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隈研吾読書会① 建築(批評)家として

今回扱う著作:『10宅論』『建築的欲望の終焉』

(匿名)批評家デビュー

隈のキャリアは東大院を修了後、大手設計事務所、ゼネコンと実務経験を積んで、'85-6にコロンビア大へ留学(特別研究員)し、帰国後独立したということになっているが、実際の著述業デビューは建築家デビューより早く、大学院在学中にあたる。『SD』誌巻末に連載されていたグルッポ・スペッキオという匿名グループによる建築批評が、隈の最初の著述活動となる。

グルッポ・スペッキオは、当時の原広司研究室のメンバーを中心に結成された。グルッポ・スペッキオ(イタリア語でspecchio=鏡であり、つまり時代や情勢を映す鏡としての評論活動であり、それがどれだけ皮肉に満ちて露悪的であろうとも時代の反映であるということだろうか?しかしこの姿勢はその後の隈の設計姿勢と全く同質に見える。)という人を食ったようなグループ名に違わず、基本的な姿勢は批評家としての批評精神(と皮肉や諧謔)に満ちている。

また、グルッポ・スペッキオの連載の一部は、『建築の危機を超えて』(1995)に修正・再編し書籍化されている。

欲望の分類ゲーム

建築家による「住宅」は戦後日本の現代建築において最も大きなトピックのひとつと言ってもよい。隈は『10宅論』(1986)で、「住宅」とそこに住まう人々のライフスタイルを批評した。ちなみに『10宅論』は『住宅論』と『建築十書』のパロディとして書かれている。

大衆文化批判

前述のように、隈は日本で建築家としてデビューする前、米国に一年間留学しており、その留学中に書かれた評論がこの『10宅論』である。副題に「10種類の日本人が住む10種類の住宅」とあるように、バブル直前の日本における住宅とそこに住まう人の10の典型例を挙げて説明するものである。10のタイプのそれぞれに意味があるというわけでは必ずしもなく、この本の目指すところは、序章やあとがきで極めて明解に書かれている。

日本の住宅がどうして、コロニアル様式をまとわなければならないのか。そしてそのコロニアル様式のパッケージの中にどうして滅多に使われることのない和室が必要なのか。このような「借り物」を称して、「取り合わせの美学」と評価するには、かなりの勇気を必要とする。現代の日本住宅に満載されている「借り物」群は、たいていの場合において、否定の対象、批判の対象以外の何物でもない。本書も当初は、「借り物」に否定的な評価を与え、日本住宅の卑屈な現状に対する総括的な批判を加えることを目的としてスタートした。その時はタイトルも「コピー住宅」とか「模倣住宅論」にしようかと考えていたのである。しかし、よくよく考えてみれば、この住宅の現状こそ、日本型の象徴作用が、現代にも脈々と息づいていることの証拠ではないか。そのような方向に私の考えは変化してきた。場所中心的な象徴主義の豊かで多様な実例として、現代の住宅群を記述する——本書のベクトルは、そのように向きを変え始めた。そして場所中心的な象徴主義によって、ラスベガス型=西洋型象徴主義の持つ貧相な一面性を、批判し保管し得るのではないかと考えるようになってきたわけである。

隈研吾『10宅論』ちくま文庫, p23-24

本書を書きながら気づいたことは、日本において「場所」の存在が、そしてその差異が一層顕在化しつつあるということである。モダニズムの導入によって一時見えなくなっていた「場所」に、人々は再び目を向け始めている。(中略)アメリカンハウスのコピーはさらに一層本物に近くなり、露骨になり、和風の住まいはさらに一層、「粋」で「風情」のあるたたずまいを示している。人々が一層、はっきりと「場所」を認識し、その「場所」をより意識的に、よりゲーム的に選択するようになってきたということを、この現象は示している。「恥ずかしい」という概念を使うなら、人々は「恥」の概念を完全に失いつつある。「場所」がいろいろ見えてきたせいで人々はものすごく軽い気分で「場所」に身を委ねるようになってきた。

同, p212-213

隈研吾の語る日本現代住宅建築史観は、こうした社会状況とナイーブな建築家、大衆の共犯関係への問題意識を起点としている点で、磯崎の住宅建築観と共通している。磯崎新はのちに「大文字の建築」あるいは〈建築〉というコンセプトを規定し、建築の文化的なあり方をメタレベルに位置付けた。「小住宅ばんざい」で提示されている建築家像は「大文字の建築」に至る布石となっていると考えることもできる。「小住宅ばんざい」では建築家という職能の社会的な役割が問題とされており、芸術として成立する建築の文化的な側面の問題である「大文字の建築」へ直接繋がることはないのだが、雑駁にいえば、磯崎の「建築」への志向が、70年代の『建築の解体』を挟みながら一貫した姿勢として見て取れると考えてもよい。

