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東大を出た私が本気で幸せを追求し、ニュージーランド夫婦ワーホリにたどり着くまで

こんにちは!
ニュージーランドで夫婦ワーホリ中のゆうかです🇳🇿

ニュージーランドに来て、もうすぐ4ヶ月。
1年間のワーホリ生活の、1/3が経過しようとしています。

ここ最近、ニュージーランドでの生活からたくさん感じることはもちろん、
オンラインでの活動も相まって、
自分の人生に向き合うことが多々。

このnoteではニュージーランド生活のことを時々綴っているのですが、
ここで一度、私の人生を大きく動かした4〜5年間のできごとを、振り返ってみることにしました。
(私のことを知らない方もたくさん読んでくれることを期待して、前提として、その前の期間のことも書いてます。)

先に書いちゃうと、私の経験を通して、
学歴よりも、キャリアよりも、
自分らしい人生を生きること、
大切な人と幸せな日々を送ること

の大切さを伝えたいnoteです🕊️

長くなりますが、
お付き合いいただけたら嬉しい限りです!

私が東大生になるまで🎓

東京生まれ東京育ち。
小学3年生の時からサッカーをやっていて、
頑張ること、なんでも楽しむことが得意。

母が見つけてくれた塾が楽しくて勉強が好きになり、
都立中高一貫校を受検。
無事合格し、入学してからも得意の努力と前向きさで、勉強も運動もできる、いい子の「優等生」として育っていきました。

自由で、頑張る人を応援する校風が合っていて、
友達にも恵まれ、とにかく楽しかった中高6年間。
勉強も部活も行事も全力。
文化祭実行委員長を務め、
校外のスピーチコンテストや
模擬国連大会にも出場しました。

東大を目指したきっかけは、
女子サッカー部ができたこと。

中学までは男子サッカー部と女子のクラブチームでサッカーを続けていましたが、
高校では続ける環境がなくて離れていたサッカー⚽️
離れると恋しくなって、
大学ではまたやりたいなぁと思っていた時、
東大に女子サッカー部ができたというニュースが耳に入りました。

なんとなく(多分、ほんとにただ、なんとなく)
東大は嫌だと思っていたのですが、
調べてみたら結構面白そうな学部もある。
「女子高校生のための東京大学説明会」というものに友達と一緒に参加し、受験仲間ができたことで、
志望意思は固いものに。

朝型生活が好きだったので、夜遅い塾には通わず、
21時就寝、4時起床の生活スタイルを貫いて勉強し、
無事現役合格。
自分で勉強計画を立てて、参考書を買って、
通信教育やネットに載ってる情報も活用しながら
受験勉強を地道に続けることは、
私の性格に合っていたようです🌸

そしてこの時の情報収集→計画→実行の積み重ねが、
社会人になってからのタスク実行等にも生きる土台になったと思っています。

入りたかったサッカー部に入り、
大学3年生の時にはキャプテンを務めさせてもらいました。

部活以外にもサークルに入ってインドに行ったり🇮🇳
大学生らしい遊びも山ほどして、
楽しい大学生活を送りました。

東大女子サッカー部の正式名称は
「東京大学ア式蹴球部女子」
少人数の部で、大切な仲間ができました⚽️


就活で感じた違和感、貫いた自分軸

大学3年生になり、就活の時期がやってきます。
経済学部にいたので、周囲の就活意識がとても高く、

「外資銀行・外資コンサル・デベロッパー・商社以外は負け組」

というような言葉を耳にすることもありました。

私はここで、とてつもない違和感を覚えます。

「いつまで競争するんだろう?」
「いい会社に入っても、そこが自分に合ってるとは限らなくない?」
「キャリアを突き詰めて、その先に何があるんだろう」
「寝る時間もないような環境で働いてまで稼ぎたい?お金ってそんなに必要?」

私は「自分に合った会社」を徹底的に探そうと心に決め、自己分析から取り組みました。

今振り返ると、就活の時期の私の自己分析はとっっっても甘かったです。
自己分析のワークシートを埋めたり、
ノートに「熱中体験」「成功体験」「失敗体験」
とかを書いてみたりしたけど、全然甘かった。

