僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.6
2018年11月18日
四日目(ナムチェバザール~クムジュン周遊)
■高度順応の日
※高度順応とは、人間の生体が高地(低酸素の環境)に晒された時、その環境に適応するために体内で変化を起こす反応のこと。高度順応は、高所における低酸素状態が引き起こす高山病、高地肺水腫や高地脳浮腫と言った命に関わる高度障害を防ぐために必ず行われる安全対策。ただし標高が8000mを超える環境では、人間は高度順応出来ないと言われる。エベレストを始めとする8000m級の山々で「デス・ゾーン」と呼ばれる由縁だ。
朝のひんやりと、それでいてキリッと張り詰めたような空気は、まるで山中でテントを張ってその中で迎えた朝のようだった。寝袋から顔を出すと、言うまでもなくそこはベッドの上だったのだが。あぁそうか、僕は昨日ヒマラヤのロッジに泊まったのだった。起き抜けの呆けた状態で直接肌に触れた外気に、どうも錯覚していたようだ。
寝ぼけ眼で食堂へ下り、ロッジのスタッフと挨拶を交わしたついでに朝食を頼む。ジャムたっぷりのトーストと、目玉焼きと、コーヒー。コーヒーには少し砂糖を入れて。
起床は7時。今日は高度順応の日に当てると言うことで、エベレストがハッキリと見える丘へ登り、その後イエティの頭部が祀られているとされる集落を回る予定だ。UMA(未確認生物)好きな僕からしたら、願ってもないチャンスが巡ってきた事に喜びを隠せない。
外に出ると、昨日干したTシャツは夜の寒さでカチカチに凍っていた。しまったなと思いつつ、でも日に当たれば乾くからとそのままにして出掛けることにした。
街はまだ起きてはいなかった。犬は朝飯を求めて徘徊し、子供は学校へ向かい、大人は店支度か、道の掃き掃除をしていた。ヒマラヤの一日は、今まさに始まらんとしていた。
昨日思った通り、やはり皆今日は休養日な様で、知った顔が何人も同じ丘を目指して歩いていた。【周遊】と言っても、クムジュン村(Khumjung,3800m)までは400mほど登らなければならないわけで、それなりにきついだろうななどと思う。
標高3400mを富士山で言うと、丁度八合目がそれに当たる。だから、まぁ大体胸突八丁を登って過ごす休養日と言うイメージでいれば良いのかな。(実際は胸突八丁ほどの急坂ではない印象なので、怖がらなくても大丈夫。)
朝の時点で調子は良いと思っていたが、それでも標高を上げると言うのは大変だった。少しずつ、少しずつ、ゆっくりのんびり歩いていくことにした。
■エベレストビューホテル
やがて丘の上に出ると、エベレストビューホテルと言うホテルから絶景を眺めることが出来る。
綺麗なホテルで、テラスからはアマダブラム、ローツェ、ヌプツェ、エベレストと言ったそうそうたる顔ぶれが勢揃いしていた。山好きならこの凄さが伝わるのだろうけど、他に何と例えたら分かりやすくなるだろう?
テニスで言えばフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、セリーナウィリアムズが腕組みして仁王立ちしているような絵面だろうか。
タレントで言ったらビートたけし、さんま、志村けん、上沼恵美子が真顔で鎮座しているようなイメージだろうか。
とにかく「おいおい、それはさすがに俺でも知ってるぜ」と思わず言ってしまうような、その位インパクトのある面子が勢揃いしているのだと言いたい事が分かって貰えたら嬉しい。
そんなヒマラヤの絶景をバックに記念撮影をしようと、僕はポケットから人形を取り出した。出発前に妻が渡したペンギンのぬいぐるみ(名前はぺんすけ)。それを置いて写真を撮っていると、やはり人の興味を引いてしまうのか、周りに人が集まってきた。
スイスから来た女の子は、可愛いと言ってぺんすけを撮っていた。スイスらしく、アルプスの少女ハイジのような明るい子だ。またある人は「俺も一緒に撮ってくれ!」と言って彼の持つ豚のぬいぐるみと一緒に写真を撮っていた。ホッコリとする時間だった。
余談だが…後に神保町を構えた時に、良くしていただいているお客様からこのホテルの所有者とはご縁があると言う話を伺うことになる。本当に、どこにどんなご縁があるかわからないものだ。
■クムジュン村
丘を下るとだだ広い土地に、緑の屋根の小さな民家が集まる集落が見えてきた。ここがクムジュン村(Khumjung)だ。この集落には学校や、噂のイエティが保管されるゴンパ(寺院)がある。
谷間を吹き抜ける風が音を立てる程度で、とても静かな村だった。なぜこの村の屋根は緑で統一されているのだろうか。ゴンパの屋根が赤である例外を除いて、どこもかしこも緑一色なのは不思議だ。
※後でガイドに聞いた話によると、緑色の屋根は、クムジュンが取り組む地球温暖化対策の意識統一のために塗られたと言う理由があるようだった。クムジュンは''green valley''を目指して植樹活動などに取り組む中で、「全員で1つのコミュニティ」と言う認識でいるための一環だとか。
