30.0019 [今こそ別れめ。いざ、さらばじゃ!!]その3
私の気持ちとしては、もう一人で子供を育てようという決意は固かった。
だが、先方だって、先方の考えがあったんだろう。
簡単に「ハイ!さようなら~」というわけにはいかなかった。
そのあたりの話し合いにきちんと向き合わなかったのは私の悪かったところだと思っている。
だが、当時、私は自分で自分の考えをきちんと整理して対処していく力が残っていたか、というと難しい時だった。
弁護士さんにも、何人も相談に行った(無料相談など紹介してもらって)。
正直なところ、その時の最初の弁護士さんの対応で、かなり傷ついたこともあった。
無職で半分生気が抜けたような感じの私と、社会的立場のあるパリっとした彼とでは、信用度が違うのが弁護士さんの態度から明らかにわかった。彼の言い分のほうがもちろんよく聞いてもらえた、ということだ。
私は、自分の立場のほうが弱いことはわかっていた。が、どうしたらいいか分からなかったので弁護士さんのところに行ったのに。。。
弁護士さんは社会的弱者(私)の味方になってくれる、と思っていただけに、ショックじゃなかったと言ったらウソになる。
<人はやっぱり、社会的立場や身についているモノや放つオーラで判断されるのかな>と思った。
ショックだったけど悲しくはなかった。社会ってそういうもんなんだよね、と どこかで分かってたような気がしたから。
もんもんと悩んでいると、Hさんの知人(母の知人でもある)のA会長がA会長の顧問の弁護士さんを紹介してくださった。
HさんもA会長も、事業をされていた方で、お二人とも 見た目(笑)も考え方も、いかにも『ザ・昭和の男』。義理人情にとても厚く、筋が通らないことは断じて許さない、というタイプの御方だった。Hさんと母から私の状況を聞いたA会長は、すぐに動いてくださった。
A会長の顧問弁護士だった先生は、それまで会った弁護士さんと全然違っていた。180度違うとはこういうことだな、とも分かった。
とにかく、きちんとお別れをして、娘と新しい人生を作っていくんだ!!
と、先生にその思いだけ伝えて、あとはお任せすることにした。
1回の面談で解決してしまった。
もともと婚姻関係があったわけではないのだから、複雑な手続きが必要ではなかったんだろう。私は、一切養育費を請求しない、と決めていた。
それが、私が自分で産むと決めて自分が育てるという決意の証だと思ったから。
その後、娘が小学校にあがるころ?先方からお祝いが送られてきたと聞いたが、「私」(母も)は受け取らなかった。親戚に代わりに受け取ってもらったと思う。その後お返ししたのだろうか、わからない。
娘に、と、ひとつ受け取ったものがある。
それは、彼の母が、孫(私の娘)が大きくなった時に渡してほしいと大切にしていた指輪だ。
それだけは受け取った。もう二度と会えないだろう孫への最後の想いを受け取らなくては、私は非情人だな、と感じたから。
まだ、きちんととってある。いつか必ず娘に渡すから。
あの時、A会長に助けていただかなかったら、今の私と娘は ない。
A会長への御恩を返したいと思いつつ、時は経ち、
今年、6月にA会長は亡くなられてしまった。。
先に旅立たれたHさんと一緒に笑いながら
天国で過ごしていらっしゃるだろうか。
⇒ https://www.facebook.com/oguhimiki 私のフェイスブック、6月6日にA会長のことを書かせていただきました・・・。言葉では言い表せないほどの感謝の気持ちを込めて。
■■今回もお読みいただき、ありがとうございます。
全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!
▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身なんだということ、そして、誰のせいでもなく自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。