僕が見た世界【ネパール エベレスト街道】No.8
2018年11月19日
六日目(ドーレ~ゴーキョ)
■信じられないけどリアルなこと
ネパール滞在六日目。初日はカトマンズ(Katmandu)で準備の日にあてたため、トレッキングを初めてからは五日目と言うことになる。
ほんの一週間前にはまだ日本にいて仕事をしていたと言うのに、今の僕は''あと少し山を越えればチベット''と言う所まで来ているだなんて。にわかには信じられなかった。
だがしかし、現実に僕はもうそんなところまで来ていたのだ。目の前に聳える夕日に赤く染まった山は間違いなく世界第六位の高峰チョ・オユー(Cho・oyu,3201m)だった。少しもフィクションの話などはなかった。僕が立って、見て、聞いて感じている世界は間違いなくリアルだった。山も氷河も雲も全てがそこに確かに存在していたのである。
■予定外の進捗の理由
しかし本当を言うと、今日の目的地はゴーキョ(Gokyo,4750m)ではなかった。本来の目的地はマッチェルモ(Machhermo, 4410m)だったのだが、今日の僕はすこぶる快調だったために目的地を先に伸ばしたのだ。
今日一日で上げた標高は640mなので、ナムチェバザール(Namche Bazar,3440m)から二日間でおよそ1300m登ったことになる。ナムチェで順応日を作ったとは言え、予想外に自分のペースが速いことに僕は少し不安も感じていた。
※一般的に高山病が発症しやすいとされるのは、一日に500m以上標高を上げたときだと言われる。そのため高所で500-600m登ったら一日休養して順応日を作りましょうと言うのがルールだそうだ。
そこまで快調に歩けたのは理由があった。それは好天と、景色の変化のせいだった。
まず今日はトレッキングを始めて五日間のうちで最も天気が良かった。太陽が出て暖かかったのだ。
そしていよいよ景色は森林限界を越えて、ヒマラヤの荒野となった。ゴーキョへ続く街道はエベレスト街道からは逸れるため、トレッカーは少なく静かだった。聞こえるのはドゥッコシ川を流れる水の音、ヒマラヤを吹き抜ける心地よい風、それと鳥の囀り程度だった。川沿いを歩けばゴウゴウと音が鳴り響き、川を遠ざかると川の音は止み、風が砂を巻き上げるときにザザッと音を立てた。天敵のいない鳥達はのびのびと謳っていた。ヤクは静かに草を食んだ。
それ以外に周りに何もなく、音は自分の息遣いと足音だけだった。とても疲れたには違いないのだが、静寂の荒野は心地よかった。ずっと歩いていたいと思うほどだった。だから僕は予定を越えて二日分も歩いてしまったのだった。
■妻と歩きたい道のこと
僕は歩きながら、妻と歩いてみたいスペインの巡礼の道の事を考えていた。
※サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼の道のこと。実際にこの約半年後、僕達は旅に出ることになる。その時の800kmに及ぶ旅のことも書き記したので、もし宜しければご一読くださいませ。(下記リンク参照)
「やっぱりあの道を二人で歩いてみたい!」
考えれば考えるほど、僕は強くそう思った。二人で一歩一歩進んだ先にどんな世界があるのか見てたいと思った。
無理に歩ききれと言うわけでも、ましてや無理に山を登らせようと言うわけでもない。僕はただ二人で歩きたいのだ。人生に一度あるかどうかの時間を、ただ共に過ごしたいだけなのである。僕にとって妻は「共に歩きたい」と思う唯一の存在なのだとその時改めて強く感じていた。やがて歩き続けると突然浅葱色の湖が現れた。
「ドゥドゥ・ポカリって言うんだよ。」
サハデが教えてくれた。遠目から見た浅葱色に染まった湖は絵画のように美しかった。そしてその湖畔には幾つかの宿が見えていた。その宿が集まる集落こそが、僕達の目指した第一の目的地ゴーキョなのである。
■日本語での会話
