15.0004 胸が締め付けられるような思い出 その1
ちょうど、30歳を迎える年に出産予定だった。
2000年がもうすぐやってくるということで、世の中、私の周りは何だか盛り上がっていたような気がする。
一方私は、””子供を産む”と決めたはいいが将来のことが全く見えず、気持ちがふさぎ込んでしまっていた。
妊娠も8か月頃になると、身長の低い私には、体の重さがかなりの負担になっていた。もちろん、彼との関係も明るい兆しは全くなかった。
1998年の12月24日の夜、
私は一人で名古屋港へ向かった。
今はもうそのイベントはないかもしれないが、
当時、クリスマスイヴには名古屋港で花火を打ち上げていた。
テレビでも中継をするくらい名物になっていた。
なぜ、私は一人で行ったか、というと
花火を見に行ったのではなく、
お腹の子と海に飛び込もうと思っていたのだ。
これ 本当の話。
もう、何もかもから逃げたくて、すべてが絶望的にしか見えなかった。
名古屋港の広場には、家族連れ、仲睦まじいカップルがたくさんいた。
みんな、みんな、すごく幸せそうに見えて、
私だけが一人、大きなお腹をかかえ、寒い中、ポツンと立っていた。
涙も出ないくらいだった。
飛び込んだら、楽になれる。
海は暗くて、花火や明かりや周りの華やかさとのあまりの違いを今でも覚えている。
ふっと、公衆電話をみつけた。
当時、携帯電話なんか持っていない。黙って家を出てきてしまったので、
最後に親の声聞いておこうかと思って、電話してみた。
母親が電話口で「美樹さん!!心配してるんだよ。どこにいるの!!寒いから気を付けて帰っておいで!」と言っていた。
それを聞いて、我に返ったような気がする。
そうして、大きなお腹を抱え、えっちら、おっちらと歩きながら、電車を乗り継ぎ家に帰ってきた。
あれから20年以上が経ち、本当に本当に心から思う。
よかったーーー。生きてて。あの時、家に電話をかけてよかったーー。
ただ、正直なところ、子供が小さいうちは、
名古屋港へ行くこと、名古屋港花火大会を見るのも聞くのも嫌だった。
あの時、ひとりで見た花火を思い出してしまうから。
今じゃ、ひとりでも花火大会だって見にいけちゃう!くらいな度胸がついてしまいましたが😆😆😆
▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持って
もらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」
と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。死別ではなく、自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身だということを胸にとどめることが大切だとも思っています。誰のせいでもなく、自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。