6.人のご縁の不思議さ・・・これが何かの出発点だったのかもと思うこと
第一回noteで書かせていただきましたが、↓ ↓
https://note.com/oguchi_miki1031/n/n352b314c989c
私が人生で出会って身近にいて(今はあの世だけど)尊敬している人!!と言ったら、まずは私の父方の祖父です。
私にとっては、やさしくてやさしくて大好きなおじいちゃんでした。
どんなことをされていたか、は幼少期の私はもちろん知りませんでしたが、
いわゆる昔の「町でよく知られた人」だったようです。
師勝農協史(昭和50年3月発行、非売品)によると、昭和24年からずっと、師勝農協の組合長のお役をいただいていました。
(いつが引退だったかな、というのはただいま調べ中)。
おじいちゃんが私に話してくれた事は、私自身の宝物✨として、とても大切にしていることなので、後々、書いていきますが、今回は、それに付随して、私の人生において大きな出会いとなるきっかけを、このおじいちゃんがくれていた、というお話です。
これは、不思議だけど本当の話。
私が仕事に没頭するようになった頃、祖父を知る人から教えてもらったのですが、昭和49年5月、大・大スターの都はるみさんを、師勝町(現在の北名古屋市ですね)に呼んで歌謡ショーを開催したのが、師勝農協を率いていたおじいちゃんだったというのです。当時の大スター都はるみさんが、こんな田舎に来てくれるわけない、と批判(やっかみ?)もあったそう。
でも本当に来てくれました。
『主催:師勝農協』って、書いてあるんですよね~😍
都はるみさんに、最敬礼でお辞儀をするおじいちゃん😊
おじいちゃんが、都はるみさんを好きだったのは、覚えています。
はるみちゃん、って言ってた記憶が。。
実は、この時、孫の私に花束贈呈をさせたくて、着物を作って用意していたのに、恥ずかしがりやの私は、そんな大勢の前で、それも大スターに花束を渡すなんて、できず。。
こうして、おじいちゃんがお辞儀をして花束を渡すことになったらしいです😂(母の記憶によると)。
今なら、呼ばれなくても、ワタシ、出ちゃいます(笑)!ははは。
ほんとうに可愛くて、素敵な方ですね~。
名曲「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」「好きになった人」「北の宿から」「大阪しぐれ」などなど、日本の歌謡界の華々しい歴史に欠かすことのできないスター都はるみさん。
私は、なかでも「涙の連絡船」が大好き🧡🧡🧡。
たぶん、おじいちゃんがカセットで聞いていたのを見たんだと思います。
それも、私のうっすら記憶だと、ステテコをはいたおじいちゃんの後ろ姿です。 どんな顔をして、はるみさんの歌をきいていたのかな、、
今でもこの曲を聴くと、なぜか、なぜか、涙が出てきます。
おじいちゃんの後ろ姿が思い浮かんで、切なくなるんです。
私も、あの時のおじいちゃんの年齢に近づいてきたからだね。
まさか、後々、都はるみさんつながりのご縁をいただくことになるとは。。
歌謡ショーの時の記念写真。
おじいちゃんのうれしそうな顔!!!
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よーし、涙の連絡船 聴こうっ🎀
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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