もう少し、メリーゴーランドを楽しむ
「メリーゴーランド」という歌がある。
降りる
もうこんなメリーゴーランド
さようなら、バイバイ
のっけからただならぬ切なさに包まれたこの歌が好きで、よく聴いている。
歌詞の考察などはできないが、メリーゴーランドとは運命とか人生を表し、そこから降りる決心をするという表明をすることを歌っている。
運命とか人生から降りるというのは、せめてポジティブに考えれば「逆境に抗う」そしてネガティブに考えれば──「自決」だろう。
私が感じている植田真梨恵の良さは、ネガティブの肯定だ。がんばろう、とか、なんとかなるよ、とか、ポジティブがもてはやされる世の中で、つらい、苦しい、消えたい、やめたい…という気持ちは、たとえ見ないふりをしても、確かに私たちの中にある。それをわかったうえでやりくりしていくしかないときもあるよね、という、ネガティブな感情を支えてくれる安堵を、勝手に感じている。
ただやはり、ネガティブの大きすぎたとき、ネガティブは直接人を襲う。おそらく、少し前の私もそうだった。人生の暗雲の中で泣かなかった結果、しっかり思い詰めていたような気がする。
そんな私を救ってくれたのは、小宮果穂さんだ(すみません、これからアイドルマスターシャイニーカラーズの話をします)。
ゲームの世界の果穂さんは、現実の雲の切れ間から陽をさしてくれた。俺は眩しさで泣くことができた。果穂さんを必ずトップアイドルにすると決め、それを支柱に生き始めた。驚くべきことに、始めてからたった5日で、俺の精神は甦生した。嘘だと思ってくれても構わないが、俺だけはこの真実を知っている。
植田真梨恵の良さがネガティブの肯定なら、果穂さんの良さはポジティブの肯定だ(前半の話とむりくり繋げてみました)。彼女はきっと、ただ純粋に一生懸命だ。がんばる、楽しい、あきらめない…少し前まで俺がとりこぼしていた気持ちを、ちゃんと持っている。
俺は実は、そんな果穂さんでも、どこかに陰があるんじゃないかと勘繰っていた。身長163センチ、高校生と間違われる容姿の小学6年生で、男児のように特撮ヒーローが好き──はっきり言って癖のある人間なら、何か、たとえば学校に友達がいないとか、そういったところもあるんじゃないかと考えていた。
邪推だった。果穂さんには友達がいたし、もしいなくて寂しかったなら、友達ができるようにただ努力するだろう。ネガティブは自分次第でポジティブに変わる、変えられると、信じられる強さがある。彼女は自身も、ヒーローのように人を笑顔にできるアイドルを目指すと言っていたが、すでに彼女は俺のヒーローだ。
果穂さんはなんでも楽しむ、きっとメリーゴーランドも。俺も彼女にもらった強さで、もう少し、メリーゴーランドを楽しむことにした。
そして、彼女に体重を預けっぱなしにはできない。俺もきっと果穂さんの力になれると、信じてみせるぞ。
…ここまで書いて、さすがにいろいろと、ゲームに入れ込みすぎじゃないか、と思うでしょうか?そうですね、でもこんな文章、元気な人にしか書けないですよ。私はそれが、ただただ楽しいです。
いま、W.I.N.G.という大会優勝を目指し、三度目の正直だと画面を見つめている。これまでの蓄積があれば余裕だと思っていたが、まんまと苦戦している。また達成できない可能性も十分あるだろう。
見てろよ、俺には果穂さんが、そして、果穂さんには俺がついてる。
クリアするぞ!!
この絵、麗しいのよ。
まんがを読んでくださいね。