おぐしみき@サワディシンチャオ

2000年から東南アジア各国で料理研鑽。18年間営業の東南アジア料理店サワディシンチャオを閉店し奥河内に引っ越し。レシピ紹介と料理教室、出張料料理会をするつもりがコロナで延期中。料理人になる前は20年に渡りマーケティング、ライター、プランニング、外食コンサルティングしてました

おぐしみき@サワディシンチャオ

2000年から東南アジア各国で料理研鑽。18年間営業の東南アジア料理店サワディシンチャオを閉店し奥河内に引っ越し。レシピ紹介と料理教室、出張料料理会をするつもりがコロナで延期中。料理人になる前は20年に渡りマーケティング、ライター、プランニング、外食コンサルティングしてました

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    ミャンマー・モン族の手織り大判ショール(赤系)

    とても滑らかな肌ざわりのミャンマー・モン族の工房で選んだ手織り大判ショール (幅70㎝×長さ170㎝) 南ミャンマーの古都バゴーは、13世紀から18世紀まで下ビルマの王都として栄えた街です。今は州都として賑やかなこの街の一角に当時国を治めていたモン族の村が残り、そこに素晴らしい手織り工房が一軒あります。 私は、3年前に初めてここを訪れ、その織物のすばらしさに感動。その後、ミャンマーに行く度に必ず立ち寄ってお気に入りを集めています。 このショールは綿織物ですが、その手触りはまるで絹のよう。 とても大判なので、折り方によっていろんな楽しみ方ができます。防寒用に、おしゃれのアクセントに、1枚あるとたいへん重宝するショールです。 【注意事項】 ※掲載写真は、撮影時及びお客様がご覧になっている使用環境によって、実際の商品のイメージと多少異なる場合があります。 ※ミャンマー・モン族の手織り職人によるハンドメイド製品のため、サイズや仕上がり等にバラつきがあります。また手織製品はその特質上、織りムラ、織りキズ等が発生いたします。 ※商品には洗濯表示・素材表示タグは付属しません。  ※ 洗濯も粉石鹸で洗濯機使用の場合においては、色あせもなく普通に洗濯できます。合成洗剤はその限りでないかもしれません。その場合は、手洗いでお願いいたします。 以上の点をごあらかじめご理解ご了承の上、お買い求めくださいませ。
    4,200円
    ogushimiki
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    ミャンマー・モン族の手織り大判ショール(茶色系)

    とても滑らかな肌ざわりのミャンマー・モン族の工房で選んだ手織り大判ショール (幅70㎝×長さ170㎝) 南ミャンマーの古都バゴーは、13世紀から18世紀まで下ビルマの王都として栄えた街です。今は州都として賑やかなこの街の一角に当時国を治めていたモン族の村が残り、そこに素晴らしい手織り工房が一軒あります。 私は、3年前に初めてここを訪れ、その織物のすばらしさに感動。その後、ミャンマーに行く度に必ず立ち寄ってお気に入りを集めています。 このショールは綿織物ですが、その手触りはまるで絹のよう。 とても大判なので、折り方によっていろんな楽しみ方ができます。防寒用に、おしゃれのアクセントに、1枚あるとたいへん重宝するショールです。 【注意事項】 ※掲載写真は、撮影時及びお客様がご覧になっている使用環境によって、実際の商品のイメージと多少異なる場合があります。 ※ミャンマー・モン族の手織り職人によるハンドメイド製品のため、サイズや仕上がり等にバラつきがあります。また手織製品はその特質上、織りムラ、織りキズ等が発生いたします。 ※商品には洗濯表示・素材表示タグは付属しません。  ※ 洗濯も粉石鹸で洗濯機使用の場合においては、色あせもなく普通に洗濯できます。合成洗剤はその限りでないかもしれません。その場合は、手洗いでお願いいたします。 以上の点をごあらかじめご理解ご了承の上、お買い求めくださいませ。
    4,200円
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    ミャンマー・モン族の手織り大判ショール(薄茶系)

