新卒を二ヶ月でやめてバズった話
二週間前くらいに会社をやめた。21卒。社会人始まって二ヶ月。
そして会社を辞める日の写真を身内向けにツイートしたらなんか伸びて、そこそこの注目が集まった。
https://twitter.com/kishi68an/status/1400415424546672643?s=21
その時から、今このnoteを書く瞬間までの感情とか、考え方とか、葛藤の話。ネットリテラシー的にも、身バレ防止の面から考えても、あまりつらつら自分の経歴なんかは語るべきじゃないんだろうな〜とおもいつつ、私はこれを読んでくれた人に、より自分の体験をリアルに感じてほしいから、書く。
現在23歳、福岡生まれ。幼稚園は聖ヨゼフ幼稚園。ゆり組を経てコスモス組。6歳の時に父の仕事の都合でアメリカへ飛び、移民に対するヘイトがそれなりにガチガチなテキサス州で三年を過ごした後帰国。再び父の転勤なんかで各地を転々としながら、父の不倫相手が東京に住み始めるのをきっかけに、偶然にも関東に定住するチャンスを得るに至った。父不倫してるけど。やっぱ東京ってサイコー!と思う毎日。
高校は某マンモス大学の付属校に入ったけど、内進生のチンコマンコ事情が気持ち悪すぎたのと、お金を持ってるだけで全く勉強して来なかった奴らに対するヘイトが溜まりすぎて、付属にはいかず外部受験をした。性に脳のリソース割かれすぎ!ヘコヘコ猿くんたちキモ〜とか思ってたから。だって私偏見の鬼だし。
(※書いたけど正直ここは飛ばしても良かった)
受験の結果本当に幸運なことに、私は上智大学に入ることができた。
上智なんて地方の人は知らないし、早慶には一生追いつけない不遇な学歴コンプポジみたいな見方をする人もいるけど、私は上智がすごく好きだった。毎日学びたいことを学べて、自由な時間もあって、学友(同級生に全く友達はいなかったが)たちは今まで出会ったことないくらい凄い奴らで溢れていたし、何より倫理観や話が合う人間がこんなにも転がっているコミュニティは上智以外に存在しなかったからだ。
上智に入ってからも色々あったのはもちろんなのだが、それはまた別のnoteにしたい。 大学のお水飲み比べサークルとかいうトンチキサークルにはいったり、趣味ではじめたコスプレでそれなりに人気出たり、TikTokがバズったり、cmに出てみたり、記事にしてもらったり、本当に色々あった。
兎に角、いい経験ばかりしたのだ。
そして私は受験と、大学生活と、趣味の成功とそのほか諸々の幸福な生活の中で、少々痛々しい“自分の価値”を認識しはじめていた。 子供の頃なんかに、誰もが何者かになれる。と思っているのと同じように。私は大学を卒業したらバリバリに働いて、役職なんかにも就いて、自立したバリイケ女になるんだよ!!!!って入社する瞬間まで本気で信じてて、自分はこの会社の同期達の中でも大物になる人間であると思い込んでた。
でも、いざ入ってみると違った。
元職場については、あんまり詳しく書いてしまうと元職場に迷惑になってしまうので、ボカして書かせて頂くが、“物流”業界の闇の深さみたいなものを軽く調べていただければ良いと思う。
最近なんかだと、佐川急便の配達のブラックさなんかはよく目にされると思うので、そんな感じのイメージをしていただきたい。
私が入った会社も東証1部上場のそこそこでかい会社だったが、物流という職種は、どこまで行っても関係する会社の超〜下請けでしかなかった。例えば、お客さんが「今日一日で全国のコンビニエンスストアにこれ届けてね!」といったら、どんな時間でも絶対にやりきらなくてはいけないのだ。だってそういう仕事だから。
土日出勤は当たり前、残業は断る権利なし。というか、いつもサイレントで残業が始まって、22時目前とかに新卒だけそろそろ返してやるか〜みたいな感じで返されてた。
