春酒の季節(Scene5)
急に暖かくなったかと思えばまた寒くなってしまったり、ここ最近は着たり脱いだりが忙しい。暖かくて風が気持ちいいから入口のドアを開けておくかと思えば、花粉のせいか鼻がムズムズする。だけど、まだ認めない。僕が鼻をすすっているのはきっと目の前で切っている葉たま葱のせいだから。
お客さん達は気温に敏感だ。その日が暖かい、寒いによって日本酒も冷で飲むか燗で飲むかを切り替える。酒が飲めない店主からすると、気分や気候で飲み方を変えられるのは粋で羨ましいと思う。
まだまだ店では熱燗の出が良いのだけれど、酒屋の店頭には続々と“春酒”が並び始めた。可愛らしいピンクのラベルに淡く霞んだにごり酒もあれば、気分がアガるような香り高い酒もあるのが春酒の特長。フレッシュなしぼりたての時期から落ち着いた燗酒の時期を経て華やかな春酒が来ると、皆が「そんな季節だねぇ」と言う。
まぁ、若干早い。春にはまだ早い。皆もそれは分かっている。このままだと多分、春本番の3月から4月の頃には皆春酒も飲み飽きてしまう。消費者は皆そう思ってる。そんな事も思ったりするのだけど、いざ本番に酒が無いということが無いようにだとか酒蔵や酒屋にも都合があることも考えればこんな時期から店頭に並ぶのも仕方ないと割り切っている。
それでもやっぱり、春酒が出てくると季節の移り変わりを感じるようになった。酒で季節を感じられるのは日本酒の良いところ。早いよとは言いつつ、心の何処かでは嬉しくて、少しウキウキしている。うちで取り扱っている酒の大半は千葉の日本酒だけど、だいぶ品揃えが良くなってきた。ちょっとだけ、千葉の春酒を紹介しておこうかな。
不動 出羽燦々おりがらみ
不動 出羽燦々おりがらみ 純米吟醸無濾過生原酒
使用米:出羽燦々(山形県産)
精米歩合:55%
アルコール度数16%
1本目は鍋店の不動シリーズから。異彩を放つショッキングピンクの出で立ちは一度見たら忘れない。不動のおりがらみを見ると「春が来るぜ」と思う。
開栓してみると「プシュッ」という気持ちの良い音がする。発酵由来のガス感が瓶内に充満しているからで、開栓と同時に抑えきれない春の香りが飛び出してくる。顔を近づけると甘く華やかな香りが鼻を突く。何となく春酒というと、こういう華やかな吟醸香のイメージが先行するんだよな。
香りに期待しながら飲んでみる。フルーティーな吟醸香から少し落ち着いたお米の味がする。美味しい。甘みが、甘酒を飲んでいるようでホッとする。年々不動のおりがらみはクオリティを増しているように思う。今年は珍しくピンクの不動も大量にリピートしたのだけど、それももう春を待たずに終わってしまいそう。
福祝 かすみ酒 特別純米
福祝 かすみ酒 特別純米 無濾過生原酒
使用米:山田錦(兵庫県産)
精米歩合:55%
アルコール度数16%
続いては君津市久留里の藤平酒造さんの福祝。久留里は千葉県でも指折りの名水地と言われていて、そこで採れる中硬水で仕込まれる福祝はコクとキレが抜群に良い。今回の春酒も凄く良い。
山田錦を使って造られた今回の春酒は、香りが良くて味わいにキレがある。にごり酒特有の甘みというよりは、そこは抑えられてややドライさを感じさせてくれるくらいだ。これは好きな人はついつい盃も進んでしまうだろうなぁ。乾杯酒でも食中でもイケそうなバランスの良さ。
何となく、不動が【綺羅びやか、艶やか】と表現するとしたら福祝は【可憐さ、奥ゆかしさ】を表現した春酒という感じ。どっちも凄く良い。すてき。
Ocean99 凪 springmisty
Ocean99 凪 springmisty うすにごり無濾過生原酒
使用米:きたしずく(北海道産)
精米歩合:50%
アルコール度数15%
期待の新鋭、柳下杜氏の造るOcean99の春酒が今年は大幅にスペックチェンジしてきた。柳下杜氏は中高時代のテニス仲間で、「めちゃくちゃ良いヤツ」と思って勝手ながら凄く応援している。
そんな彼が造るOcean99は、地元を大切にする寒菊銘醸が、四季折々に様々な表情を見せる九十九里浜をイメージして醸すというコンセプトから生まれたブランドだ。
『季節ごとの九十九里の風土を、季節感を含めて自分たち自身が理解して表現することが、この地で醸すことの意味の一つ』という蔵の姿勢が地元で生まれ育った僕は嬉しい。
大幅なスペックチェンジというのは、一つは原料米を変えたことにある。昨年まで雄町という酒米を使っていたものを、今年は北海道産きたしずくに変えた。もう一つの変化は、昨年までの純米吟醸から更に精米歩合50%まで米を磨いて純米大吟醸まで引き上げた。この2点でお酒の印象は大きく変わる。
個人的には昨年までの雄町よりも今年のきたしずくの方が断然好き。より爽やかで輪郭がはっきりした気がする。甘味と酸味のバランスも良い。飲み始めから終わりまでがスムーズで気持ちいい。
正月から春にかけての九十九里の海は波の輝きが美しいと思う。キラキラした海は風も爽やかで、何となくスタートという感じがする。
“スタート”と言えば、九十九里浜は千葉県の東端で在ってここから太平洋が始まるわけなのだが、子供の頃は海に遊びに行くと大きな海を前にして「この海の向こうにアメリカがあるのかぁ」と言って想いを巡らせた記憶がある。九十九里浜は僕にとって『新たなスタート』『始点』なのだ。今回のOcean99は、そういう『はじまり』を感じさせるような軽快さがある。
不動が【綺羅びやか、艶やか】
福祝は【可憐さ、奥ゆかしさ】ときて、
寒菊は【溌剌とした明るさ、朗らかさ】を感じる。
季節のお酒は刹那的でいい
調べてみて、飲んでみて、何となく例えてみたけれど、三者三様で味も印象も違うのがテイスティングしていて楽しい。
これを読んでくれた人がお店に来てくれたとしても、その時にこのお酒があるとは限らないのも日本酒の面白いところ。その時その時に出会える酒は変わるもの。季節の移り変わりと同様に、日本酒も季節毎に移り変わる。特にこういう季節のお酒はね。
千葉酒をメインでやっているおかげで、少なくとも千葉の酒蔵の移ろいは見逃さないでいられる。
「今年も来たね」
「また来年ね」
そうやって酒にふれていられる僕達は、結構幸せ者かもしれないと思ってる。