【夫婦巡礼】無職の夫婦が800km歩いてお店を出す話【旅物語】No.39
巡礼32日目
サンタ・イレーネ(Santa Irene) ~ サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)
とうとうこの日が来た。
■追想の道
巡礼の最終到着点である聖ヤコブの眠る街までの23kmを、僕達はゆっくりと歩いた。
天気は曇ったり、晴れ間が出たかなと思えば突然雨が吹き付けてきたりと目まぐるしく変化する。今日もガリシア地方特有の気候の洗礼を受けながら歩いた。この気分屋な気候も、巡礼者の身を清めるための洗礼だとしたら素直に受け取れるのに。
今日も僕達の歩みは遅かったが、それは足の痛みだけではなかった。もちろん足の痛みは顔を歪めるほどだったが、それよりも、これまでの旅を振り返ることで、後ろ髪を引かれるような気持ちになっていたことが原因だった。
道中、トムに会い、チャオ魔人にも会う。彼のイビキにはスビリで泣かされたけど、今となってはいい思い出だ。
多分、僕達夫婦はそれなりに仲良く歩いたと思う。離婚危機のような大きなトラブルもなく、何度か僕がヘソを曲げたくらいで済んだ。【済んだ】と言えるのは、それを受け入れた妻がいたからこそ言える言葉だ。彼女でなければ、僕達の巡礼はどうなっていたか分からない。
互いに思いやり、助け合う旅だったと思う。少なくとも僕は、これ以上無いパートナーだと思えた。そう言う気持ちになれるような800kmを、僕達は積み重ねてきたのだ。
■到着そして再会
モンテドゴッソの丘を越え、サンティアゴ・デ・コンポステーラ郊外に入った。その入り口で写真を撮る。
ライアンとの約束の時間が迫っていた。妻はまだ何も知らない。
「15時までに到着しなければ」
小雨降る大聖堂までの道のりを、僕達は早歩きで駆け抜けた。僕の焦る姿を不思議がった妻には
「15時の鐘の音を広場で聞きたいから」と誤魔化した。
迷路のような街を駆け抜ける。気付けば二人、小走りになっていた。流しのバグパイプ奏者の音色が街に響き渡る。
急いで石段を下り、暗がりの門をくぐり抜ける
逆光によるあまりの眩しさに、目を閉じた。世界が一瞬だけ暗くなった。
目を開けた。
眼前に大きな広場が広がっていた。左手には、大きな大きな大聖堂が聳え立っている。何度も、何度も思い描いた大聖堂がそこに在った。
時間は?15時を5分過ぎていた。ライアンたちはまだいるだろうか?
妻も僕もゴールに対して言葉がない。ただただ呆然と立ち尽くし、やっと出てきた言葉も
「着いたねぇ」
の一言だけで、お互いに実感が湧かないでいる。
僕はライアン達を探した。振り返り、回廊の石柱の影から様子を窺う彼らを見つけた。僕は妻に気づかれないよう彼女に正面を向かせ、そして右手を挙げて合図した。
「おめでとーーう!!」
そう叫びながら飛び付いてきたライアン達に妻は一瞬固まり、そして状況を理解したのか泣き出した。
実は妻は、サリアからの数日間、毎日韓国人三人組の事を気にかけていた。ゴールで会えるかなぁ、会えたらいいねと願っていた。
そんな彼女を見ていたから、僕はどうしても会わせてあげたかった。
だって、旅の苦労を一番分かち合ったのはライアン、ヨンチャン、クラウディアちゃんの三人だったから。願わくば一緒にゴールを迎えたかった仲間との再会は、妻の希望であり、同時に僕の望みでもあったのだ。
長い長い旅の中で艱難辛苦を乗り越えた仲間に対してお礼を言いたかった。祝福したかった。
彼らに再会し、妻の安堵した顔を見たとき、僕はこの旅に終わりが訪れたことをようやく自覚したのだった。
ヨンチャン無しで記念撮影をした。(彼は体調不良だったらしい)
あれだけ僕達を掻き乱したガリシアの雨は嘘のように止み、大聖堂の上にぽっかりと青空が広がっていた。まるで神様が再会と到着を祝福するかのような、これ以上無いタイミングと美しい空だった。
■"仲間"の大きさ
色んな人にあった。とても全ての思い出を書ききれそうにない。
アドリアン、ジャーマンブラザーズ、トムにも会った。アドリアンと抱擁し、再会を喜ぶ。何度目の【チェ ボルード】だろう。
彼がいなければ、僕の旅はもっと淡白なものになっていたと思う。彼がいなければ、もっとスペイン語を話せなかっただろうし、ホルヘとも、イマイア達とも仲良くなれなかった。フォンセバドンの悪夢の時も僕達のために宿探しに奔走してくれたことも、きっと忘れないよ。
宿を探していると、ホルヘ達に会った。パティとリリィも一緒だ!良かった。皆無事ゴールしたんだね!