私が配属された部署なんかは翌月の労働スケジュールを組む時点で残業時間を計算していて、一番優しくて仲が良かった上司は6月の残業予定時間がシフトを組んだ時点で75時間見込まれていた。
別部署の3年目の先輩なんかは残業時間が100時間超えで、本社から出勤禁止のお小言を言われていたものの、その人が出勤しなければその部署が回らなくなるので内緒で出勤…みたいな事をしていた。
でも正直、それでいい人はそれでいいんだと思う。
残業したらしただけ給料はちゃんともらえたし、残業して身を粉にして働くことが会社への貢献度として昇進の時に評価されるのなら、それは自分のためでもあるから。
仕事内容がそれなりにきつくて、自分の時間を確保出来なかったり、肉体労働すぎたのもまぁ辛くはあったけど、辞めるに至る決定打ではなかったように思う。
(ちなみに当時大学の先輩にこの話をしたら、「刑務所の方がまだ楽そう」との評価を貰った。ふ〜ん、なるほどね。世間からみたらこれやっぱ変なんだと安心した。)
ただ、私が一番信じられなくて、会社に絶望したのは、何気ない雑談の中で、男性上司が他の女性社員AとBの事を揶揄して、「あれは社員じゃなくてパートだから(笑)。俺たちと労働スケジュールが違うの!(笑)」と宣った事だった。
子供がいて、家庭がある中でも21時過ぎまで残業もしてくれて、月に2回は土日出勤もしてくれていた女性社員らに対して、である。
正直、「ハァ!?」と思ったし、言った。
普通に意味がわからなかったから。
週5日、朝8:30〜18:00まで働いてるだけで最高花丸満点な世界で、AさんもBさんも何でそんな事いわれなきゃいけないんだよ、と思ったし。この人たちにとっては、残業と休日出勤を断る事はその人の能力の否定にも繋がるのか?と度肝を抜かれたからだ。
あとなんか普通に腹立ったし。
他にもはぁ?みたいな所は度々あった。上司は椅子を蹴るわ、アルバイトに空箱なげつけたりしてるわ、あきらかにわざと新卒には仕事を振らないわで最悪であった。
私が帰国子女で、大卒だってことも「俺たちみんな叩き上げしかいないのにわざわざ大学出てんだw」とか、「うちの会社で英語なんか使わないのにw」とか、なぜか帰国子女と大学を出ている事を馬鹿にしている節や、無駄スペみたいに扱われている節があったのだ。悔しかった。私のアイデンティティだったのに。
いや、いいだろ大卒。いや、役立つだろ英語、今更何言ってんだこの人たち…と思ってた。
でも今思えばこれは私の無駄に凝り固まってしまった自我や自意識を傷つけられた気分になっただけかもしれないので、さほど重要ではないかもしれない。
ーーー話がまとまらないのを誤魔化す線ーーー
話が取り留めなく交錯してしまい申し訳ないが、斯の様な少しずつの不和や不信感みたいなものが随所に散りばめられた職場であった。
退職してから二週間経った今思い返してみても、私が会社を二ヶ月で見限る決定打になったのは、上司たちが他の女性社員を「あれは正社員じゃないでしょw契約社員だよ契約社員ww」なんて揶揄していた事と、三年目になっても毎日28時頃まで残業していた先輩を目にした事であったと思う。
この会社で働き続けて出世して、仮に役職なんかをもらっても、土日出勤と残業ができなくなったら、そこから先の未来はないんだなぁ〜と思わざるを得なかったし、それらをこなせない人は会社から見たら正社員ですらなく、契約社員(パート)さん、なんて揶揄されるのだから。
そして、そんな会社に入ってしまった自分にも驚くほど失望していた。死ぬ気で頑張って勉強して、大学にはいって、留年も浪人もせず、就活の苦しさを乗り越えた結果自分が行き着けたのが、此処なのかぁ。と絶望した。
自分で選んだ仕事であったからこそ、自分の選択の甘さや、今までの肥大した自意識、そしてその自意識とは到底合致していない現状の有様をありありと見せつけられたような気がして、自分に呆れ果てた。 私ってなんでも上手くやっていける人じゃなかったんだぁ、ってこの時初めて気付けた。