でも、就活は楽しかったです。
こんなにいろんな会社に入り込めるのは就活生の特権だ!と、色々な企業のインターンに参加しました。
ギリギリコロナ前就活だったので、
2〜3日会社に行って、会社の説明を受けて、ワークに取り組んで、というインターンの機会が多くありました。

会社の説明やワークも大事ですが、
何より私にとって良かったのが、社員さんとの交流。
インターンは交流会や飲み会があって、
社員さんにお話を聞ける場面がたくさんあったので、
「なんでこの会社を選んだのか」
「会社の良いところと悪いところ」
などをとにかくたくさん聞きました。

そんなことを重ねるうちに、
"就活の自分軸" ができてきます。

その軸に従って就活をした結果、
全社で250〜300人規模、
1年目から裁量を持って働けて、
共感できるビジョン・ミッションを掲げている
化粧品会社に就職することになりました。

就職した会社は本当にいい会社だった!!
同期にも上司にもチームメンバーにも恵まれ、
最高の社会人生活スタートでした💐


優等生、社会人という長いトンネルに戸惑う

就職した会社は、ひとりひとりの個性を大事にする社風で、研修でも「自分を知る」「同期を知る」内容がたくさん。

自己認知がしっかりしていて、
自分の強みや弱みをしっかり語れる同期の中で、

なんでもそれなりにできる けど、
これといった強みがない 自分というものに直面。

自分と向き合うきっかけになります。

そして、初めは新しいことばかりな仕事も、
数ヶ月経つと段々慣れてきます。
毎日8時間働いていると、その"慣れ"のスピードは学生時代に思っていたよりも早く、

「え、このままあと40年以上社会人って、長くない?」
「受験、就職、っていうこれまであったゴールがなくなって、私何に向かって走ればいい?」

という悩みに直面します。

決まったレールを走るのは得意だけど、
あまりにも自由度が高い社会人というフェーズに戸惑い、

"自分はどういう人間で、どういう時に楽しいのか"
"どういう人生が自分にとって幸せか"
"私はなんのために生きているのか
"

ということを、悶々と考え続ける日々に突入しました。

何も考えず、
ただ酒を飲む日もたくさんありました🍶笑


旅と、大切な仲間との出会い🤝

社会人1年目の夏🌻
島根県で地域おこし協力隊として活動していた中高の友人を訪ねました。
ほかにも中高の友人3人と一緒に、5人で過ごした3泊4日。この旅行が、私にとって大きな転機になります。

青春時代を共有した仲間たちとは、久しぶりに会っても話が尽きなくて、旅中ずーーーっと話していました。
「あー、私やっぱりいつか地方に移住しよ」
って、みんなと話す中で思ったことを覚えています。

そして、最終日に、友人の知り合いが経営している広島のゲストハウスに連れて行ってもらいました。
はじめましての方々と一緒にBBQをして、とっても楽しい時間を過ごしたのですが、そこで終わらず。

BBQ準備に大張り切りだった料理好きの私を見て、
ゲストハウスのオーナーさんが、
「ここに来たことある、料理好きのドミニカ共和国人と、ドイツ人と、日本人が、東京でよく料理会してるよ。
参加してみたら?」

と提案してくれます。

中高同期と訪れた、広島のゲストハウス。
大好きな景色です!

ゲストハウスのオーナーさんと、私の会社の同期がたまたま繋がっていた縁もあり、2ヶ月後には料理会に参加することに🍳

2回目の料理会。
クリスマスを、出会ったばかりの人たちと、
一緒に料理して過ごしました🎄不思議!


