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50.0039 どんな状況だって幸せだ~と思ったもん勝ち😘これで決まり!

私が自分の手でつかみ取った!!新しい職場。
まず、面接の時から、ド・ド緊張していた(笑)。
なにせ、すごーーくきれいなビルで、ピカピカの応接室に通されたから。
ワタシったら、普段着で面接に行ってしまい(^^;)
こんなきれいな会計事務所なの?と思った覚えがある。
その面接者の方の質問で、何が聞かれたか・・・はもう記憶の彼方へ行ってしまった~。
ただ、年明けすぐに働けます!と言ったはず。なぜなら、その翌年1月から働き始めた、との記録があったから。

時給は、なんと900円だった✨✨✨
「なんと」というほどではないかもしれないが、、私は最初760円で社会復帰したのだ。
この900円という数字が、とてもまぶしかった☆。
さらに、勤務時間も朝9時から17時半まで。パートタイムなので賞与はなかったけれども代わりに寸志がいただける。
結果、月々手に入るお金が増えた!!やったー!!

私は、パートタイムで、いつまで雇ってもらえるか わからないのに、「働いた分から、ざっくり生活費は抜いて、残りは娘のために!」と思っていた。つまり、貯金はゼロ。
 すっごいどんぶり勘定だわね🤣

シングルマザーで生活費だけで大変。とても子供の習い事なんて、、という話もあるかもしれない。
私はその点、恵まれていたんだと思う。
実家に暮らしていたこと。母が近くにいたこと。
すべての条件を、娘がのびのびと大きくなる環境を作ることを最優先に使いきろう!!と思っていた。
 娘の興味が芸術方面に向いていることから、音楽教室を皮切りに、普通の家庭の子供たちが行く習い事でも、私は精一杯背伸びして、行かせた。

音楽教室の次には、絵画教室へ行かせることにした。
家にあるものをどんどん使って制作活動(笑)をしていく娘のために、不器用な私のそばより、もっと建設的にモノを作ることを教えてくれる大人がいるところに行かせたら、この子はどんな風になるかな、と思ったから。
 <幼稚園児から美術大学受験まで対応します>というお絵描き教室を見つけた。 そこに娘は週に1回、通っていた。
保育園児のうちに、あの幅広い年齢層の中で一緒に制作活動ができたことも、娘にとっては大収穫があったようだ。
ある時は、制作に夢中になりすぎて、おトイレに行くことを忘れてしまったくらいだーー😅。おしもがべたべたの娘を、車の後部座席のところに立ったまま(前座席のヘッド部分を持たせて)家に連れて帰ったのも、
今では私たちの笑い話。当然、本人は覚えてないけど~~。
 さらに娘の興味はもう一つ増えた。
保育園で仲良くしていた子が習っていた『英語』だ。
これこそが、彼女の運命の出会いだった、と私は確信している。
音楽教室はヤマハだったので、その同じところに英語教室があった。
偶然、その仲良しの子もヤマハの英語教室に通っていて、娘もそこに行くと言い出した。
これでも、私は英文科卒!よし、娘と一緒に英語を勉強しよう!
と思ったが、さすが音楽のヤマハ。歌いながらの発音教育や、文章読み。
英語が楽しくなるような教育プログラムは、娘にとっては完璧に合っていた。あっという間に、私の発音力なんかとっくに追い越すくらいの進歩を見せて、もはや私が教えるなんて、おこがましいくらいの
英語への感度が高まっていった。 
私の直感「貯金はゼロだけど、今こそ投資の時。この投資は、何も惜しくない!すべてが彼女の糧になる」 は、当たっていた。
この時期が、危ういプラマイゼロが続きまくって、
いつもすっからかんの私だった。
相変わらず、自分の洋服は昔からのを着まわして、
買うなら古着でオッケーって思うくらいだった。

☆★今回もお読みいただき、ありがとうございます★☆
全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!! エイ、エイ、オー🧡💛💚

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