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克服とぬい活
少し重たいお話になってしまうので、
もし読んでいて辛くなってしまったり、不快な気持ちになったりしてしまったら
そっとこのnoteを閉めてくださいね。
いつか絶対にこうしてお話しすることになるだろうとは考えてはいたのですが、どうしても向かい合うことが厳しい時間が続き、やっと文章としてまとめさせてもらいました。
そんなリスクがありながらも、私のnoteが誰かを生きやすくできたらいいなと思い少しだけ書いてみることにしました。
Xのアカウントを立ち上げて、早一か月ほどですね...
アカウントの方針と言いますか、オタ活の方針と言いますか、私の中でも大体定まってきたようにも感じます。
やはりその中で大部分を占めているのが、ぬいぐるみのお洋服を作るというオタ活ですよね。
私もまだまだ初心者ながら、「私も作ってみたい」というお話や「ぬんさんのぬい活が好きです」という素敵なお言葉に支えられて、制作することができています。
小さいころから表舞台が苦手だった自分にとっては、趣味を認めてもらう機会が希少だったため、本当にどうお礼を述べればいいかわからないほどです。
沢山の素敵なお言葉とご縁を本当にありがとうございます。
話下手で同じようなリプライしかお返しできないことが大変悔しいのですが、どのお言葉も大切に受け取らせていただいてます。
突然にはなりますが、この活動をしているのには結構理由があったんです。
簡潔に記しますが、長文になってしまったらすみません...
どうしてもお伝えしたいことは上記しましたので、興味がある方のみお読みいただけたらとてもうれしいです。
また、病気の克服に重きを置いたお話は、後々noteにまとめられれば良いなと思っております。
私は2024年10月に大学の休学と入院を言い渡されました。
診断名は拒食症による低体重でした。
1年以上前から食事が喉を通らない生活が続いていたにもかかわらず、体重という数字に捉われ続けて、自分の異常に気付くことはできませんでした。
バイトと学問と家事の両立。後期の実験。資格の勉強。その他もろもろ。
至極当然の「食べる」行為ができないだけで、すべてを辞めて立ち止まらなければいけないことが心底悔しかったです。
何よりも家族に多大な迷惑と心配をかけてまで、何もできずに生きていくことが不安で苦しくてとても恐ろしかったです。
何度不甲斐なさを謝罪したことかわかりません。
それでも本当にありがたいことに、母も父も「せっかくの休学の機会なのだから、やりたいことをしてほしい」と私の背中を押してくれました。
そこで受験期にやりたかったことの一つである「裁縫」や「ものづくり」に挑戦することにしました。
そこに大好きな推しを掛け合わせた「推しのぬい活」をすることになったんです。
2024年12月、痩せを手放せたきっかけは推し活だと言い切れると思います。
表舞台に立つことが苦手だった自分が、インターネットを使って世界に自分の好きを発信し、見ていただき、素敵なお言葉とかけがえのないご縁をたくさんいただきました。
そこで皆さんにもらった「素敵」や「多才」などの温かいお言葉で、やっと自分は痩せだけが取り柄、というか生きている意味じゃないことをやっと思い出すことができました。
治療生活、苦しかったです。辛かったです。何もできない自分が許せなくて、毎晩泣きました。周りと違って進めない自分が悔しかったです。何なら今タイピングしながら思い出してボロボロ泣いてます...(笑)
皆さんの温かいお言葉にどれだけ救われたことかわかりません。皆さんは間違いなく命の恩人なんです。
本当にいつもありがとうございます。おかげさまで人生一幸せな推し活ができています。私は幸せ者ですね。何より今の自分と自分の推し活が大好きです。
結構端折ってお話してしまったので、なんだか不明な点というか、色々ありますよね...
そもそも拒食症自体がイレギュラーな症状かと思いますので、「生命が危ないなら食べればいいじゃん」とか、理解が難しい部分がありますよね。うまく言い表せなくてとてももどかしいのですが、そういう部分は次のnoteでまとめたく思ってます。
きっと全貌を書いてしまうと一冊本ができてしまうほどで、伝えたいことが埋もれてしまうため、簡潔にまとめさせていただきました。
私からすると、治療に専念してから克服までの3か月は、本当に長くて長くて、最初は孤独な戦いで。
拒食症の克服で数字の概念を手放したことが、何かの数字に捉われない唯一無二の推し活ができていることに直結している気がします。
そして、そこには笑顔でたくさん食べる推しのふたりの姿があったから。
いっぱい食べたならば、いっぱい動けばいい。
そう示してくれているような気がして、心から救われました。
まだまだ治療中の身ではあるのですが、いつか彼女たちが幸せそうに食べているたこ焼きを食べてみたいですね。
ぬん 2025/01/30