『MOTHER』の話
神保町裏路地日記(56)
2024/12/29㈰
任天堂から発売された『MOTHER』と言うロールプレイングゲームがあります。MOTHER1から3まであって、一番最初はファミコンで発売されたゲームです。『ファミコン』って凄いよね。今の子供たちからしたら、きっと原始のゲームに思えるでしょうね。MOTHERはファミコン、MOTHER2はスーパーファミコン、MOTHER3はゲームボーイアドバンスと、シリーズが時代と共に移り変わっていった作品です。
コピーライターで、今は『ほぼ日』の糸井重里さんがゲームデザインを手掛けたこともあって、ゲームの細かいところにユーモアが散りばめられている作品で、当時から今もまだ根強いファンが多く、当然僕もその一人です。何度プレイしても新鮮で、なつかしい。
少年少女の時分にプレイしたことがある人なら、誰しも思い出に残っているゲームがあると思います。僕にとっては『MOTHER』はその一つ。と言うよりむしろ筆頭。MOTHERに育てられたとさえ言えるほどの当時の衝撃。CMキャラクターに木村拓哉が起用され、「こどもはおとなに、おとなはこどもになってゆきます。」のコピーに惹かれて親父にプレゼントをせがんだ事も覚えています。僕が最初にプレイしたのはMOTHER2でしたから、ドキドキしながら箱を開け、スーパーファミコンに差し込んでワクワクしながら画面を見つめたことも覚えてる。
最初にプレイしたのは小学生の頃。改めてプレイしたのは大学生になった頃。大学生になると、小学生の頃にはわけが分からなかった言葉の意味や登場人物の心情が理解できるようになって、物語の意味が変わって来ることに気付いてまた衝撃を受けた。「こどもはおとなに、おとなはこどもに、なってゆきます。」のキャッチコピーも、ジワジワと心に溶けてゆく。MOTHER2で感動した僕は、次にMOTHERとMOTHER3をやってみました。MOTHER3は凄く感情移入したけれど、大学生の僕にはファミコンのMOTHERは『まだ早かった』。時代を遡った、単純な作りであるはずのファミコンソフトに、僕の感性はまだ追いついていなかったのです。
初期の『MOTHER』にようやく追いつけたのは今年。僕にとって15年以上ぶりの2度目のプレイ。改めてじっくりやり込んでみると、作品の細かさに気付くようになった自分に気付く。というよりも、作品の細かい部分まで『理解したい』自分が目を凝らしていると言う感覚の方が近いかもしれません。言葉の優しさが染みる。キャラクターの行動が染みる。自分のかつてを思い出しながら、主人公と共に旅をすることが楽しい。自分にとってそういう気持ちになれる作品か人生でいくつあるか、今はまだ数えたことはありませんが、整理したらまずMOTHERを挙げずにはいられないでしょう。
こんなにMOTHERを推しているのも、今年改めてやってみようと思ったのも、全てはご縁から。今年はMOTHERノ開発に携わった方からお話を聞く機会があったからです。もう、お客様として来て下さっているにも関わらず、恥ずかしながら立場をわきまえず想いをぶち撒けてしまった。「ここで伝えないと!」みたいな時って、思わず言葉が先に出ちゃうんだなって。
とは言え、今年まだMOTHER2はプレイ出来てないんですよ。というのも、MOTHER2は妻に先にプレイしてみて欲しかったから。妻はそんなにゲームが得意でないから、まだ物語も序盤なんです。ちょっとずつやってくれている。それを横で黙って見ているのも、結構楽しいもんで。