人と一緒に料理をする楽しさに目覚め、料理会メンバーと仲良くなり、みんなで広島のゲストハウスを訪れたり、日本各地に旅をするように。

広島のゲストハウスを中心とした、ゆるい繋がり、コミュニティで、いろんな人と出会いました。
私より5〜10歳くらい年上の人たちもいて、会社員だけじゃなく、フリーランスやインフルエンサー、いろんな働き方、いろんな生き方を知りました。

いろんな生き方を知ったら、ものすごくこの先の人生が楽しみになりました。

そして、自分らしくいられる仲間、心から楽しいと思える仲間との旅の時間のおかげで、
"自分らしさ" というものの解像度も上がってきました。

でも一方で、こんな風にみんなとずっと一緒に旅をしていたいけど、
みんな結婚したり子供できたりして遊んでくれなくなるのかな、寂しいな、
なんてことも思っていました。

さいっっこうに楽しかった、
北海道キャンピングカー旅🚐


24歳、突然のゼロ日婚💍

ここで私の恋愛話を。
大学生の時から付き合っていた彼と、
先述した旅〜料理会との出会いの少し後に別れました。

「新しい人、新しい世界との出会い最高!」な私と
「少ない仲間を大事にしたい、大勢は苦手、あまり変化を好まない」彼との間で隔たりが大きくなったためです。
大学時代はコミュニティが共通だから良かったけれど、
社会人になってフェーズが変わり、この差が決定的なものになったのです。

そしてその後、料理会メンバーの1人、おしゃれな家に住んでた5歳年上の日本人に、私は片想いをし、告白し、振られました💔

そんな彼ともその後変わらずみんなで一緒に旅・料理を続けていたのですが、振られてから5ヶ月、なんと、プロポーズされました🌹

そこから3ヶ月でスピード入籍。
「ゼロ日婚」です💍

入籍日フォト。
入籍前日に指輪を受け取って、両家顔合わせという、
スピード婚でした💍


「結婚」って思ったより凄かった

結婚をして、私の人生は大きく動きます。
人生の主語が、「I」から「WE」に変わったのです。

この "主語はWE" というのを私たちは結婚当初から掲げているのですが、アドラーも同じことを言っていた!ということを最近知って驚きました。

われわれは生まれてからずっと、「わたし」の目で世界を眺め、「わたし」の耳で音を聞き、「わたし」の幸せを求めて人生を歩みます。これはすべての人がそうです。しかし、ほんとうの愛を知ったとき、「わたし」だった人生の主語は、「わたしたち」に変わります。利己心でもなければ利他心でもない、まったくあたらしい指針の下に生きることになるのです。

『幸せになる勇気』(古賀史健・岸見一郎)より


ゼロ日婚だったこともあり、
婚約期間から対話をとても大事にしてきた私たち。
様々な対話ツールや、夫婦に関する本を2人で集めて、話し合いを重ねました🤝

その中でも私たちにとって大事なツールとなったのが、
Logista株式会社が提供する『夫婦会議ノート』📖
今ではアンバサダーを務めています。


結婚1年目に夫婦会議をたくさんして、
ぶつかり合いも経て、
お互いのことをより理解して、
対話の習慣がつきました。

社会人のはじめに「この先どんな人生を歩むのか」に
頭を悩ませていた私ですが、
夫婦になって主語が「WE」になった途端、
人生の方向性を一緒に考える相棒ができて、
一気に心が軽くなりました。

この先ずっと一緒に生きていくことを誓い合う結婚。
そういうものだと頭ではわかっていたかもしれませんが、いざ結婚してみると、人生のパートナーがいるということがここまで心強いとは!!!
驚きです。

ただこれは、結婚すればなんでもオーケーという話では全くありません。
"主語はWE" を共通認識として持ち、
対話を重ね、確固たる信頼関係を構築してこそ言えることです。

そして、その営みに終わりはありません。
家族になったとはいえ、あくまで他人同士。
完全に分かり合うことはできないからこそ、
一生対話を続けることが大事なのです🤝

結婚をして、パートナーシップの素晴らしさと、難しさを知りました。

なかなか良い関係を築けない人が多く、離婚も珍しくない昨今。
私たちは2人で勝手に "素敵な夫婦を増やす会" を発足させて、何ができるか妄想しているところです💭

廃校を舞台に、手作り結婚式を挙げました💐
挙式は音楽室で🕊️
出会いのきっかけ、思い出たくさん。
広島のゲストハウス、目の前の海で🏖️


ニュージーランドワーホリへ🇳🇿

2人で会社を辞めて、1年間ワーホリをしよう!
ということは、無人島で決めました🏝️

結婚式も終わり、日常に戻ったものの、
夫の仕事が忙しすぎることに課題感を感じていた時期。
将来地方移住をしたい、
ということを2人で話しており、
私はフルリモートで働ける企業への転職を考えていました。

