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『夕日』の話
神保町裏路地日記(55)
2024/12/28㈯
先週末に高尾山に行ってきました。目的は毎年冬至の頃に見られる『ダイヤモンド富士』を皆で見ること。その頃は高尾山から見る夕日が丁度富士山の頭に沈むことからそう呼ばれているそうです。毎年たくさんの人達が高尾山の山頂に集まって、太陽の沈む一点を見つめながら一日の終わりを共有する。
これがですねぇ、なかなか良いんですよ。寒いとか、帰り道が暗いとか、そもそも高尾山に登るのがちょっと…っていう意見も分かるのですが、終わってみれば「今年も来られて良かったね」と思える僕の中では結構重要な行事だったりします。
それで、今その山行記録をどうまとめようかを考えています。毎月一回開催しているお店の有志で行く山の会では毎回僕が山行記録をまとめさせて貰っていて、何かしらのテーマを持って書くようにしています。高尾山の紹介ばかりしてもありふれていて仕方ないよなぁなんて思いながら、『今年最後の山行記録に相応しい内容』を模索しています。いやら実のところもうテーマは決まっているんですよ。これだろっていうものは大体「書くぞ!」って思った時に頭に浮かびます。問題はそれをどう形にするかです。
今回のテーマはやっぱり『夕日』です。『皆で夕日を見る』ことについて書くのが一番相応しいだろうと思います。けれど、ただ「皆で夕日を見れたのが良かった。感動した。良い一年だったなぁ。」で終わっては自分の学びにもならないよなぁと思うので、それを何と結びつけるかは考えものです。
考えた結果、今年は『山と山岳信仰』について色々と調べさせてもらったので最後まで信仰と絡めてみようと思います。その中の内容の一つに、『日想観』と言う修行法についても書いてみようと。詳しく書き始めると字数が多くなってしまうのでそれはまた改めて山行記録でまとめようと思いますが、日想観というのはざっくり言えば『静かな心で夕日を見ながら自分自身の内面と向き合う修行法』らしいです。
調べてみると「そう言うの大事だよな」と思ったり、「何となく意識せずにやっていたよ」と思う人も少なくないだろうなと予想するのですが、それってもう既に僕達の中に息づいているものなんだろうと思います。人としての本能なのか、自覚せずとも既に刻まれている、古来から脈々と受け継がれた感性なのか。そう言うことを少し掘り下げてみるのってすごいロマンがあるなぁと思うのです。僕って、結構ロマンチストなんですね。
さ、今日の営業の準備をしようかな。