救急搬送。危険な状態だったと知る。(2021年2月11日後半)
この日は、本当にバタバタしていたので家を出てから1回も写真を撮っていません。なので、間あいだにかわいいはやちゃんを挟みますね、勝手に。かわいいんで。かわいいんで。(圧)
衝撃の事実
もうすでに泣き散らかしていた目を必死に乾かし、「はやちゃんの前では不安を見せないんだぞっ」と意気込み病院へ。ずっと検査に付き添ってくれている旦那と連絡をとり、今どこにいるのかを確認し、探した。
端っこのベッド脇に、見覚えのある荷物たちを見つけたが姿がない。キョロキョロとあたりを見回すと、旦那に抱っこされてはやちゃんが登場。
その姿を見て、また心臓がキュッとなった。
たくさん管がついていた。今思い返すと、どこにどんな管がついていたのか思い出せない。けど、『管だらけ』という印象は残っている。
「おかちゃんが帰ってきたら、検査結果の説明するってさ」
泣き喚く息子をそばで見守っていて、とても心が痛んだのであろう、さっきより5歳くらい老けて見える旦那がそう教えてくれた。
再び先ほどの診察室に案内されて、パソコンにCT検査の結果が映し出された。
説明なんてなくてもわかった。
とても大きな白い影がありありとうつっていた。
「脳の4分の1ほどの大きさの影がうつっています。」
「白い部分が出血と考えられる部分です。出血しています。」
「大変危険な状態です。この病院では、小児脳外科がありません。東京で一、二番目に大きい小児脳外科のある病院が何駅か先にありますので、救急搬送します。」
確かうろ覚えなのだけれど、この時点で私はまた泣いた気がする。「はやちゃんの前では(略)」なんて意気込んでいたのも虚しく、突きつけられた現実に頭が追い付かなくて、泣いた。
救急車が到着するまで、荷物を置いているベッドで待った。
はやちゃんは、やっぱり何か感じ取っていたのかもしれない。私の不安を感じ取ってくれていたんだと思う。「ふぇ~ん」と泣いて、そんなはやちゃんを私は抱っこして。
背中をさすって、お話をして。「大丈夫やで」「こわくないで」って。まるで自分に言い聞かすみたいに言っていた。
(雑草を引き抜いては大喜びの物騒な遊び中)
はじめての救急車
落ち着いていると、ぞろぞろと救急隊員さんが担架(ベッド?)を引いて登場した。物々しさに唾飲んだ。すっご。ドラマやん。(他人事)
大人サイズの担架と、私の胸の中で落ち着いているはやちゃんとを交互に見た看護師さんが
「落ち着いてるので、このままママの抱っこでいきましょうか」
と言ってくれた。なんだか嬉しかった。安心した。担架で運ばれていく息子を冷静に見れる自信がなかったから。
はやちゃんを抱く私と大量の荷物を持つ旦那は、4~5人の救急隊員さんと病院の看護師さんと並走して、救急車へ向かった。
(うわ~救急車ってめっちゃ揺れるんやな。)
(あかん、やばい。酔ってきた…)
なんてアホなことを考えながら、サイレンを響かせながら走る救急車に乗っていた。胸の中のはやちゃんは泣くこともせず、おとなしくキョロキョロと車内を見渡したり、私の顔をジッと見つめたり。背中をトントンしながら「すごいね~早いね~」なんてお話をしたり。「ギュ~ッ」って言いながら抱きしめると、はやちゃんも私の体をギュッとしてくれたり。
(ジャケ写かな?と言わんばかりの空間の使い方)
大大病院に到着
数駅離れたはずの大きな大きな病院に、すぐに到着した。救急車ってほんまに早いんやで、びっくりした。(そらな)
降りてから、病院の扉が開くまでの少しの時間、はやちゃんと近くの林を見ながら「お外綺麗ね~」「お外は寒いね~」なんてふんわりしたお話をしてた。
扉が開くと、えっ…医療ドラマ…?と心がざわつく感じの部屋に案内された。「息子さんはこちらへ」と、真ん中のベッドに誘導されるがまま、息子を座らせた。人見知りなしの息子は、きょとんとした顔をしながらも泣くこともなかった。
「お母さんはこちらへ。」
そう言われて、すぐまた抱っこできるだろうと、考えなしに。本当に考えなしに、「はやちゃん、またね」と手を振った。はやちゃんもぶんぶんっと力強くバイバイしてくれた。
この時何の気なしにベッドにはやちゃんを座らせて、すぐにその場を離れた自分を、この後ずっとずっと呪い続けた。この抱っこから約3週間、はやちゃんをこの胸に抱くことはできなかったから。
私と旦那は、はやちゃんのPCR検査が終わるまで待機室から出ることを許されなかった。(さっきの病院でも検査していたけど、ここでもした)
