生きるとは
さっき、生きる Livingという映画を見た。黒澤明の「生きる」映画が原作となっているらしく、時は同じ1952年のイギリスを舞台にした映画だった。
今無職だからか、この映画が妙に刺さった。
「何のために生きているんだろう?」
「何をするべきなんだろう?」
そんなこと、生きてるうちは誰でも考えることだと思うが、暇だと考える時間が多くなってより頭にちらつく。
この映画を見て思ったのは、
「人は、誰かのために何かを成し遂げるために生きる」
こう結論付けられるような、素晴らしい映画だったし
今の自分が悩んでた問題に対して、正解を出されたような
そんな気分になった。
若い頃は、基本みんな「何者」かになりたがる。人とは違う、自分だけのアイデンティティを欲しがる。古代の昔から、それはあったみたいだが最近はSNSの普及もあってより鮮明に映るようになった。
また、お金に困った経験がある人はお金を稼ぐことに20代はフルベッドする。どちらにせよ、これは「自分」を中心としている。まず自分が有名になれば、成功すれば、と思う。
自分も思いっきり前者のタイプで、いかに自分が有名になれるのかを考えていた。中学でも、高校でも、大学でも「とにかくみんなより目立ちたい」そんな子だった。社会人になっても、顧客の幸せはそんな考えてなく、まず自分の成長だとか、お金だとか、パフォーマンスばかり考えていた。
辞める時に「君はクライアントのことを1mmも考えていないんだね」と言われたのを鮮明に覚えている。そこで反論しなかった自分がいたからだ。
今の若いうちは、自分ファーストでいいかもしれない。むしろこの若いうちはそれが普通であって、無理に自分の意見を押し殺して人に好かれるような好意ばかりすると、後々自分のクビを絞めるところになるし、後悔するやうなことも増える。
だけど後々は、自分で起業するでも正社員になるでも、バイトでも音楽でも動画でも、
誰かのために何かを成し遂げたいと強く思った。
それはどんなに些細なことでも構わなくて、例えばこの映画の中では、市民から要請された小さい公園の造営だった。
主人公は、今まで後回しにしていたような事も余命を宣告された瞬間にそれに奔走することにらなる。
母親に、何でもなれるとしたらどんな職業になりたい?と聞いたら、医者と答えてた。それは、人を救いたいからという何ともシンプルな理由だった。けど、母親も若い頃は自分が何者かになりたくてしょうがなかったはずだ。(現にレコード会社に自作曲を送った事あるらしい笑)
だけど、年を経るに連れ「人のためになりたい」と思うのは、誰しもがそうでありこの映画でも描かれていることである。
自分の好きな事、自分の得意な事、人のためになること
これら3つの集合体の狭間を
人は天職と呼ぶのだと、心から思った。
「人は、誰かのために何かを成し遂げるために生きる」
忘れずに、今日もがんばろう