22.0011 妊娠も出産も病気じゃないけど特別体制😊
妊娠発覚から、まるでジェットコースターのような猛スピードで上に下にと いろんな出来事をダダダーッと乗り越え、無事出産。
帝王切開手術のうえ、妊娠中毒症の経験者ということもあってか、入院期間は少し延び、まるっと2週間だった。
感動の初対面を経験したものの、私は点滴につながれまくっていて、赤ちゃんと同室はかなわなかった。
↑ちょっと恥ずかしいけど😅。出産翌日の娘と私。
私の顔はむくみがひどかったんだなぁ。
私の体調は芳しくなかった。
心臓があぶるような感覚が時折襲い、それを処置するお薬を点滴で打ってもらう、ということを繰り返したと思う。
手術も初めてだったから、傷の痛みがだんだん強く感じられた。
それでも、赤ちゃんに会いたくて車椅子に初めて乗ったのも、この入院の時。
赤ちゃんがいる部屋へ看護婦さんに連れて行ってもらった。
3月30日という年度末(は赤ちゃんには関係ないけど)ギリギリに生まれたので、赤ちゃんってどのくらいいるんだろう、と思った。
ら、けっこうたくさんの赤ちゃんが新生児室にいて驚いた。
そして、もう一つ驚いたこと。
私は、『わが子が一番!可愛い赤ちゃんに違いない』と思っていた。
赤ちゃんは小さくって、というイメージで🧡
ところが、新生児室で、一、二を争う大きさで、
どーーんと存在感バリバリな赤ちゃんが二人いて、そのうちの一人が、わが娘だったのだ🤣
あれ?あれ?こんなにうちの子、おっきいの??
当時、子供は小さく生んで大きく育てる、みたいな流れがあったらしい。
わが子は3686gで誕生。身長も49.5㎝と、大きかった。
周りは、2600gとか2800g、で一回り小さい。
その時の新生児室で、一番大きいのが我が娘と、その翌日に生まれた女の子で3800gくらいだった。
おっぱいをあげる練習も始まったが、極端に大きい赤ちゃんを小柄な私が抱っこしている様子を思い出すと、それも今は笑えるいい思い出😁
本当に重かった~~!
そして、いよいよ家に帰る準備に入った。
🔺🔻🔺今回もお読みいただき、ありがとうございました🔺🔻🔺
▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、
明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。死別ではなく、自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身だということを胸にとどめることが大切だとも思っています。
誰のせいでもなく、自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。