イエティの【頭部】は、ゴンパの中でも一番豪華なお堂の中心に安置されていた。ご丁寧に説明書きまでされてある。壁一面に書物が保管されているようで、チベット仏教(ヒンドゥー教?)の僧が何やら修行に勤しんでいた。
イエティの頭部【であろうもの】は、確かにあった。子供の頃にいると信じていたもの。【ネッシー、イエティ、サンタクロース】等々。その殆どが現代科学や大人の事情で存在を解明されて来てしまったが、僕はイエティ位いてもいいんじゃないかと思っている。その方がロマンがあっていいじゃないか。人は誰だってロマンのある冒険に夢を見るのだから。ちなみにサハデは「そんなもんいない。」と言ってゴンパの外で待っていた。夢のない男め。
その後僕達は自分達よりよほど大きなマニ車を見つけて、どちらが大きな音を鳴らせるか競争した。静かなクムジュン村に、不信心な大きな音が鳴り響いていた。
静かな山歩き、町歩きは自然や文化に触れられる絶好の機会だと思う。一つ一つをしっかり目に焼き付けて、気になった特徴や物事の理由や由来を知ろうとすると、その一つ一つが学びとなり、糧となる。これも旅の醍醐味の一つだと感じるクムジュン周遊散歩だった。
■明日は我が身か
その日の夜は随分とロッジの人も増えて賑やかだった。僕は相変わらずダルバートをお腹いっぱい食べた。この宿のダルバートはニンニクが効いていて美味しい。
食後本を読んでいると、突然怪我をしたトレッカーが男たちに担がれて入ってきた。いったい何事かと思い、僕は本を閉じ視線を上げた。
僕はその怪我人に見覚えがあった。昨晩就寝時間まで僕と一緒に食堂にいた、あの仲の良い外国人夫婦だった。奥さんの方が足を痛めたようだ。
サハデもその介護に加わっていたので後で話を聞いてみると、夫婦は今日街道の先の村を向けて歩いていたのだが、奥さんが誤って崖から滑落したのだそうだ。骨折しており、これ以上先に進むことも、戻ることも出来なくなったため、シェルパ達が出動して連れ戻したと言うわけだ。確かに、この先の小さな集落にいるよりはナムチェにいた方が医療体制もマシだ。夫婦は明日ヘリコプターでカトマンズへ戻る。彼らの旅は、残念ながらここまでなのだそうだ。
「気の毒に…まさか自分が怪我をするとは思わなかっただろうな」そう思って僕はハッとした。
「僕も、同じことを考えていないか?」
突然、僕自身もまた自分は怪我をしない。自分だけは大丈夫と思っているのではと不安になってしまった。
ここまでは順調に来ている。ただし明日は?まだ全行程の3分の1しか終わっていないはずだろう?今日のように調子が良いからとピョンピョン飛び回っていて、けがの事は考えていたか?
落とし穴は思わぬところにある。やはりこの先は、調子に乗ることなく慎重にならねばと気を引き締めなければ。
■作戦会議
サハデとの夜の会議で、結局僕のエベレスト街道トレッキングの全行程は13日間で合意した。その中で、明日からゴーキョ街道を歩き2日間でゴーキョ(Gokyo)を目指し、その後チョラパス(Chola pass)と呼ばれる氷河を越えてエベレスト街道と合流し、エベレストBCへ向かうと言う内容だ。
ちなみにこの行程を日本でツアーを組んでいる会社のスケジュールで調べると、およそ20日前後で組まれていることが多い。それを13日でやりきるぞ、と言うのだからなかなか無茶させるなと思っていた。ただし、そういう展開でこそ燃えてしまうというのが悲しいところ。
加えて、ダイアモックスの服用も4000mを越えたところから服用し、5300mの氷河を越える所までにはしっかり効かせようと言うことで確認した。
※ダイアモックス(Diamox)は高山病予防薬として知られ、呼吸中枢を刺激することで呼吸回数を増やして酸素を増やす。また脳血管を拡張することで血の巡りを良くし、脳の低酸素状態を改善する。これは、日本で処方されるより海外で調達した方が安いとも言われている。なので、今回はネパールへ来てから用意することにした。ただし、飲めば飲むほど高山病に聞くわけではなく、サルファ剤アレルギーを持つ人が服用するとアレルギー反応を起こすので注意が必要。
僕は元々製薬会社で働いていたため、多少の薬の知識があるのは役に立った。
薬と言うものは本来治療の補助的な役割を果たすものであって、ましてや登山において薬頼みで登るなんてもっての他だと思っている。高所を歩く上で大切なのは水分補給と息を切らさず、充分に酸素を吸ってゆっくり歩くこと。絶対に薬があるからと過信してはいけない。
そういう意味で13日間と言う期間は一つ不安材料ではある。(この予定は、僕が希望した都合もある)結局のところ、これが出来るか出来ないかは、自分の行動次第と言うところだ。
今日は充分に休養と運動をしたから、早めに寝よう。4000mを越える世界はあまり経験がなかったので楽しみだった。
そう言えば、今日日本人の単独トレッカーがロッジに入ってきていたな。かなり息があがっていてしんどそうだったな…明日の朝には体調が戻っていたら良いけれど…
そんなことを考えながら気づけば僕は眠っていた。結局、彼とは朝会うことはなかった。楽しく歩けるようになればいいのだが…。