自分の感受性を守りきれなかった舞台ライトユーザーの寝言
※2020年7月末に書いていた自分の感受性を自分で守れなかった舞台ライトユーザーの寝言です。2年近く経ちやっと舞台観劇を楽しみたいと心から思えるようになったため公開します。
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楽しみにしていた舞台が中止になった。
当初「無観客配信をする」という発表だったが、それすらも無くなった。
かなり大規模な公演で場所もドーム。スタッフだけで数百人というのだから、このご時世中止も致し方ない。
一番ダメージが大きいのは運営側だろう。
たくさんのリスクを背負いながら何より安全優先の判断をくださった運営様には感謝しかない。
さて、無観客配信中止の報が流れた瞬間だ。
私は友人からのラインでそれを知った。
既読無視失礼上等で返信もせず急いで電脳オタク集会場であるツイッターを見に行くと、界隈では既に公演中止による運営側の損害が試算され、「私たちが買い支えなければ!」という一体感が生まれていた。
タイムラインには瞬く間に「お金使わせて!」「いくらグッズ追加したら良い?」というツイートがあふれた。
私の目につく限りでは、世情を責める言葉や憤る言葉などひとつもなかった。
美しいファンのあるべき姿勢である。
良質なコンテンツには良質なファンが付く。
公式にお金を使うファンは正義だ。
グッズを追加し、ブロマイドを揃え、円盤を積む。
そういうファンこそがコンテンツを支えている。
そして、私のような円盤もグッズもボチボチというライトユーザーもジャンルを楽しませていただくことができる。
嫌味でもなんでもない、資本主義の真理である。課金で推しは輝き天に立つ。
諸先輩方には足を向けて寝られない。
ありがとうございます。
ところが、これらがまったく正しい意見だと『わかって』いながらも、私は正論を『受け入れる』ことができなかった。
それどころか流れてくる建設的な意見に不安と感じ困惑した。
この時、私はすぐにSNSを離れるなりスマホの電源を切るなりするべきだった。
先にも書いたが私は舞台観劇に人生をかけているわけではない。ファンクラブには入っているがファンを自称できるかすら怪しいレベルのライトユーザーである。
それでも公演を楽しみに日々の生活を送っていたところは少なからずあったのでそれなりにショックは大きかった。
悲しみをどう消化するかは人それぞれである。
私には正しく前向きな意見よりも、何もしない「喪に服す」時間や悲しみを周囲と分かち合う時間が必要だった。
なのに、その判断ができず情報を取り込みすぎてしまった。
そうして誰に強要された訳でもないのに「もっとグッズを買わなきゃいけないんだろうか。公演に代わる何か素敵な楽しみを見つけないといけないんだろうか。辛いってツイートしたら一番辛いのは運営さんだって怒られるだろうか。でも、だって、でも……」とメンタル消化不良をおこし1人で勝手に苦しくなってしまったのである。
こうして文字に起こすと大変めんどくさい繊細愚か者だ。
時間が経って落ち着くと、徐々に「悲しくないファンなんているわけがない。他の人たちは私とは違う方法で自分の気持ちに整理をつけているんだな」と理解することができたが、それまでは鍵アカウント内でアマゾン出身のミニゴジラの如く吠えまくってしまった。
我こそがツイッター界のド三下である。
鍵アカウントのフォロワーさんには大変お見苦しいものを申し訳ございませんでした。
私は気持ちの切替がつくまで、しばらく舞台というコンテンツから距離を置こうと思う。
こんなことを言うと、戻ってきてもお前の席ねーから!と言われてしまいそうだ。
ごもっともでございます。
ただ私にとって、舞台は無料コンテンツではないが扶養家族でもない。
いま以上のことは何もできない。
舞台が好きという気持ちは忘れず、心も財布も元気になったらまた戻ってきたいと思う。
まことに虫の良い話ではあるが、その時はまた諸先輩方と一緒に楽しませていただきたいです。
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