歩くだけでなく一歩深めることができるのだ。個人で全て調べるのは限界がある。知らないことは聞くべきだ。
何度も訪れたことがある国や場所ならば、情報や旅の精度も上がるのだろう。しかし果たしてそんな旅が出来る人がどれだけいるだろうか。大体の人は一度その国を旅したら、もう一度同じ国の同じ場所にと言うケースは稀だと思う。殊この道においては、山屋でもない限りなおさらだ。
従って僕は、ヒマラヤにおいてはガイドを雇って旅をするのも悪くないと思う。
前述した通り自分一人でやりたい気持ちは良くわかるし、僕もそうすることはある。これは否定的で断定的な意見ではない。
ただ、現地の話は現地の人に聞いた方が面白くて、任せられる事は任せてしまった方が効率的だと言う意見なだけだ。僕は僕なりに旅をより楽しむために、あくまでポリシーを持ってこう言う選択をしたと言う話だ。
■明日は休養日だから
ロッジは夜遅くなっても賑やかだった。今日ナムチェへ到着したトレッカー達のほとんどは、明日は高所順応の日としてナムチェ周辺に滞在するからだろう。「休養日の前日だからちょっと夜更かしして飲んでおこうか」と言う雰囲気は、さながら【華金】の様で笑えた。
僕はそんな楽しいひとときを端から眺めつつ、沢木耕太郎の「旅する力」を読んでいた。沢木さんの言葉が僕は好きだった。
入り口に近いテーブルでは仲の良い夫婦が笑顔で話していた。地図を見ながら、明日の旅の計画をしているのだろうか。
向かいの男性は黙々と日記を書いていた。まぁ、僕も本を読んだり日記を書くくらいしかすることがないから、彼は同類だ。
皆思い思いの時を過ごしていた。
サハデは先程の話の締め括りにこう言った。
「あー、俺達はさ、山を通して世界中で繋がっているんだよ。俺はヒマラヤを歩いて、君は日本の山を歩いてる。そう言うこと。俺達は仲間なんだよな。」
結局のところ、ガイドとゲストの関係云々はあるけど、山好きは山好きだと言うことだ。山が好きなもの同士、山の話が語れたらそれで最高だし、彼が僕にヒマラヤを語りたいように、僕は彼に日本の山を語りたい。そんなホスピタリティな話だった。
部屋に戻ってから、支度を済ませ一人では大きすぎるベッドの上で寝袋にくるまる。これが寝袋ではなく、布団だったら最高だったなと思った。
良い夜だった。灯りを消すと、外には月が出ているのが良くわかる。そのくらいカーテンの切れ間から差し込む月の光は明るく枕元を照らしていた。
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