とあるamt社製 1/25 '59 エドセルが教えてくれたこと
バントウスペースやアメリカンカープラモクロニクルによると、当時の子供達はカスタムパーツやデカールを使ってキットを「自分だけの」仕様にするのに熱中したらしい。
話を聞くとふーんそうだったのか、ぐらいのものだったけど、この車体に残された痕跡を見てそれが実体を伴って私に迫ってきた。
日に焼けてファイヤーパターンのデカールの影をしっかり残すそのボディは長らく、おそらくは日の当たる一等地に飾られていたことを想像させる。
それに接着剤の跡はカスタムパーツの痕迹だ。
大のお気に入りだったのだろう。
想像だがこのキットは少なくとも一度はさらに第三者に渡っていると思われる。
デカールやカスタムパーツ、各部品を剥がしてあるのだ。
'59はキットの残存があまり無いと聞く。
どこかの誰かがこのかつては誰かがお気に入りとして飾っていた完成品を入手し、ばらし、自分なりに仕上げようと思ったのだろう。
でも挫折。
その後どういう旅路を辿って京都のフリートウッドさんにいたり我が家に来たのかは知らない。
何はともあれ我が家にやってきた。
そのボディやパーツからは所有者達の思いが滲み出ていた。
それを受け継いだ感じがした。
自分1人で感傷的になってるだけかもしれないがそう感じた。
そんなわけで自分なりに手を入れて完成させようと手を動かし始めた。
補修や整形が上手くいかず何度も挫折しそうになったが、他の方の別年式のエドセルの製作や入手時の写真を見るとそれらが手を動かす原動力になった。
今は不満点はあるもののなんとか完成し、自分のお気に入りの場所に飾ってある。
この'59エドセルはアメリカンカープラモが当時子供に大人気だった、カスタムするのが大ブームだった、キットによっては再販がされずレア品になる、お手つき品であっても作りたい人がいる、60年以上の長い歴史がある、そしてそれにまつわる人々の物語がある、そんなアメリカンカープラモ近辺の景色を本当にあった事だよと、丸ごとパックにして私に届けてくれた気がする。
'59エドセル君は私がこの世から去る前にまたどこかに旅に出そうと思う。どなたかのお気に入りとしてさらに歩んでいってもらえると嬉しいのだ。