賢治2

宮沢賢治『貝の火』を読む

宮沢賢治の代表作と言えば、多くの人が銀河鉄道の夜を上げるかと思います。もう少し詳しい人でよだかの星、注文の多い料理店などでしょうか。そういう意味では今回取り上げる『貝の火』と言う作品は、いささかマイナーかもしれません。しかし非常に示唆に富んだ作品ですので、ご紹介がてら、解説したいと思います。

物語の概要

まず、この『貝の火』という物語について。主人公は兎の少年です。名前はホモイ。年齢設定ははっきりされていませんが、無邪気さや強く言う狐に流されるあたりから見て、10歳前後くらいかと思います。物語は、このホモイが川に流されたひばりの子を助けるところから始まります。川に流されたひばりの子を見つけると、自ら飛び込み捕まえ、両手に高く掲げて流されないように懸命に勇気を振り絞って助ける。これは、本当に無私の勇気として描かれています。そして、この無私の勇気がホモイをさらなる試練へと誘うことになるのです。

宝珠『貝の火』

数日後、ホモイは助けたひばりの子の親から宝珠である貝の火を貰います。『手入れ次第ではどんなにも立派になる』と言う言葉と共に。幼さからか欲のないホモイは断ります。見ているだけで十分キレイだ。また見たくなったらひばりさんのところへ行きます。しかしひばりは承諾せず、ほぼ強制的にこの貝の火をホモイのところへ置いてゆくのです。貝の火を見たホモイの父は、この貝の火が持ち主の精神面に左右される存在であること、そしてこの貝の火を一生持ち続けることは大変な事を話します。ここで、貝の火の存在理由が暗示されるのです。

権力というものの難しさ・・・

さて、貝の火を手に入れたホモイですが、いつもと変わらず野原に遊びに行きます。ところがそれまで友達だった馬やリスたちがホモイを敬い始める。あの貝の火の持ち主、という事で周囲はホモイを今まで通りに扱わなくなる。権力を持った人間が、それまでと同じでいられない事への戯画です。そして多くの権力がそうであるように、その権力にあやかろうとする人物が近づいてくる。それが狐。宮沢賢治が描く狐は、素朴で可愛らしかったり、内面に悲しみを抱えた存在のものが多いのですが。この物語では、珍しくずるがしこい存在として描かれています。そしてホモイは、この狐にそそのかされてモグラをいじめてしまうのです。また、それとは知らずに狐が盗んできたパンを受け取ってしまいます。

ホモイの行動と貝の火の変化の不思議

ホモイの行動を知った両親(特に父)はひどく叱ります。そして『もう貝の火はその光を失ってしまっただろう』と断言しました。が、ホモイがこわごわ貝の火の入った箱を開けると、貝の火はそれまで以上に美しく輝いているのです。持ち主の精神性にその美しさが左右されるはずの貝の火であるはずなのに、ホモイが(狐にそそのかされたとはいえ)弱い者いじめをしても、(知らなかったとはいえ)盗んだパンを貰っても、貝の火は美しいまま。

結論から言うと、やがて貝の火は曇って砕け散り、ホモイが所持できたのは一週間ほどでした。しかし、ホモイの行動と貝の火の美しさは比例していません。これは何を意味するのでしょうか。

パンを投げ捨てた父が、やがて・・・

ホモイの父は、息子が貰ってきたパンに激怒します。これは盗んだものだ、こんなもの食べたりしない。土と一緒に踏みしだく激しさです。そして言います『貝の火はもう曇ってしまったに違いない』と。しかし、この時点では貝の火は輝きを失いません。その後、二度目にホモイがモグラをいじめた時も、慌てて駆け寄りモグラを助けます。その時も貝の火は曇りはしませんでした。ここでホモイに慢心がでます。僕と貝の火は離れられないようにできているんですよ。ホモイの父はこの点を諫めることなく『そうだといいがな』とだけ答えます。この時点では貝の火は美しいままですが、その晩、ホモイは悪夢にうなされます。そしてまたも狐にそそのかされて、弱い者いじめの手助けをするホモイ。とうとう、貝の火に小さな曇りができます。ホモイもその両親も心配して何度も磨きますが戻らない。疲れた父は今夜は戸棚のあのパンを食べて寝ようと言います。あんなに嫌悪していた盗品のパンを、食べてしまうのです。

曇る貝の火、焦る父ー

翌日、ホモイはまた狐にそそのかされて弱い者いじめに加担してしまいます。しかし今度は自分の非に気づき、狐にとらえられた小鳥たちを助けようとしました。が、狐が本性を現して脅かす。恐ろしくなったホモイは、小鳥たちを見捨てて家へ逃げ帰ります。不安から逃れるように貝の火に手を伸ばすホモイ。しかし、その貝の火には小さな曇りが出来ていました。この時、ホモイのお父さんにはそれまでの厳しさはありません。笑顔で今に戻る、と言います。そして当たり前のように、あの盗品のパンを一家で食べます。そしてその翌日、貝の火は光を失います。父は焦り、息子を狐と決闘させたり、捕らえられた小鳥たちを解き放ったりします。そして鳥たちに貝の火を曇らせてしまった、面目ないと謝罪し、自分たちの愚かさを笑ってくれと言う。そして次の瞬間、その貝の火が砕け散ってしまうのです。

この物語の寓意とは何か?

一読すると、この物語に込められた寓意は分かりにくいかと思います。ホモイが悪い事をしても輝いていた貝の火が、いじわるな狐と戦ったにも関わらず砕け散ってしまう。ホモイの『行動』と貝の火の輝きに関連性が見えず、戸惑う方も多い物語ではないでしょうか。よく読むと分かるのですが、貝の火の輝きはホモイの行動では無く、内面と呼応しているのです。そしてその内面の鍵となるのが父の言動です。

ホモイの父が厳しい父性を発揮し、しっかりとホモイを叱り、貝の火の輝きに無頓着に息子を導いていた時は、貝の火は輝きを失いませんでした。しかしだんだんと慢心し、盗品のパンを平気で食べるようになり、息子への躾よりも貝の火の輝きに象徴される世間体を気にするようになる。まだ幼いホモイは当然、父の強い影響下にあります。つまり父の軸がぶれてしまう事で、ホモイの内面もまた曇り、それが貝の火の輝きに影響してしまうのです。

宮沢賢治の童話には、この時代には珍しいほど強い父性を感じさせるものが多くあります。銀河鉄道の夜の副主人公・カムパネルラの父の息子の死を前にした強い態度。グスコーブドリの伝記に見られる多くの父親代わりの存在・・・賢治が子供の人格形成に父の存在をどれだけ重要視していたかがうかがえます。同時に前記の童話のような『強い父』が描けるようになるまでにはこうして試行錯誤しながら『父性とは何か』を問いかけ続けていたように思えます。

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