29.0018 [今こそ~別れめ。いざ、さらばじゃ!!]その2
⏩⏩前回のつづき😊
娘と潜伏した先は、ちょっと古いアパート?マンション?みたいなところだった。3階か4階だったと思う。
布団と娘の服とかおむつとか、おもちゃとか、少しの台所用品とか。。。
とりあえず最低限のものだけがあればよかった。
<私は結局甘ったれた 何にもできない娘だったんだなあ>
その時、自分だけでは何とも動けなくって、いろんなことを母とHさんが助けてくれた。実家でずっと住んできた私には、賃貸の家に住むためにはあんなにたくさんの手続きが必要なんだということも、恥ずかしながら初めて知った。
無職だったので、祖父が遺してくれたものを取り崩すところまでになっていた。
母も、長期間私が家を離れるとは思っていなかったし、私も彼との問題が解決したらすぐに帰るつもりだった。
結局、(家を出た季節も覚えてなければ、家に戻った季節も覚えていない・・・が、たぶん、) 7,8か月の間、潜伏期間!?を送っていただろうか(うろ覚え)。私は一人娘で、一人孫だった。だから、祖母はとても心配していたと思うが、なにせ芯の強い祖母。決して私に、何か言ってくることはなかった。ただ、ただ、じっと待っていてくれた。
昔からの知人には誰にも言わなかった。
私と娘がどこにいるのかを。
そうすると、わかってくることもあった。
それまで、友人と思っていた人たちが私から離れていったのだ。
これは、私にとってショックだったが、今は、『分かってよかった!』と思う。
いろんな人たちが私から離れていったその時、一人だけ、何度も何度もあきらめず、母に連絡を取り続け、私のことを心配し、手紙をくれていた友人がいた。
それが、今も私が心からの信頼を寄せているkaoちゃんだ。
kaoちゃんは、私たちが中学校時代からの友達。高校も大学も違って、kaoちゃんは、卒業してから東京へ戻っていったけれど、、それでも私たちは、ずっと親交をふかめていた。
何かを手放すと、本当に大切なことが自分にはあることに気づく。
それが、私にとって、kaoちゃんの存在だった。
私の人生の「ここぞ!」という時には、いつも必ずkaoちゃんがお助けウーマンで駆けつけてくれた。
彼との問題の解決はいよいよ大詰めになっていた。
距離を置いたら即解決、という簡単な問題ではなかった。当たり前か。子供がいるからね。
⏩⏩もっと書きたいけど、眠くなってしまったので、ここで休憩
つづく😊
■今回もお読みいただき、ありがとうございます。
全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!
▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身なんだということ、そして、誰のせいでもなく自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。