そんな折、旅仲間が企画してくれた無人島企画。
週末+有給2日、3泊4日無人島で過ごしました。

無人島に一緒に行った旅仲間が、
ワーホリに行くタイミングを迷っている話を聞いて、
「私たちもワーホリ行く?」
と、それとなく発したところから、
本格検討が始まります。

無人島に3泊4日となると、暇なのです。
2人で海辺に座り、たくさん話しました。
これまでもワーホリの話をしたことはあったけど、
多分、そのタイミングが、私たちのフェーズにピッタリだったのでしょう。

結婚2年目を、2人で全然違う環境で過ごして、
これからの人生の土台を築く期間にしよう!

無人島から帰る頃には、私たちの意思は固くなっていました。
私は3年、夫は7年勤めた会社を辞めて、
ワーホリに行く決断をします。

小学校、中学校、高校、大学と、
学生時代には「卒業」というリセットタイミングがあります。
社会人にはそれがありません。

仕事も辞めて、家も解約して、異国で暮らすワーホリは、私たちにとって「人生のリセット」です。

なかなかこういう選択をする人は多くないと思います。

でも、結婚をして主語が「I」から「WE」に変わるという人生の大きな転換点に立った後、
これまでの人生の延長線上で暮らしていくことの方が、私にとってはなんだか違和感を感じました。
1年間のワーホリという「リセット」期間があるのが、むしろ自然な気がしたのです。

無人島で朝日を見ながら
カンパンとコーヒー☕️


ワーホリ中に感じてること

ニュージーランドにやってきて、
銀行口座を開設したり、車を買ったり、
必要な最初の諸々を済ませたのち、
2週間の無料キャンプ場渡り歩き生活を経て、
キウイピッキングの仕事を始めました🥝

会社が提供してくれるキャンプ場で車中泊をしながら、
重ーーいキウイを抱えて、7〜8時間肉体労働。

キツかったし、もうやりたくないけど笑
2人で一緒に働く経験、
いろんな国の人と共同生活をする経験、
車中泊の経験を経て、
自己理解と相互理解が深まりました。

何にストレスを感じるのか、
どういうときに2人がぶつかるのか、
そういうことがたくさん明らかになりました。

日本で別々の仕事をしていた時より、
圧倒的に2人でいる時間が長いから、
対話もたくさんしました。

1人1日1万5千〜2万個くらいのキウイを取ります🥝
キウイ食べ放題なのは最高!


そして1ヶ月半でキウイの仕事を辞め、
今はWWOOFという、農家さんのお手伝いをし、家と食事を提供してもらうエクスチェンジサービスを利用しています。

家で暮らすありがたみを感じているのと、
毎日違う仕事をして、いろんなものを食べて、
キウイピッキング生活よりも楽しい日々です🏠

いろんな家族と過ごし、自分たちも将来やりたい農業の体験をすることで、気づくこともたくさんあります。

でも、今のところ感じているのは、
"私たちの描く世界線はブレない" ということ。

将来的にしたい暮らしについては日本にいる時から話し合っていたのですが、そこはブレません。
ニュージーランドに行って、帰ってこなくなっちゃうんじゃないか?
海外に住みたくなるんじゃないか?
ということを言われることもありましたし、
その可能性もゼロではないと思っていました。

でも、結局ブレない。

ニュージーランド生活の中で、
今のところ大発見はありません。
「ワーホリに行って人生が変わる!」
「やりたいことが見つかる!」
ということを全く期待していなかったわけではないですが、
私たちのワーホリの目的はあくまで、
"人生のリセット" と、 "夫婦の土台作り"。

夫婦でたくさん話し合って、2人で決めたワーホリ。
こっちに来てからも、たくさん話し合いを重ねています。
間違いなく、夫婦の土台は強くなってる!!
そしてなにより、こうして話し合って、一緒にワーホリに来れるパートナーと結婚できたことが幸せだなぁと感じる日々です🕊️🤍

残りのワーホリ期間も、いろんなことを一緒に経験して、さらに土台を強固にしていきたいと思っています。

滝の頂上までハイキング🥾
ニュージーランドには自然を感じられる
ハイキングコースがたくさん!


