8.「私」が生き残るため、人生で最初に考えた「やりかた」😁
小学生時代を思うと、やはり親の影響が大変大きかった。特に母親の影響だ。一人っ子で、おとなしく、声も小さく、体も小さく、気持ちも優しい(と自分で言うのもなんだが) 私は、母が「こうあるべき」と示す方向へ向かえないと、自分はダメな子になってしまう、と感じるようになり、すこしずつ本来の自分とのギャップがつらくなってきた。
友だちもいたし、それなりに社会性をもって一緒に遊んだり、友だちとの誕生日会など、一通りの行事はこなしていったけれど・・・
でも本当は、一人で空想にふけって物語を考えたり(笑)、ぼーーーとしたり、木や花、空や雲、を見ていたりするのが時間を忘れるほど好きだった。
↑ ↑ たぶん、小学校3年か4年生のころの写真。お友達の家で😊
小学校になると、図書室がある。
本好きだった私は、とにかく本を借りまくっていた。
図書カードと言って、借りた子は、たしか本のタイトルとハンコを押してもらえた。そのカードは表裏いっぱいになり、何枚目かまで達成していた。
それでも、本当に本好きな子は他にもいて、その子たちは勉強もよくできた。 私は、勉強嫌いではなかったけれど、それほど成績もよくなく、中間くらい、ほどほど~だった。
性格がおとなしく、これといった特技もなく、成績がとびぬけているわけでもなく、目立ってかわいい🧡~~というわけでもなく(笑)、体育は苦手。泳ぐのもダメで、走るのもダメ。
何とも 鈍くさくて、要領が悪いタイプの子供時代。
ある時、母親から
「要領が悪いなら、人の倍やればいいんだよ」と言われた。
それを聞いて、私は思った。
「そっか~。時間がかかっても人の倍やればいいんだ!」
単純なのは、生来の性格だったんだな~と今思う。
それ以来、私は、うまくいかないことがあっても、
「きっと私の量が少ないだけ。人と同じだけしかやってないから。
その倍やれば、ほかの人と同じくらいになれる」と思い込むようになり、
実は、ずいぶんと大人になった今でも!!その考え方は根付いている。
それも、かなりプラスの方向で💖💖💖
思春期の頃は自分の鈍くささが嫌になったときもあったけど
今は大好き~。
人の倍やればいいのさっと思うだけでがんばる馬力が出てくる
この単純な自分の発電機がお気に入りだ😊
次回は、小学時代に私が得た運命を分ける出会いについて書こうと思う。
お読みいただき、ありがとうございました!