そしてだからこそ、辞めようって決意できた。
正直、今までの私だったら「2ヶ月でやめるなんて、自分に甘過ぎる」「そんなんじゃどこ行っても無理だよ」な〜んてよくある言葉で自分を律していたと思うし、何よりプライドが鬼高いから、自分が会社を2ヶ月でやめたくなるような女だと認めたくなくて絶対辞めなかったと思う。
でも、今の私は人生で初めて、自分が無力で無能で、何者にもなれないただの一般人だって理解するチャンスを得たから、「失敗したり、恥ずかしいような逃げ方をしたって、私は無力なんだから当たり前だし、いいじゃん。」と思えたし、周りからの「まだまだ何も覚えてない甘ちゃん」「社会人なんてみんな辛い、そんなんじゃどこでもやっていけないぞ」みたいなヘイトも、
「いや〜〜自分でもつくづくそう思いますね…さーせん!」みたいに思えるようになって、逆に何言われても傷つかない無敵モードにはいれた。
実際冒頭の退職ツイートが伸びちゃった時、批判リプも沢山届いたのだけど、批判リプに対しても「う〜ん、わかる」としか思わなかったし、2ヶ月でやめるなんて甘いって自分でも思ってたから、ホンマそれな。みたいな感覚で読めてた。コスプレをたぬきとか5ちゃんで叩かれるのは世界一怖いのに。あれなんであんな怖いの?
特にこんな感じの批判がやっぱり多かったんだけど、まじで1ミリも怒り湧かなかったし、悲しくもならなかった。
だってこの人たち言ってる事正しいし、私もそう思うから、「いや、そうだよね。」で全てが収拾された。お前らみんな正しい。
あと鏡周り汚いってリプもあった。それはマジでごめん。あと桜井日奈子に似てるってのもめちゃくちゃあった。やったぜ^ - ^
このツイートに関連する事で唯一私が納得いってない事があるとしたら、思い切りが凄い!これくらい明るく僕/私もやりたい!みたいなリプ群。
だってこのツイートの写真は退職届けを出す日の朝、自分を鼓舞するために撮ったものだから元気に見えるだけで、実際はめちゃくちゃ葛藤したし落ち込んだし、前日なんかは眠れなかった。退職届けを出す時には部長を前にそりゃ大号泣して謝って、悲惨な有様だったから、そこだけはこのnoteをみた人くらいには察してもらえたら嬉しく思う。
ちなみに次の職場もちゃんと決めてから辞めた。年収なんかもかなり上がる。厭らしい話、大体金額にして年収が200万近く上がった。
転職のスピード感って凄まじくて、残業と土日出勤のある中でもだいたい三週間くらいで4社は面接できたし、内定もいくつか貰えた。これはコロナのおかげでもある。zoomくん大好き。
そして転職活動通じておもったけど、大学時代の就活って本当になんだったんだろう?
一年近く時間をかけて、エントリーシート山ほど書いて、就職のためにインターンいってみたりボランティアいってみたりして。夏までに内定決まってなきゃ人生終わりだ!みたいな気分になるの、本当何だったんだ?
今になってみればあんなに社会の定説に急かされて生きるの、本当に無意味だったなって切に思う。
みんな自分が生きる上でどんな働き方がしたいかとか、何が大切かとか見失っちゃうでしょ、あんなの。社会の癌だわ、就活。もっとキッザニアみたいな感覚で生きていけたらいいのにね。
ちなみに辞めた事、全く後悔していないし、これでよかったって心からおもってる。自分がただの社会の歯車で何者でもないことは痛感したけれど、だからといって辛い事ずっとする必要なんてないしね。
自分のQOLに何が大切かなんて一旦働いてみなきゃ見えてこなかったし、何より次の職場、マジで最高だから私の勝ちだよ〜〜んって思ってる。何でもやってみるって、仕事辞める時にも適応されんだね。ざまーみろ私の人生。