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47.0036 自分の母を『しびれるほどカッコイイ!』って思えるのは、しあわせだ~💖

出逢いがあれば、別れがある。
別れがあるから、出逢いがやってくる。

私は、娘を妊娠してから、この言葉を
身をもって  いくつも、いくつも経験してきた。

 「いつか別れは くる」わかっていた。
 そうして、また、別れがやってきた。

Hさんは、奥様もガン、一人娘様もガンだったと聞いていた。
そして、今度は、Hさん本人が肺ガンの宣告を受けたのだ。
Hさんは、とても冷静だった。
凛とされていた。  末期ガンだった。
 そして、最後まで、自分ができる限り最新の薬も使って、生きよう!とされていた。
 娘と何度もお見舞いに行った。
 見た目は、病を患っているように見えなかったくらい、私たちの前では元気な様子を見せてくださっていた。
何度か、マンションにも戻ることができた覚えがある。
母は、Hさんへの感謝の気持ちを込めて病院に通い詰めていた。
 Hさんから 母に、「美樹さんと〇〇(娘)に、黒川のマンションを譲りたい。美樹さんが一人で子供を育てるのは、本当に大変なことだよ。〇〇のために、マンションを売れば、いくらか経済的な助けになるから」ということだったらしい。
 
 母は、断った。 私も、断ってくれて、本当に良かったと思う。

 どんなに仲良くなったとしても、他人様なのだ。
 娘でもない私が、Hさんの資産を譲り受けることは全く筋が違う、と思っていた。母も同じ気持ちだったのが、うれしかった。
 私たちは、Hさんが天涯孤独であることを知っていたので、最期までそばにいて、お別れの式まできちんとやりたいと話していた。
 どういう形になるかは全く見当つかなかったけれども。
 
 お医者様からも末期で寿命が宣告されていた。
ということは、近いうちにその日が来る。わかっていたけど、本当にその日は、突然やってきた。
 いつもどおり、お見舞いに行き、娘と家に帰ったとたん「今 亡くなった」と連絡がはいったのだ。
 大至急で病院に戻った。
 そこには、もういつものダンディな風貌で、娘に優しく語り掛けるHさんはいなかった。 ようやく、すべてが終わった、闘い抜いた・・・という様子のお顔だった。
私の娘にとっては、初めて人が亡くなったところに立ち会ったことになる。
大泣きしていた。 多分びっくりして、「じいじが死んじゃった」という意味と、動かないHさんがつながらなかったと思う。

彼女に、あの時のことを一度も聞いたことはない。 
もう、聞くこともないかなと思う。

Hさんは天涯孤独、と言いながら、
やはり親戚がいらっしゃったようだった。
 お葬式にいらっしゃったかな?どうだったかな?覚えていない。
ご親戚がいらしたか、は全く覚えていないけれど、友人葬で、たくさんの方が最後に会いに来てくださったことを覚えている。

    Hさんの人柄がしのばれる温かいお葬式だった。
 
 お葬式が終わって、どのくらい後だったか、
Hさんの親戚の方が、私たちのところにやってきた。
 人の好い私たちは、「きっとHさんの思い出話がしたいのかな」なんて思って、最初は快く、家にあがってもらった。
 ところが、その親戚の方が、母に、お金の束が入った封筒を差し出したのだ。
 母の顔が固まったことと、即答で「いりませんよ!!こんなもの欲しくて、病院に行っていたわけじゃないですよ!!」と口調荒げ、突き返したのを覚えている!
 その人たちは、私たちが、後々何かを請求する、と思ったらしい。。
 あほらしい。そんなレベルの付き合いじゃないんだよ、私たちは。
 そのご親戚のおかげで、
 私も母も、大事なことをしっかりと胸に刻み込むことができた!!

 腹は立ったけど、その人たちにもありがとうと言いたい。

 「ありがとよーー。こんな嫌な役を引き受けてくれて。」

私たちは、大変だけど、自分たちの力で一生懸命働いて、がんばって、ふんばって、そして笑って、おひさまの下で生きていこう!!!と、母は思ったかどうかはわからないが、
私は、そう思うことができた。 

 とにかく、啖呵を切った母のあの姿は、
めちゃめちゃ怖かった(笑)けど、すっごくシビレル程かっこよかったわ~~😍。




☆今回もお読みいただき、ありがとうございます★☆
  全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
  お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
 『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
 どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!

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