4.自分の性格が何とな~くわかるのは、幼稚園時代かな、と思う
いよいよ、私も社会性をもった生活を始めることになったー😁
4歳になる年に、師勝幼稚園に入園することになる。
上の写真は、入園式の時のものだ。母は、貫禄が出始めてる(笑)。
私立の幼稚園で、お寺が母体だった。なので、
お誕生日会は本堂で行い、お坊さん(おそらく園長だった)の説法
というか子供向けのお話をしてくださったと思う。
本堂がなんとなく怖かったことしか覚えていないなあ。
幼稚園の制服はかわいくて好きだった💖↓↓
ボタンを留める感覚をうっすら覚えてる。それが好きだったんだね。
とにかく、この頃は髪が長かった。
で、結構オシャレなお洋服を着せてもらっていたようだ。
母が洋裁もできたし、祖母は着物を縫っていたし、で手作りいっぱいだった。私には、二人の裁縫の才能が少しも遺伝されてない~とほほ。
ともかく、私は一人っ子だったこともあってか、母親の近くにずっといた。
その影響から、他人の近くにいくのが恥ずかしくて恥ずかしくて、
極端なことを言えば、親と1メートル以上離れるのが怖かった感じだ。
幼稚園はバスで行っていたが、ものすごーく遠くまで行くんだ、、と寂しかった。
(実際は、卒園し小学生になってから幼稚園へ行ってみると、思ったより近くにあって、驚いた記憶がある。子供の距離感覚ってそんなものかもね)
そんなわけで、お遊戯会とか発表会とか苦手なんてものじゃない。
嫌で嫌で、泣いて泣いて、母を困らせたものだ。
ひな祭りの写真では、一番小さい私は、周りの子の勢いに圧倒されて、
手もあげられない様子がよくわかる。。
背は、一番小さくて、食も細かったかもしれない。
(ここからは母の話による)給食が食べられず、お残りで職員室で食べるのだが、そっと様子を見に来た母が目にしたのは、
なんと、食べられないパンとかを、私がちぎって下に落とし、足でくちゃくちゃとしていたというのだ。 なんてもったいない!というか、その時の私にとっては給食を食べきるなんて、苦行以外のナニモノでもなかったということ。今の私なら、いくらでも食べちゃうけど🤣
「わたしは、おとなしい子なんだ」
おとなしいという言葉を私が知っていたかどうかは、わからないが、
もうそのくらいの年齢から、目立つ子とおとなしい子は分かれてくる。
私は、自分が目立たない子なんだな、おとなしい子なんだな、と感じていた。 それでも、活発で目立つ子にあこがれがあって、
くっついていた。
一緒に遊んでも、活発な子は滑り台も走っておりる!!
私は怖くてできないから、しゃがんで降りる!
そんな風に、幼稚園時代は過ぎていった。
今年50歳になる私が、いまだに覚えている
人生で一番最初に洗礼を受けた社会の現実は、
実は幼稚園時代にある。
それは、次回に書こうと思う。
💚今回もお読みいただき、ありがとうございました😉