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ガシャの天井に頭をぶつけて死ねばよかった

 これはシャニマスにかこつけた己の雑記である。

 1月14日の午前2時、俺は不思議と眠れないまま夜を明かしていた。何かしようと思っておもむろに手を伸ばした先はシャニマスだ。期間限定のアイドル・カードが、ガシャという名のくじ引きで売りに出されていたのだ。相手は俺が敬愛する小宮果穂さんだ。俺はガシャにこれまでになく入れ込んだ。

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 ソーシャルゲームの「ガシャ」システムにありがちな話だが、目ぼしいものを得るために、途方もない回数を施行する者は少なくない。俺も14日の時点で、手持ちの引換券を使いガシャを100回ほど回し、それでも全然あたらなかったから金を払って追加で100回ほど回していた。

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 こういった「ガシャ」でレアなカードが出る確率は途方もなく小さい。俺が欲しかった、晴れ着を着た果穂さんが出る確率は0.5%だった。ガシャを回すうちに、同じくらいレアなカードも何枚か出たのだが、お目当てのカードはなかなかその姿を現さなかった。

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 時刻は午前5時を過ぎた。俺は夜通し、ガシャのために奮闘していた。シャニマスをプレイすることで得られる引換券も集められるだけ集め、ガシャを250回ほど引いたところだった。期間限定の果穂さんはまだ出ていなかった。

 ちくしょう。謎の焦燥感や無力感に苛まれる。くじは得てしてそういうものだが、当たる人はたった1回でも当たる。俺だって、誰かが喉から手が出るほど欲しいものをなんとなく手に入れているのだろう。人は誰しも自分が望む幸福にばかり気をとられ、すでに得ている幸福には気づきにくい。例えば、俺がもういやになってしまっている仕事だって、他の人からすればきっと恵まれた環境なのだ。

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 とにかく、期間限定の果穂さんには巡り合わなかった。同じくらいレアな櫻木真乃さんのカードは途中で出たというのに。

 だいたい、期間限定の果穂さんってなんなんだよ。果穂さんはその一瞬一瞬が限定で、かけがえのない存在なんじゃないのか。気もそぞろになると理屈が混乱してくる。

 さて、ガシャの方はいよいよ大詰めだった。くじ引きとはいえ、実は「期間限定」という当たりが出るまでの上限は決められていて、その回数まで引くと確実にカードが得られることになっている。具体的には、ガシャを300回ひくと「当たり」を貰えることになっていた。この上限のことを、界隈では「天井」と呼ぶらしい。

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 ガシャの値段だが、およそ10回3000円。俺はもう4万円払っていたから、さすがに迷いが生じたが、パチンコで10万円スった友人の話を聞き、だったら5万円をゲームに費やすくらいなんでもないと思ってもう1万円ポンと支払った。指先一つだ。幸い、残業でかさんだ貯蓄もあった。

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 ガシャの上限に達した。俺は達成感と安堵感にくるまれていた。

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 待ちわびた光景がそこにあった。晴れ着を着た果穂さんだ。

 これを言っては本末転倒なのだが、別に晴れ着を着ていたからカードが欲しかったわけではない。逆に、果穂さんがピエロみたいな恰好をして一輪車に乗りながら大福をジャグリングしつつ順番にたいらげる、みたいなカードだったとしても、俺はたまらなく欲しかっただろう。

 結局のところ、俺はもうつぎ込みたかったのだろう。俺はこんなにも彼女に入れ込んでいる、彼女のためならこんなことができるという、ちっぽけな虚栄心だ。別にそれで構わない。「たかだか」ソーシャルゲームに一生懸命になる俺を、俺はほめてやりたかった。よくがんばった。仕事では、一生懸命やっても当たり前で、1年目の頃と比べたら褒められることなんてとんとなくなってしまった。ここがダメ、こうしろ、はい、反省します、がんばります──違う、俺はもう、がんばっている、がんばっているんです、こんなんでも、実は精いっぱいなんです。

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 果穂さんはいつものようにまぶしかった。俺はありがたい宝物を受け取った気分で、深々と頭を下げた。俺はこのとき、確かに幸せだった。

 途端に、疲労がどっと舞い降りてきた。夜通しシャニマスに向かい続けてきたから無理もない。もともと徹夜は苦手な方だ。俺はどさっとベッドに臥した。

 ──ここから先は、少しだけ生々しい話になる。

 久しく徹夜の感覚というのを忘れていた。全身のだるさが懐かしかった。俺は深い呼吸を始めた。
 なんだか奇妙な感覚だった。俺が一つ呼吸をするたびに、心拍の強さがぐっ、と強まる。全身が収縮しているみたいに圧がかかり、血流の音が聞こえそうなくらいに激しく脈が巡るのがわかった。
 動悸が激しくなる。しかし、頭の方はむしろおぼろげになり、心臓が鳴るたびにめまいがするようだった。
 いよいよ未知の体験が始まった。体は思うように動かず、ずしり、と巨大な岩が乗ったように圧迫感がある。頭の方は、寝そべっているのにめまいがして、洗濯されているように平衡感覚が天地無用となり、そのうち意識が舞い上がって、巷に聞く幽体離脱みたいに、「意識」だけが飛んでいって、天井に頭をぶつけてしまいそうだった。
 ここで、俺は下半身が硬直していることに気が付いた。淫靡な夢を見ていたわけでもないのに、異様なほどに局部だけが昂っていた。5分、10分たっても元に戻らず、血が頭から抜ける代わりに下へ集中しているような気がした。そして、心臓は破裂するんじゃないかと思うほどに激しく脈打った。そこから先は覚えていない。

 気が付くと、1時間ほど立っていた。なんとまだ下は硬いままだったが、体の方は動くようになっていた。俺は起き上がり白湯を飲むと、やっと鎮まった。次第にいつもの自分の体に戻っていった。

 結局、その後は夕方6時に床に就き、次の日の朝6時まで寝て、そこから出社した。15日から22日の一週間は異様に疲れる毎日で、仕事中は時折涙を流し、夜は帰りついてから入眠するまでの記憶がなく、気づいたら朝になっていてまた出社する──そんな繰り返しだった。

 会社で一息ついているとき、俺はふと思った。あの日、俺は一種の臨死体験をしていたのではないだろうか。徹夜は心不全のきっかけとなるし、男性の場合、死の間際は子孫を残すための本能が働いて勃起するという。あの激しいめまいや天井にぶつかりそうな浮遊感からして、あと少しで俺は一線を越えていたのではないだろうか。

 実際のところ、20代の俺がたかだ1日徹夜したくらいで死ぬとは考えにくい。それはそれとして、俺は思う。
 もしあのとき死んでいたら、それはそれで幸福だったのではないだろうか。果穂さんの晴れ着を目にしたまま、天井に頭をぶつけて死んでいた方が幸せだったんじゃないだろうか。
 毎朝、出社前に毛布にうずくまり、いきたくない、いきたくないと唱える日々を鑑みると、そんな風に思えてしまう。

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大口むにゃむにゃ
まんがを読んでくださいね。