    とても滑らかな肌ざわりのミャンマー・モン族の工房で選んだ手織り大判ショール (幅70㎝×長さ170㎝) 南ミャンマーの古都バゴーは、13世紀から18世紀まで下ビルマの王都として栄えた街です。今は州都として賑やかなこの街の一角に当時国を治めていたモン族の村が残り、そこに素晴らしい手織り工房が一軒あります。 私は、3年前に初めてここを訪れ、その織物のすばらしさに感動。その後、ミャンマーに行く度に必ず立ち寄ってお気に入りを集めています。 このショールは綿織物ですが、その手触りはまるで絹のよう。 とても大判なので、折り方によっていろんな楽しみ方ができます。防寒用に、おしゃれのアクセントに、1枚あるとたいへん重宝するショールです。 【注意事項】 ※掲載写真は、撮影時及びお客様がご覧になっている使用環境によって、実際の商品のイメージと多少異なる場合があります。 ※ミャンマー・モン族の手織り職人によるハンドメイド製品のため、サイズや仕上がり等にバラつきがあります。また手織製品はその特質上、織りムラ、織りキズ等が発生いたします。 ※商品には洗濯表示・素材表示タグは付属しません。  ※ 洗濯も粉石鹸で洗濯機使用の場合においては、色あせもなく普通に洗濯できます。合成洗剤はその限りでないかもしれません。その場合は、手洗いでお願いいたします。 以上の点をごあらかじめご理解ご了承の上、お買い求めくださいませ。
    4,200円
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    ミャンマー・モン族の手織り大判ショール(赤系)

    とても滑らかな肌ざわりのミャンマー・モン族の工房で選んだ手織り大判ショール (幅70㎝×長さ170㎝) 南ミャンマーの古都バゴーは、13世紀から18世紀まで下ビルマの王都として栄えた街です。今は州都として賑やかなこの街の一角に当時国を治めていたモン族の村が残り、そこに素晴らしい手織り工房が一軒あります。 私は、3年前に初めてここを訪れ、その織物のすばらしさに感動。その後、ミャンマーに行く度に必ず立ち寄ってお気に入りを集めています。 このショールは綿織物ですが、その手触りはまるで絹のよう。 とても大判なので、折り方によっていろんな楽しみ方ができます。防寒用に、おしゃれのアクセントに、1枚あるとたいへん重宝するショールです。 【注意事項】 ※掲載写真は、撮影時及びお客様がご覧になっている使用環境によって、実際の商品のイメージと多少異なる場合があります。 ※ミャンマー・モン族の手織り職人によるハンドメイド製品のため、サイズや仕上がり等にバラつきがあります。また手織製品はその特質上、織りムラ、織りキズ等が発生いたします。 ※商品には洗濯表示・素材表示タグは付属しません。  ※ 洗濯も粉石鹸で洗濯機使用の場合においては、色あせもなく普通に洗濯できます。合成洗剤はその限りでないかもしれません。その場合は、手洗いでお願いいたします。 以上の点をごあらかじめご理解ご了承の上、お買い求めくださいませ。
    4,200円
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    ミャンマー・モン族の手織り大判ショール(茶色系)

    とても滑らかな肌ざわりのミャンマー・モン族の工房で選んだ手織り大判ショール (幅70㎝×長さ170㎝) 南ミャンマーの古都バゴーは、13世紀から18世紀まで下ビルマの王都として栄えた街です。今は州都として賑やかなこの街の一角に当時国を治めていたモン族の村が残り、そこに素晴らしい手織り工房が一軒あります。 私は、3年前に初めてここを訪れ、その織物のすばらしさに感動。その後、ミャンマーに行く度に必ず立ち寄ってお気に入りを集めています。 このショールは綿織物ですが、その手触りはまるで絹のよう。 とても大判なので、折り方によっていろんな楽しみ方ができます。防寒用に、おしゃれのアクセントに、1枚あるとたいへん重宝するショールです。 【注意事項】 ※掲載写真は、撮影時及びお客様がご覧になっている使用環境によって、実際の商品のイメージと多少異なる場合があります。 ※ミャンマー・モン族の手織り職人によるハンドメイド製品のため、サイズや仕上がり等にバラつきがあります。また手織製品はその特質上、織りムラ、織りキズ等が発生いたします。 ※商品には洗濯表示・素材表示タグは付属しません。  ※ 洗濯も粉石鹸で洗濯機使用の場合においては、色あせもなく普通に洗濯できます。合成洗剤はその限りでないかもしれません。その場合は、手洗いでお願いいたします。 以上の点をごあらかじめご理解ご了承の上、お買い求めくださいませ。
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    ミャンマー・モン族の手織り大判ショール(薄茶系)