全員が最高の笑顔だった。
「俺の泊まっている宿が空いているから、良かったら来なよ。」
ホルヘがそう言って誘ってくれた。彼が積極的に誘ってくれることなんてあまりなかったし、僕達は喜んで誘いを受け入れた。
少し歩いただけでたくさんの仲間とすれ違い、その度に足を止めて喜び合うものだから全然話が進まない。それだけ、僕達は仲間に恵まれた。僕達の旅は、常に優しい仲間たちと共にあったとしみじみと感じさせられた。
■コンポステーラ(巡礼証明書)
アルベルゲで荷物を置いた僕達は、コンポステーラ(巡礼証明書)を貰いに事務所に向かった。事務所は、物凄い行列で驚いた。こんなに人がいるのか?
近くのバルで、トムが酒を飲んでいた。聞くと二時間半は待つとのことで、彼は諦めて酒盛りしていたのだった。
「こんなに歩いたあとにまだ並ぶなんて、僕は信じられないね」
トムはそう言って笑っていた。
正直、長い列を成して貰うコンポステーラに対して何か感慨深い気持ちになれたとか、僕の場合はそう言う感情はあまりなかった。
証明書は「歩きました」と言う事を第三者に認めてもらうための紙と言うだけだった。そしてその証明なら、僕はもう既に持っていた。
妻と歩いた道のりと、仲間と過ごした日々と記憶が、そのまま僕の巡礼証明だった。思い出と、道で学んだことが、そっくりそのまま証となって僕の胸に深く刻まれていた。
それだけで、僕はもうお腹一杯だったのだ。
※そんなこと言いながらしっかり証明書は貰う辺りが、何とも格好の付かない話なのだけど。
受付の女性にクレデンシャルを渡し、確認して貰う。もし不備があればコンポステーラは貰えない。
「私がしっかり確認しますからね」
そう言って女性は長いことクレデンシャルを眺めていた。そして何度も見直したあと、彼女は僕の目をみて言った。
「おめでとう。完璧ですよ」
僕は笑顔で「グラシアス」と言った。
正式に?僕達の巡礼が認められた瞬間だった。
■夕食の誘い
記念すべき到着の日の夕食は、やっぱりケバブだった。僕達の旅は、ケバブに始まりケバブに終わるのだ。だって安くて、大きくて、お腹一杯になるんだもの。これ以上コスパの良いご飯を、僕らまだ知らない。
宿に戻り、あとは寝るだけ。と言うとき、ホルヘとマリエラちゃんに誘われた。
「良かったらちょっと飲みに行かないか?」
僕達は快諾し、近くのバルヘ。パティとリリィも一緒に来てくれた。
半地下の隠れ家のような静かなバルで、円卓を囲み、サングリアとビールで乾杯した。そして、五人の最後の夜を過ごした。
実はこの中で英語が出来るのはマリエラちゃんだけで、その他はスペイン語しか話せない。だから、そんなに深い話をした訳じゃなかった。皆の仕事とか、歩く理由とか、そう言う話を少ししただけだった。
とても楽しかったし、同時に歯がゆかった。もっと共有したい思い出はたくさんあるのにな。もっと感謝を伝えたかったが、なかなか難しい。
僕が、スペイン語を話せるようになれば良いだけだ。
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帰りがけ、カテドラルの前の広場でストリートバンドのかき鳴らす音楽を背に皆で踊った。今日もやっぱり楽しい夜だった。
アルベルゲについて部屋に戻る。
これで明日から皆で歩くこともないんだな。そう感傷に浸っていると、ホルヘが僕を呼び止めた。何だろうか。
ホルヘはケータイを取り出して、翻訳アプリを見せた。
「明日フィステーラへ行くから、今夜で最後だな」
そう言って、ハグしてくれた。これにはけっこうグッと来た。お互い、同じこと考えているんだな。必ずまた会おう。僕達は男の約束を交わした。
明日は井ノ原氏も、おそらくももちゃんも到着するだろうな。迎えに行ってあげたいな。
正午のミサにも行かないと。
そして夜にはスティーブとの約束だってある。歩き終えたら終えたで、やることは山積みだ。
歩き終えたにも関わらず、明日がどんな一日になるか想像も付かない。
昨日までと違うのは、これ以上歩かなくても良いと言うこと。何だか、いつもとは違うワクワクで僕はなかなか寝付けなかった。
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サンタ・イレーネ(Santa Irene) ~ サンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)
歩いた距離 23.5km
サンティアゴまで 残り0km
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