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28.0017 [今こそ~別れめ。いざ、さらばじゃ!!]その1

もう20年近く前のことになると、記録といっても時系列はあいまい😅

おまけに、こうやって書きだすと、
私が出会う人たちは、イレギュラーな人生を送っていて、
「私の周りは濃厚な人生の人がけっこう多いなあ~」と気づいた。

だから、娘が何歳の時どういうことがあって、、と順番に記録するよりも、私の周りにいた人たちとの交流で得た<感動>や<思い出>を
 時系列はグチャグチャでも 書きしたためたほうが、
私の人生をより一層ドラマチック (かっこよく言うと!)に仕上げてくれる(気がする😁)。

 人生は、TVドラマよりドラマチックだ!! これ、実感。

そんな中でも、もちろん私にとっての最大の決断は、
本当にひとりになる    と決めたことだ。
つまり、娘の父親ときっぱりと別れることにした。
それはたぶん、娘が2歳になる頃だったと思う。
どういう理由でそうなったのか・・・などはもう昔の話だし、
利害関係者もいるので詳細は省く。

ただ、私は相当メンタルがまいっていた。
今、巷に見かけるメンタルクリニックは、当時は周りになく、
探して通院していた。
夜は眠れない。自分を責める日々。そんな私の様子を見て、
娘まで まだ生えそろわない前髪を自分でひっぱり、
私と娘は前髪がバラバラだった。
その髪型だけ話として聞くと今は笑えるけど。当時はもちろん笑えない。

先生のアドバイスもあったが、
母とHさん(前回のお話に出てきた)もとても心配していた。
そこで、彼から距離をとるために
なんと、私と娘は家を出ることにした。
つまり、夜逃げ、というか、家出というか、
一言でいえば、「逃げた」。
でも母は味方だったから、家出というのとは違うなあ。
荷物を置いたまま、必要最低限だけをもって、
父が残してくれたお金を少しと、私のわずかな貯金をもとに、隣町のアパートを探し出し、こっそりと移動。
母とHさん以外の誰にも言わないで、家を出た。
もちろん、どの友人にも、だ。
その時の、自分の気持ちは覚えていない。
たぶん、自分で何かをしっかりと考える力がなえてしまっていたんだと思う。とにかく、娘と二人で、新しい部屋でしばらく暮らすことになった。
    ⏩⏩その2につづく🙂

    今回もお読みいただき、ありがとうございます。
  全くの個人記録ではありますが、私の経験談のいくつかが
お読みいただくどなたかの経験とも重なるかと思います。
  『どんなことがあっても大丈夫。自分で選んだ道の結果だから必ず何とかなる!』とようやく思えるようになりました。
 どこかにいる、こんな私と共鳴してくださっているシングルマザーのあなたを、私は応援しています!!

▶私はこのnoteを、シングルマザーの人たちに少しでも共感を持ってもらったり、私の経験を読むことで「よーし、明日からもがんばろう!」と、明るく未来を語れる自分になってもらえたら・・・との願いを込めて書いています。
 ひとり親になることを選んだのは、多くはシングルマザーの決断によると思います。自らの意思による離別により、シングルで子供とともに生きることを選んだのは自分自身なんだということ、そして、誰のせいでもなく自分が選択した結果が今なんだ、と強く感じています。

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