    とても滑らかな肌ざわりのミャンマー・モン族の工房で選んだ手織り大判ショール (幅70㎝×長さ170㎝) 南ミャンマーの古都バゴーは、13世紀から18世紀まで下ビルマの王都として栄えた街です。今は州都として賑やかなこの街の一角に当時国を治めていたモン族の村が残り、そこに素晴らしい手織り工房が一軒あります。 私は、3年前に初めてここを訪れ、その織物のすばらしさに感動。その後、ミャンマーに行く度に必ず立ち寄ってお気に入りを集めています。 このショールは綿織物ですが、その手触りはまるで絹のよう。 とても大判なので、折り方によっていろんな楽しみ方ができます。防寒用に、おしゃれのアクセントに、1枚あるとたいへん重宝するショールです。 【注意事項】 ※掲載写真は、撮影時及びお客様がご覧になっている使用環境によって、実際の商品のイメージと多少異なる場合があります。 ※ミャンマー・モン族の手織り職人によるハンドメイド製品のため、サイズや仕上がり等にバラつきがあります。また手織製品はその特質上、織りムラ、織りキズ等が発生いたします。 ※商品には洗濯表示・素材表示タグは付属しません。  ※ 洗濯も粉石鹸で洗濯機使用の場合においては、色あせもなく普通に洗濯できます。合成洗剤はその限りでないかもしれません。その場合は、手洗いでお願いいたします。 以上の点をごあらかじめご理解ご了承の上、お買い求めくださいませ。
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最近の記事

2020年を終えて、改めてお伝えしたいこと

新しい旅立ちの日を1か月後に控えて 2020年もあとわずか。 今年は、あっという間に静かな時間ばかりが飛び去って行った気がします。 しかし、心の中はざわざわとした思いを、いつも抱えて。 去年思い描いた、新生サワディシンチャオのカタチ 1955年生まれの私は、今年65歳。 2003年のこの地での開業以来続く、朝9時くらいから深夜24時過ぎまでに及ぶ飲食業の仕事は、いくら慣れているからといっても、体力的に辛くなってきていました。 そのため、今年春からは仕事量を半分く

    • 今夜はロイクラトン本番。チェンマイのコムローイ祭は、感動を越えた美しさ。

      昨日書いたように、今日はタイではロイクラトン。 2018年のチェンマイツアーのいちばん大きな目的は、チェンマイでコムローイを上げるお祭りに参加することでした。 ランナー王朝コムローイ祭で、ツアーメンバーと力を合わせて上げて行ったコムローイ。下から見上げる天の川のような美しさは、息を飲むほどでした。 参加したメンバー全員、ほほが紅潮して目もうるうる。 そのときの様子を、こちらのブログに書いています。 また行ってみたい。 早くコロナさんがどこかに行って、ふたたびみ

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        タイのお祭り、ロイクラトンは明日。明日はハロウィンですね。 サワディシンチャオにはとても縁のある国、タイでは、陰暦12月の満月の日に、ロイクラトンというお祭りをします。 タイ政府観光局のホームページにある通り、クラトン(燈籠)を川に流してお祈りをする日です。 そのロイクラトン、今年はなんと明日なんですって! ハロウィンと同じ日というスペシャルな日。 今日あたりタイにいたら、明日のお祭りの準備のために、飾りつけや花燈籠を作る様子がきっと見ることができるに違いません

          珍しいお野菜ハーブいっぱい、しかも無農薬、おもいきり嬉しいベジリパさんの畑の見学に行きました。

          お片づけはお任せして、もうひとつの目的、ベジリパさんの畑に出発! fufufuのアイドル、ふぅちゃん。ぬいぐるみみたい。 まだ1歳ちょっとの子供ちゃん。 最初はがんがん吠えられたのですが、途中から吠えずにすりすりしてくれるようになりました。あかりさんが不思議っておっしゃっていたほど。これはけっこうレア案件らしいです。 この日の朝、ベジリパさんがこの茄子さんを見つけたんですって。 ほんとに天狗みたいでびっくり。 日暮れ時の畑は、驚きと感動に満ちていました 畑に着い

          珍しいお野菜ハーブいっぱい、しかも無農薬、おもいきり嬉しいベジリパさんの畑の見学に行きました。

          星降る山のカフェで、新鮮無農薬野菜いっぱいの、野外・ベジタリアン・タイ料理教室しました

          念願の宇陀で、会いたかった人たちとベジタイ料理教室感動の道東旅行から先週金曜日に帰阪したばかりでしたが、昨日26日月曜日に、出張料理教室のために奈良県宇陀市に行きました。 以前からサワディシンチャオのお野菜売り場で、宇陀のベジリパさんという無農薬農家さんのお野菜を取扱いさせていただいていて、もちろん料理にも使わせていただいていました。 いちど畑に行きたいなぁ、来て下さいと、コーディネートをしてくださっている小間物屋ぴょんたの文子(あやこ)さんとずっと前からお話していた