まとめ、これからのこと。

そのブレない将来とは、大好きな仲間たちと、
みんなで子育てをして、
大人も子供も楽しく過ごす
"村" をつくることです。

子供にとって、両親2人だけが身近な大人であるよりも、親がたくさんいるような環境の方が面白いはず。
そして、学校とは別の居場所を作ることになる。
ひとつのコミュニティに依存するより、
複数の居場所を持っていた方が、
どこかでうまくいかなくても逃げ場があり、
所属コミュニティを客観的に見られるようになるはずです。これは子供も同じだろうと。

そして、「子育てが忙しくて会えなくなる」のではなく、大好きな仲間と「一緒に子育てをして、みんなで生きていく」方が、絶対に私たちにとって楽しい人生だと思うのです。

みんなで地方に移住して、
みんなで野菜を育てて、
みんなで料理して、
みんなで食卓を囲んで、
みんなで季節のイベントを楽しみたい
🌸🏖️🎃🎄

これが私たちの描く将来像です。

ワーホリで夫婦の土台を強くした上で、
今度は仲間たちと一緒に暮らしていきたい。
これが私たちにとっての幸せな生き方です。

帰国後の仕事はどうしようか?
具体的にどこに住む?
ということはまだ真っ白で、
ワーホリ期間中も2人で、時には仲間と、話し合っています。

WWOOFで訪れたこのお家のテラスは
みんなで囲みたい理想の食卓だった!!🍽️


こんな夢を語ると、
「あなたのやりたいことに、その学歴要らないよね笑」
と言われたことがあります。

確かにその通りです。
でも、東大に入ったのは、その時の私が目指したかった環境が東大にあったからであって、学歴を活かしてキャリアを積むためではありません。
東大で出会えた友人、学んだこと、部活を含めたたくさんの経験は、私にとっての宝物です。
それで良いのです🌷

私たちは誰しも、いつか命の終わりを迎えます。
そして人生は一度きりです。

だったら思いっきり自分なりの幸せを追求して、
一般的な"成功"とか"評価"とかにとらわれず、
大好きな人たちと楽しく生きた方が良いに決まってる!

というのが私の想いです。

日々目の前の仕事が忙しくて、
何が自分にとっての幸せか、なんて考える暇がない。
という人が、多いように感じます。

でも、その忙しい目の前の仕事も、
あなたが選んだ結果であって、
いつでも辞めることはできるはずです。

私たちがニュージーランドワーホリに行くと決めた時も、一度「自分たちが1年ワーホリに行くなら」と仮定して妄想しました。
「いつなら仕事辞められる?」「家どうする?」「帰ってきて再就職して子供産んでって、逆算しても年齢大丈夫?」「最悪ニュージーランドで1年仕事見つからなくてもお金平気?」
色々考えることはありますが、
一見思い切った決断でも、
案外ひとつひとつ考えてみると現実的な選択肢になったりします。


…と、色々語った私ですが、
日本に帰ったらただの家無し無職です。笑

これからの人生がどうなっていくのか、
わからないことばかりです。

でも、大好きな夫がいて、
一緒に暮らしたい仲間がいて、
自分で選んだ道を生きている私は、
今、間違いなく幸せです🌈

こんな私のストーリーが、
誰かの何かのきっかけになったら、
それほど嬉しいことはありません。

長い文章を最後まで読んでくださり、
本当にありがとうございました🙇‍♀️✨

あなたが、あなたなりの幸せを追求し、
あなたの大好きな人たちと、
楽しい日々を送れますように🍀

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