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失敗こわい人あるある 【ぷろおごvoicy文字起こしvol.79】
この記事はプロ奢ラレヤーのvoicy『失敗こわい人あるある』(2021年11月15日公開)を元に作成したものです。
はい、どうも。
この配信は過去累計4000人にメシを奢られてきた浮浪者が発見した人間あるあるを独り言のようにただ垂れ流すだけのラジオです。
物好きな人だけ聞いていってくれればと思います。
失敗が怖い人について話していきます。
皆さん、失敗怖いですか?
色々な「失敗」があると思うんですけども、例えば学校。
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学校だったら何かボケを言ってスベったり、あるいは試験で悪い点数を取るったり、人前で何か恥ずかしいことをしてしまうとかだったりだとか。
失敗が怖いという状態は、多くの人にとって「そうなったらどうしよう」と「怖い」という感情がセットになっていることが多いんじゃないかなと思います。
そして、社会に出て責任のようなものが増えたりすれば、もっと想定される失敗が増えるのかなとも思います。僕は浮浪者なので「社会」が分かんないですけども。
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失敗が怖い人には共通する部分があると思っていて、失敗が怖い人って失敗してない人なんですよね。
浮浪者だからこその疑問かもしれませんが、何で失敗が怖くなるんだろう?という疑問がありました。それで、失敗が怖い人はどんな人なのか考えてみました。失敗が怖い人の頭の中ではどういうことが起きて、「失敗は怖いなぁ」と思っているのか。これは失敗するのが怖い人だけでなくて、そうでない人にとっても、「ああ、そういう風に考えてるんだ」というのが分かって一つの開きになるかなと思うのでテキトーにやっていきます。
「失敗してない人」というよりむしろ、「失敗し損ねちゃった人」なんです。
人間は失敗せずに生きていけば、どうしても「自分の立場」であるとか、あるいは「財産」であるとか、自分が持っているもの、資産がどんどん増えていくと思うんですよね。
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僕みたいな浮浪者は除いて、社会的な地位だったり、資産がどんどん増えていくと思うんです。そうすると、その資産を守ろうとする圧が働くんですよ。
新しいものを手に入れるより自分がすでに持っているものをいかに守っていくかというところに重きをおくようになる。それは時に、尊厳だったりプライドだったり…
人間は年を取っていくにつれて色んなものを大事に持っていたくなる生き物なんですよね。
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これは人間あるあるなんですけど、非常に自然な流れだと思うし、ある種、当然のことなんですよね。だけれども、大切なものが増える一方で、それらを失う恐れもあるわけで、失敗がもたらすダメージもどんどん大きくなっていくんですよ。「失敗するとこうなってしまう」という損害の部分が実際に大きくなってるわけですよ。
だから、どんどん怖くなっていってる。恐怖が増大しているというより、単純に失敗した場合に想定される損害の大きさが増大しているといった方が的確かもしれませんね。
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失敗したときに失いかねない資産の大きさが年々増大していくと共に、失敗の経験がないだけに、現状回復のための想定被害のイメージも大きくなっていくことが怖くなってしまうもう一つの要因ではないでしょうか。
実際に失敗したことがある人は、経験しているからクリティカルに「あぁ、ダメージはこれだけ」言えると思うんですよね。問題が明確であるだけにその解決方法も明瞭になってるんですよ。
他方、失敗してこなかった人は「あれも必要かも」「これも必要かも」「こうなっちゃうかも」「ああなっちゃうかも」って想定被害が実物よりも巨大なものになって見えるわけですよ。それは仕方のないことだし、必要なものだとも思います。だから、年を取ったり、得るものが増えるにつれて、失敗することがめちゃくちゃ怖いものになっちゃうんですよね。
失敗によって損なうものが大きくなればなるほど、予想される失敗による被害想定も比例して大きく計算するんですよね。
例として政治があるんだけど、この制度をいじるとこういうことが発生して、また、こういうことも発生するかもしれない、と制度改正の前に凄く慎重な議論が発生するじゃん。
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制度改正は失敗しても容易にやり直せないから難しいんですよね。失敗して、例えば経済が終わっちゃったら「やり直しー!」って言えないじゃないですか。
一人の人生とかだったら簡単にやり直せるんだけど、大きくなればなるだけ「やり直しー!」ってやり直せるものじゃなくなってきちゃうわけですよ。
一度何かが起きたら、その何かが起きる前の状態に、完璧に元どおりには戻せないわけですよね。鬱になった人が健常者に戻れないのと同じです。一回でかい損失を食っちゃうと戻れない可能性があるわけですよ。そう考えるとやっぱり、安易にどんどん失敗しろ!とは言えないよね。
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そういうわけで、失敗するのが怖い人は、多くの場合に実際に失敗してこれなかった不幸があるから怖いんですよね。対して、実際に失敗した人はその後の人生も失敗がいくらかクリアに見えるんですよ。的確な被害予想ができるから、被害を大きく見積もらなくてよくなるんですよ。
つまり、失敗ができなかった人は、失敗が未知である限り死ぬまでずっと予測してなきゃいけない。「こんなことが起きるんじゃないか?」って体験したことがないからね。
人間あるある no.79
失敗するのが怖い人は失敗をし損ねちゃった人
今日は終わり。
バイバイ。
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