消費社会における家のイメージ

『10宅論』と同様に家の社会的なイメージを扱ったものとして、坂本研究室による一連のイメージ調査がある。

坂本一成は建築の図像論の展開の中で〈建築のイメージ調査〉を行い,建築家の作品と商品化住宅や建て売り住宅を並置している.そこで坂本は,建築家のつくる住宅も商品化住宅も,図像性を介してみればともに相対的な意味しかもち得ないことを指摘する.いい換えれば,図像性をパラメータとして導入することによって,建築家の作品の絶対性を反証してみせる.また隈研吾は『10宅論』において,さらにパラメータを豊富化し,現代の住宅を10のスタイルにチャート化する.(中略)住宅は「建築」=作品であり,そこにズレがないことについて,いくばくかの疑義が挟まれたのだ.つまり,住宅になだれ込んでくる社会関係を,商品化住宅などを通して見てしまったという事態を回収するには,住宅と作品性の密着を剥がして,住宅を論ずる材料を増やす必要があったのだ.

塚本由晴「読むことを作ること」『新建築住宅特集2001年9月号』p72-79

『10宅論』も「建築のイメージ調査」も、社会や人々がイメージによって建築を位置づけている、という視点に基づいている。このあと、隈はバブル崩壊まで歴史的な建築要素の記号的な取り扱いが特徴的なポスト・モダニズムのデザインをアイロニカルに続け、一方で坂本はポスト・モダニズムの記号操作的な建築のあり方に見切りをつけて非完結的な空間構成を主題とした住宅に手法を転換してゆく。ここに建築の消費的なあり方、あるいはもっと言えば消費社会に対してアイロニカルに批評するか、それを相対化して捉えるかという対照的な姿勢の違いが表れている。

ただ、こうした大衆的な欲望の対象物であるところの個人住宅にポジティブな意味や設計根拠を求める言説もみられる。例えば、ある時期の伊東豊雄は「〈俗〉なる世界に投影される〈聖〉」(1980)や「消費の海に浸らずして新しい建築はない」(1989)など、70年代の内部空間に焦点を当てた閉鎖的な住宅作品から、消費される大衆的なイメージを操作することによって社会との接点を求めていた。ちなみにこの伊東の変化は、建築(住宅)における「批評性」という価値観からの転換を模索していたことと同期している。

〈俗〉なる世界に浸りきっている近代人にとって、建築とはまず〈容器〉としての空間であり、そして同時に〈家〉としての欲望を満たす何かでなくてはならない。〈容器〉であると同時に〈家〉でもありたいとする。この矛盾した欲求を認識し、その矛盾ゆえに秩序化されない欲望の空間に眼を向ける時、建築家は初めて人びとの生きる都市と関わりを持つことができるのである。

伊東豊雄「〈俗〉なる世界に投影される〈聖〉」『新建築1980年6月号』p183

建築は何のために求められるか

『10宅論』での住宅批評は、『建築的欲望の終焉』で建築や社会一般への批評へと敷衍される。つまり、ここでは住宅を含む建築がどのように成立するのかが社会的、大衆的な水準で問われている。

戸建て住宅-郊外批判

例えば日本の戸建て住宅に対して、その成立根拠は「住宅私有本位制」資本主義と形容される。

住宅私有の欲望こそが、二十世紀の資本制のエンジンとなった。住居という、一見して「資本制」や「市場」の外部に存在するものを媒介にして、実質的には資本制が機能していたというところに、二十世紀の逆説が存在する。マルクス主義者も近代経済学者も「市場」を閉鎖系としてとらえ、経済をその内部の交換ゲームとしてとらえた。それゆえに二十世紀の逆説を理解しえなかったのである。(中略)
「家庭」という装置(概念)が「住宅の私有」という欲望を喚起し、その欲望を媒介として、資本制が維持される。一言でいえば二十世紀とはそういう時代であった。一九九〇年は、この二十世紀という装置(あるいは形式)にとって、大きな転機となったのである。すなわちこの装置に背を向けた共産主義体制が、実質的に瓦解し、一方、この装置を使いきった形で経済成長を続けてきた資本制に置いてはバブルの崩壊という形で、この装置の限界が露呈されたのである。「住宅私有の欲望」という、市場の合理的論理を超越した不合理な欲望にそのシステムの存続を依存したという点に、20世紀資本主義の巧妙さも、またその限界も存在した。

隈研吾『建築的欲望の終焉』p19-20

つまり、結局個人住宅というものは商品に過ぎず、消費資本主義的な大衆の欲望によって求められるものに過ぎない、というのが『10宅論』から連続した隈による住宅批判であり、これは郊外批判と同一である。例えばこうした認識は、シニカルなかたちではあるが多木浩二の「性愛空間」(『都市の政治学』)といった郊外の認識とも似ている。