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          迷いに迷って、明日からGOTO道東の旅に

          コロナで3回の東南アジア旅の予定がキャンセルに 写真は、フィリピン・マニラのバクララン教会です。 ここ数年、料理教室やお店のお客様をお連れしての旅がGWと11月後半の連休、家人とふたりの研修&仕入旅行が2月(2週間くらい)と夏(さくっと短期)に行くのが定例化していました。 今年、2020年も、去年のうちからもうどこに行くか決まっていて、この2月はミャンマーとハノイ・ホーチミンに予定通り行けました。 GWは東北南部タイと南ラオスの旅、11月はベトナムハノイ旅、夏はマニラ

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          ヒマラヤのふもと、インドで44 歳になったリュウサイへ。

          オーバーオールがまだ大きすぎて、足元がぶかぶか。それほど小さな赤ちゃんだったあなた。 10月18日、あなたが生まれたのと同時に、21歳の私が母親になった日。 あの日から、44年も過ぎたのですね。 あぁ、書けない。 思い出が多すぎて。 ほっぺをくっつけると、馥郁としたミルクのようないい匂いがしたよね。 この愛くるしい顔を見ていると、ふたりきりで過ごした日々、生活のため自己愛のため、ちゃんと傍にいてあげられなかった贖罪の日々とが交差する。 できることなら、またこ

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          東南アジアではないけれど。釜山の忘れられない優しい人たち

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          みんな大好き、かぼちゃのナンプラー卵炒め。かんたんレシピのご紹介です。

          私は、この3月末まで、レストラン業態の「サワディシンチャオ」と「おぐしみきクッキングサロン」という料理教室をしていました。レストランは今年でまる17年間、料理教室は12年間。8年くらい料理教室に通っていてくださった生徒さんがレシピを数えたら800あったと言っていましたから、12年間のその総数は1000は超えていたはずです。 私がそうしてお教えした料理の中で、きっとおうちでの登場回数がぶっちぎりで多いだろうなと思うのが、このかぼちゃのナンプラー卵炒め。タイ料理で、現地ではパッ

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          しかも46歳で!===私が旅する東南アジア料理人になった理由その2===

          バツイチ・シンママ・46歳でも、なぜ東南アジア料理にチャレンジしたいと思ったのか?私がベトナムに行きたいと思ったのは、その1で書いたように、神戸のカフェチェーン経営者の方が言われた「ベトナム料理はおいしい」を確認するためでした。そうしたら、ミイラ取りがミイラになってしまったように、私もベトナム料理の虜になってしまった。そして次にタイ料理、そしてミャンマー料理、そしてそして・・・・・。 [息子さんの影響ですか?」 そうよく言われることなのですが、まったく違うんですよね。

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          現代アートに浸る休日。黒田征太郎さんのライブペインティング見てきた!

          休日散歩は、近場でアート観賞が好き私は、北心斎橋という大阪のど真ん中に住んでいます。ここのとても良い点は、どんな用事にもいろんな展覧会にも、たいていが徒歩で行けるということ。これは生活するうえでとても大きな特典。なので、特に大きな用事の無い休日は、家人と美術鑑賞に行くことが定例になっています。 今日のお休みは、うちから徒歩25分。西区にある大阪府立江之子島文化芸術創造センターに行ってきました。10月末までの日程で黒田征太郎展が行われているためです。来週から北海道の道南に

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          私が旅する東南アジア料理人に変わった理由。

          東南アジア料理人おぐしみきが、東南アジア料理を勉強し自分で作りだしたのは2001年から。初のひとり海外旅で行ったベトナムがそのきっかけでした。そのときの体験、なぜ東南アジア料理にどっぷりとハマったかについてまとめました。 路上で、のべつ幕なし食べる人に驚く 目に飛び込むものすべてが、日本ではお目にかかれないような赤や緑、黄色の原色。おとぎ話の中に出てくるマッチ箱の家のように、細長いけれどカラフルな色と鮮やかな南国の花と緑に彩られた家が、道路の両脇に立ち並ぶ。そして歩道であ

          私が旅する東南アジア料理人に変わった理由。