どれくらい時間が経ったかわからなかった。入院手続きや諸々の書類を記入した。窓の外が夕焼けに変わり、暗闇に変わった。
部屋がノックされて、先生が入ってきた。PICU(小児集中治療室)の先生だった。
「先ほどの病院でもCT検査を行っていましたが、再度行いました。」
「脳内に大きな影と出血が見られます。いつ爆発してもおかしくない危険な状態ですので、すぐにPICUに入院となります。」
本当に危険な状態だったんだ。そんなにつらい状態でも、走り回って笑ってくれていたのか。気づけなくてごめん。本当にごめん。その気持ちでいっぱいだった。
(せっかくディズニーシーにいるのにベビーカーのこの部分に夢中)
管だらけで眠る姿
PICUに入院することになり、いろいろと準備が整ったらしく、すでに面会時間はとうに過ぎていたが、はやちゃんに会わせてくれることに。
PICUに入る前に、
・体を紐やベストで抑制していること。
・起きていると頭に影響がある可能性があるから、薬で眠っていること。
・薬で眠らせると呼吸が弱くなることがあるので、鼻から挿管していること。
・挿管の際に、粘膜が傷ついてしまい血が出てしまって少し痛々しく見えること。
を伝えられていた。私の心の準備のためだと思った。
実際にその姿を見て、事前に聞いていたのにも関わらず、これまた心臓がギューーーッとなった。鼻から管が2本出ていた。頭にたくさんのシールがついてそこからも管が。手にも足にも何本も針が刺さって点滴がつながっていた。
あっけにとられて、少しそんなはやちゃんを見つめながらぼーっとしてしまった。これは現実なんか?おいおい。これは夢よりの夢やろがい。そんなことを考えていたらハッとした。「はやちゃんの前では不安を見せないんだぞっ」やんけっ!危ない危ないっ!!(アウトやけどな)
「はやちゃん、頑張ろうな。偉いな~」
「ゆっくり頭休めるんやで」
そんなことを言ったような言ってないような。触っていいのかわからず、唯一何もついてない二の腕をさわさわ撫でた。
PICUを出た後、また泣いた。なんでこんなことに、夢じゃないん、なんでうちの子が。ずっと泣いてた。泣いてもなんも変わらんのに。
PICUの入院の説明や面会のルールなどを聞いて、「息子さんをお預かりします」と言われ、ほんまはずっとそばにいたいという気持ちを抑えて、家路につくことになった。
裏口から救急車で来たものだから、どれだけの大きさの病院なのかわかっていなかった。正式なルートで病院から出ると、大きさに心底驚いた。こんなとこにおったんかいな、と思った。
同時に、こんな大きな病院が数駅先という近くにあったことが、奇跡だと感じた。
ガランとした我が家
電車に揺られて帰った。31歳だが、人目なんか一切気にせず電車でもずっと涙は垂れ流し状態だった。マスクの中、びっちょびちょだった。冷たかった。
朝から何も食べていなかった旦那のご要望で、がっつり揚げ物の総菜を買って帰ってやった。(食欲なくならんのかい)
旦那は一度職場に仕事を取りに行くということで、一人でキャリーケースとカロリー爆弾の揚げ物と共にタクシーで家に帰った。
家の扉を開けて、手を洗い、うがいをし、キャリーケースの中身を出そうと寝室に運んだ。ふと、空っぽのベビーベッドに目がいった。
膝から崩れ落ちて泣いた。地面に伏せて泣き喚いた。
ごめん、ごめんな。なんでもっと早く気づいてあげれんかったんやろ。なんであん時もっと抱っこしたらんかったんやろ。なんでおかしいと思ったんなら早く行動せんかったんやろ。なんでうちの子なんやろ。なんではやちゃんなんやろ。なんでこんなことになったんやろ。なんではやちゃん連れて帰ってきてないんやろ。なんで自分だけ帰ってきてんねやろ。なんでベビーベッドにはやちゃんおらんねやろ。なんでなんでなんでなんで。
頭の中がぐっちゃぐちゃになった。「ごめん」と「なんで」がたくさん沸いて、たくさん駆け巡った。いい大人が、アラサー女が、床に這いつくばってわんわん声を出して泣いた。いくらでも泣けた。『涙枯れるまで』、って嘘やないかと思った。わしの涙の泉は枯れへんかったど。(何様)
旦那が帰ってきてから、身内への連絡をした。
「よお気づいたわ。あんたらはちゃんと親としての仕事を果たしたんやで。自信もちなさい。よお見てた。偉い。」
旦那のお母さんにそう言ってもらえても、やっぱりこの後悔だけはずっと拭えなかった。
この日は、はやちゃんがいないベビーベッドを見ながら泣き続けた。
起きたらきっと元通りやんな、なんて考えながら眠った。