大切なもの
「大切なものをなくしたよ 今になって気づいたのが遅かった なんてよくある話で笑っちゃうよな。」
クリープハイプの『手と手』という曲の歌詞です。この曲自体は失恋の曲ですが、人は無くなってからその存在の大きさや大切さに気づくということは恋愛に留まることではないと思います。
2020年の2月から、僕は京都で一人暮らしをしています。それ以来、私は家族と会って、別れる度に泣いています。21歳にもなって、泣くのはまだしも理由が「家族と離れるから。」。マザコンを疑われても正直しょうがないです。もしかしたらまだ親離れができていないのかもしれません。けど、どんだけ我慢しても泣いてしまうのだから、もうどうしようもないです。
当たり前のように思うかもしれませんが、一人暮らしって何をするのも一人なんですよね。寝る時も起きる時もご飯を食べる時も何をしていても一人。加えて洗濯や掃除、自炊も全部自分がやらないといけない。これまで、パートの合間を縫って家事をしてくたれ、「おかえり」と何があっても優しく迎えてくれた母親も、いつも休みには単身赴任先から家に戻ってきてくれ家族の時間を大切にしてくれた父親も、気分屋で面倒臭い時もあるが家族を明るくしてくれる姉も、いつも家族の癒しであるラフ(犬)も、誰一人いません。
20年間、家に帰れば誰かがいて、いなくても誰かが帰ってきました。
そんな空間が当たり前でないこと、かけがえのないもの何だと帰る度に気づかされます。そしていつ帰ってきてもすぐ自分の居場所になるからこそ、離れ難くなります。
これまで何気なく一緒に過ごしてきた家族がいなくなるだけでこんなにもその存在の大きさを感じるとは思ってもいませんでした。
これからは、その存在に感謝しながら生きていこうと勝手に決意します。
一人一人に色々な事情があると思いますが、その存在の大きさに気づいた時にはもう手遅れとならないように、共に日々を過ごしていきましょう。