18.0007 「悲しい」よりも「辛い」気持ちが勝るとき・・・
その日は突然来た。誰も想定していなかったのに。
父は、満60歳でこの世を去った。
とてもきれいな顔だった。
おっさま(お寺のお坊様)が「仏様の顔になりゃあしたね」と
言ってくださったのを覚えている。
早朝に亡くなった父は、病院の裏口から葬儀社の車に運ばれて
普段通りの日常生活が始まる生活音が聞こえる町の中を通り、
静かに自宅に帰ってきた。
正直、20年以上も前のことなので、細部はもう覚えていない。
あの時の母の顔とか、周りの様子とか。葬儀社の人と何を話したか、とか。
そして、私にこんな非常事態が起こってしまって、いつ突然破水し出産になるか、と産婦人科の先生がとても心配してくださっていた。
ともかく、きちんと父の葬儀を行うことが最優先課題となった。
今では家族葬を行う式場も多くなったが、当時お葬式は会場で立派に行うことが普通だと私も母も思っていた。
父はごく普通の一般人だったけれども、近くの葬儀場のまあまあ広い式場で葬儀を行うことを決めた。
ひと晩は、自宅で過ごすことになった父。
私たちの知らない人たちが、お寂し見舞をもって訪問に来てくださった。
父はいろいろな人たちに慕われていたんだな、、とその時初めて実感した。
父が亡くなった時、父の母、つまり私の祖母は生きていた。
祖母は、自分より先に子供が亡くなったことになる。
祖母はとても芯が強い人だった。
誰が挨拶に来ても、涙を見せなかった。
むしろ、いつもよりさらに毅然とした態度で、きりりと挨拶をしていたのが私にとっては強烈に印象に残っている。
自分の息子が亡くなったのに、一粒の涙も見せないなんて、、
と思う人もあったかもしれない。
でも、私は、祖母の気持ちがわかっていた。
なぜなら、その夜にこっそり見た祖母の姿を知っているから。
そして、それは私しか知らないから。
訪問客が帰った夜遅く、母も泣き疲れて横になっていた時、
私は、祖母が、父の傍らで、うずくまって、声を殺して
泣いている後ろ姿を見たのだ。
これは、ここに書くのが初めてで、母にも言っていない。
でも、私の中にとっておいたものを今ようやく出そうと思った。
父が亡くなって、誰よりも辛かったのは、
母でも私でもなく、祖母だったのだ。
あの、小さく、小さく、丸くうずくまった背中。
声をぐっとこらえて震えていた小さな背中。
祖母の強さは、どこからくるのだろう。
もう、それを聞くこともできないが。
葬儀当日、私と母は驚いた。
会場はたくさんの会葬者でいっぱいだったからだ。
父が亡くなったことを知り、本当に多くの方が見送りに来てくださった。
亡くなって初めて知る、父の人柄。
そう、
私は父が人のことを悪く言うのを一度も聞いたことがなかった。
どんな人にも優しくて、体は小柄だったけど心は大きな人だったんだと
いなくなってから知った。
私は、臨月だったので、お骨をひろうことは許されず、
小さな骨壺に入った父が自宅に戻ってくるのを待っていた。
▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、
明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。死別ではなく、自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身だということを胸にとどめることが大切だとも思っています。
誰のせいでもなく、自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。