「郊外の夢」。これこそが今日のすべての都市問題の元凶となっている。「川のむこう側の緑の芝生の上にカワイラシイおうちを立てて家族でなかよく住みたい」などというバカゲた夢を二十世紀のアメリカ人が発明したおかげで、人々は住宅ローンに追われ、土地は高騰し、通勤時間は途方もなく長くなり、都市の周辺の自然は破壊され、妻は専業主婦という名の家政婦奴隷として住宅の中に隔離された。そのかわりに得られたものは、芝生が生えるほどの広さの庭さえないほどにせまっ苦しくて、ゴミのようにうすぎたない郊外住宅群である。

同, p85

建築批判

こうした大衆的な欲望によって作られる住宅、建築を隈は批判しており、その対象は建築家という職能へと及ぶ。

どんな種類の建築においても、基本的に事態は変わらない。建築家の〈私〉なんて少しも必要とされていないのである。そのかわり、いろんな人のいろんな〈私〉を実現するための道具、いろんな〈私〉を満足させ喜ばせるための道具は、驚くほどの勢いで進歩してきている。

同, p141-142

このように、隈は現代における建築家の私的な表現を問題視した。建築家という個人による私的な表現に意味があるのかという批判、つまり作家主義的な建築家に対する疑義である。

もはや〈私〉の時代はとっくのとうに終焉しているし、〈私〉を保護する目的で構想された〈私たち〉という土俵を再建する途も残されてはいないのである。建築家はもはや群れることもできないほどに追いつめられている。結局のところ、〈私〉というものを根底から解体しないかぎり、建築における新しい展開はないだろう。その解体は実のところ建築家だけでなく建築自体を解体・否定する契機をもはらんでいるのである。

同, p150-151

次回扱う、建築論あるいはマニフェストとして書かれている『負ける建築』や『反オブジェクト』の前提には、以上のような状況認識がある。近代建築批判や作家主義批判から、隈は反オブジェクトや表層のデザインを志向するようになる。

建築的欲望を批判してどうなるのか

これまでみたように、『10宅論』と『建築的欲望の終焉』で論じられてきたのは、近代や近代主義が限界を迎えていることと、近代建築の方法論も限界を迎えていて消費的な社会に呑み込まれてしまっていることである。当然この背景には、バブル景気とその崩壊があるわけだが、隈の建築観の特徴はそうした社会状況の帰結として建築の問題を語っていることにある。つまり、建築は社会的な欲望によって成立しており、そのことに無自覚な、あるいはそうした欲望と共犯関係を結ぶナイーブな建築家に対する問題意識が、隈の活動の初期にみられ、このことは現在の設計や言説でも一貫している。

まずこの「終焉」は、二十世紀のすべての建築行為、そして経済的行為、文化的行為のエンジンとして機能した、二十世紀的な「建築的欲望」の「終焉」であった。しかし、この「終焉」の射程は、それだけにとどまるものではなかった。あらゆる建築行為の本質にひそみ、すべての建築行為を誘導していた「建築的欲望」自体が問われ、そして終焉の危機に立たされているのである。もっと正確にいえば、建築という行為を通じてあらゆる矛盾を解消し隠蔽しとうとしてきた人類の文明の基本構造が問われているのである。建築というエサを目の前にぶら下げることによって人々の欲望を喚起、誘導し、そのエサを与えることによってその欲望が充足されたという幻想を人々に与え続けてきた、この文明の本質が問われているのである。この「終焉」はそれだけの射程を持つものである、と僕は考えた。
「建築的欲望の終焉」について考えれば考えるほど、僕は「建築」について否定的にならざるをえず、「建築家」に対して否定的にならざるをえなかった。

同, p212-213

つまり隈は、「建築的欲望」を批判的に描くことで、それに駆り立てられている建築・建築家を批判していたわけである。正確に言えば、大衆的な欲望を批評しつつも、そのこと自体を否定しようとはしていないのである。実際、以下のような言説もある。

1930年を境に、コルビジェもミースも保守化する。われわれはその時代とどういう関係にあるのか、どこがどうパラレルなのかを考えると面白い。(中略)今、日本では経済の終焉とともにアバンギャルドが反転しようとしている。僕はそういう中で建築界に盛んにでている保守的な言動に対して不快感を持っています。経済の反転を保守化に利用しようとする人はいくらでもいるわけですが、僕はその中でどれだけ時代の欲望を長続きさせることができるだろうかと思ってやっているんです。自分が体制に取り込まれているか、それとも、体制に対する反逆者であるかを問うのは意味がないし、人間は必ず両義的です。しかし、退屈な反体制主義者にはなりたくないし、体制や中心に対してこれからもどんどん自分をぶつけていきたいと考えています。

「EDIFICARE OPEN SEMINAR 3 KENGO KUMA」『EDIFICARE RETURNS』p203-204
(初出は『エディフィカーレ 5号』1993.12.)

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