ロッジに着いてから背負っていた荷物をおろす。足を止めると一気に疲れが噴き出してきた。とにかく早く水分がほしい。僕は小屋番に頼んでレモンティーを用意して貰う。砂糖をたっぷり入れて飲むと、脳天から身体中に栄養が行き渡ったような気がしてようやく僕はひと息つくことが出来た。
ロッジには珍しく日本人の男性がいた。矢口さんと言う面白い方だった。
友人と日本百名山を制覇して、満を持してエベレスト街道に来たそうだ。そこまでは良かったのだが、その後にトラブルが待っていた。相方が仕事で急に帰国せざるを得なくなったのだ。一緒に帰国することも考えたが、既に支払ったガイドの料金が勿体ないと思い止まり、今は矢口さんとガイドとポーターの三人で旅をしている。
矢口さんは話し上手の聞き上手だった。ここでもやはり出たのは山の話や旅や仕事の話。時間にして一時間程度だったかもしれないが、お互いに思いっきり聞いて思う存分話した。そうすることでお互いにストレスを発散したのだと思う。ここまでずーっと英語で話し続けていたのだから無理もない。気付かぬうちに気が参っていたのかもしれないなと思った。奇しくも二人夕食はチョウミンだったので、それが同じ釜の飯を食う仲間のような意識を助長したのかもしれない。とにかく楽しい時間だった。
一通り話し終えた矢口さんは、ガイドに呼ばれてそちらへ戻っていった。不思議なことに到着時に感じた頭痛はいつのまにか消えており、食堂から見えるチョオユーは夕日に照らされ真っ赤に燃えていた。
■余談(ヘリコプターについて)
どこで聞いたか忘れたが、誰か日本人が「ネパール人はすぐにヘリコプターを呼びたがるんだよ」と愚痴をこぼしているのを耳にした。この認識は僕は違うと思う。
彼らにとっては、ヘリコプターを呼ぶ行為が最善なのだ。
例えば標高3000mを超えた世界で、下山するのに車が使えず歩くと3日以上かかるという場合を考える。その時果たして僕達は自力下山出来るだろうか?あるいは自力で歩けない場合、ガイドに背負って貰うのだろうか?
いずれも現実的な解決策ではない。ヒマラヤの山奥は不便だ。国も違えば日本の登山の認識が通用しない場面だってあるだろう。彼らにとっては、ヘリコプターで一気に来て一気に帰ることが最も効率が良いのだ。
彼らは日本人のトレッカーの多くが保険に入っていることを知っている。(むしろ、それを前提としている所さえある。)だから「保険で支払われるからどんどん使った方がいい」と言う人もいる。そのための保険なのだから。
それでいて「保険に入ってないから嫌だ!」と言う人がいるならば、それは個人の責任だ。登山計画書を作らなければ山に入るべきでないのと同じように、海外でトレッキングをするならリスクを考えて保険に入るのは常識なのだから。それをさも常識知らずのようにネパール人のせいにしようとする声を聞くのは、僕は違うのではないかと思った。
■明日は早出
とにもかくにも、僕達は一つ目標をクリアする目前まで来ている。明日は朝まだ夜が明ける前に山に登り始めて、日の出をゴーキョ・リの頂上で見る。これがこの旅の一つの目標だ。
ただひとつ心配なのが体調面。今日思い切って二日分歩いた事が明日にどう影響するかだけが気掛かりだ。場合によってはゴーキョで一日のんびりすることも出来るが、もし高山病が出るとなれば下山しなければならない。そうなれば「せっかくここまで来たのに勿体ない」なんて言ってもいられなくなるだろうな。そうなった時に、勇気ある撤退が出来るだろうか。
考えれば考えるほど不安は尽きないが、体調面のリスクにこれだけ考えられるほど自分はこの旅にこだわりを持って来ているのだと考えさせられた。
たかだか5000mの山に大袈裟なと言われればその通りだが、それでもこの旅は間違いなく自分自身にとって大きな存在となっている。【5000m】と言う壁をひとつ越える所に、僕は人生の殻を破るきっかけを求めていたのかもしれない。