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初めての開頭手術。子どもの回復の早さ。(2月終わり)


目が合う感動

はやちゃんが入院してから、面会時はいつも眠っていた。体を抑制しているから、起きると泣いてしまったり暴れてしまったりするから。泣いてしまうと、血圧があがって脳にもよくないかららしい。

起きているはやちゃんに会えず、少しもどかしかった。短い面会時間の間、できるだけ触れ合っていたくて、手を握ったり足を撫でたり。

「偉いなあ」「頑張ってんなあ」

そんな言葉を、囁き続けた。なるべく耳元で、なるべく近くに、そう思っていたら変な姿勢をキープすることになり、面会後には体がバッキバキになっていた。(ここで『筋トレしよ』という気持ちになり女ハルクを目指す)


そんなことを数日続けたある日の面会。入室し、慣れた様子ではやちゃんのベッドに向かって進むと、な、なっ泣いてるっ!!!

はやちゃんが起きてる!!!!急ぎ足でベッドに駆け寄って「はやちゃん!おかちゃん来たよーー!」と声をかけた。

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起きてるっっっっ!!!!こ、こっち見てる!!!!起きてる!!!!

私を確認したはやちゃんは、泣きながら、私に抱っこしてもらおうと、抑制されている体を必死に起こそうとした

「抱っこダメよ~」と言いながら、おててを繋いで一生懸命安心させようと声をかけた。心底心底(ズンドコ)抱っこしたかった…!!!

嬉しくて嬉しくて。たった数日。たった数日起きてるはやちゃんに会ってなかっただけなのに。心臓がグワワワッとなるほど嬉しくて。初恋かな?ってくらいドギマギしながら、必死に早口で話した。(ピュア)


「昨日から、大丈夫そうな時は起こしています

と先生が教えてくれた。まだ痙攣があったり問題は山積みだ。なんてったって手術するまでは、腫瘍が小さくなることはないから。

抑制されながらも、話す先生と私の顔を交互に見たり、せわしなく動いている看護師さんたちを目で追っていた。



わからんことは持ち帰るな

・痙攣を抑える薬

・眠くなる薬

・筋弛緩薬(頭の腫れを少し抑える)

など、常になんの薬が入っているのか看護師さんに聞いていた

その薬にはどんな役割があるのか、どんな副作用があるのか。点滴は何本入っているのか。常になのか時間で入れているのか。晩の間の熱はどうだったのか。痙攣はどれほど出ているのか。起きてる時間はどれくらいなのか。

私も旦那も、医療とは程遠い仕事をしていて。薬の名前を言われても全くわからない。忙しそうなPICUで、最初は「あまり聞いたら迷惑になるかな…」と考えていた。そんな話を義母(元ICU看護師)に話したら、

「あんなあ!医療従事者なんて、みんなその患者さんを治したいって思ってるねん。ご家族の人がわからんこと聞いてきて『なんやこいつ面倒くさい』なんて思うわけないんやから!わからんことはなんでも質問し!わからんまま持ち帰ってモヤモヤするんだけはやめなさい!

というお言葉をいただいた。その通りof the sky。(意味はない)


私は自分が病院に行くときも、適当に聞き流す癖があった。適当な相槌で、「結局私どこが悪いん?」みたいな。

自分のことはそれでもいいけど、はやちゃんのことで聞き逃したら?後悔なんてもんじゃない。絶対にわからないことは持ち帰らない。なんでも聞く!



手術前の執刀医からの説明

2月19日に手術日が決定した。それに合わせて、執刀医の先生からの説明があった。

・左前頭葉に非常に大きな腫瘍があり、周囲の正常な脳を圧迫している。

・痙攣発作の原因だけでなく、このままだと生命の危機につながる。

50%以上の腫瘍の切除を目指す

・診断を確定させ、今後の治療を安全に行えるようにする。

合併症の可能性、危険性ももちろんある。

手術時間は6~8時間を予定している。


頭を切る、ということが本当にピンとこなかった。ボヤ~っと、「はやちゃん、野球部で坊主にしたら傷目立つんかなあ」なんてことを考えるくらいのピンときてなさだった。

不思議と『失敗したら…』という考えにならなかった。旦那も同じ気持ちだった。失敗する、という想像に至らなかった。

その理由は明確だった。先生の絶対的安心感だ。歴戦の猛者感。何度も何度も「危険は冒さない」「腫瘍摘出の手術で、一番怖いのは大量の血を流してしまうこと。万全の準備で行う」など、繰り返し安心する言葉をくれた。

こう文字に起こしてしまうと「よーそんなんで信用したな!」と思われるかもしれないけれど、「あ、この人なら大丈夫や。絶対成功してくれはるわ。」と、私たち夫婦はもんんんんのすごく信用した。チョロいと言われるかもしれないけれど、そう思わせてくれるほどのなにかがあった。

今の医療技術はすごい。手術中にも色々と機械を駆使して、右の手足は動くか、腫瘍はどれだけ残っていてどこに太い血管があるか、そういうのを細かく確認しながら手術を行うらしい。2021年。ありがとう令和。



手術当日

朝から旦那と神社にお参りに行った。

「うちのはやちゃんをお願いします。」

私たちは神と先生たち、医療チームの皆さんに託すしかできなかった。


手術前、はやちゃんに会うことができた。

麻酔が効きやすくなるよう、眠るお薬を入れられてスヤスヤ寝ていた。頭ペッタペタ。手術前に1週間ぶりにシャンプーしてもらっていた。

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「頑張るんやで」「腫瘍さんバイバーイするんやで」

そんなことを言って、13時半頃手術室に向かうはやちゃんを送り出した。

15時前に、「手術開始しました」と連絡が入った。手術終了の連絡が入るまで、旦那と私は待機室で待った。早くても21時頃になるだろう、と。


「手術は無事終わりました」

(歴戦の猛者こと)執刀医の先生が、扉を開けてわざわざ顔を見せにきてくれた。その時間、まさかの19時半。最短の予定よりも1時間半も早かった

早すぎる……これはきっと、あまり切除できなかったんだ。そんな気持ちで下を向いていると、

「予定よりも多く、70%以上切除できました。


…ええええええええええっっ!!!!!!!?えっ!?なんて!?えっ!?な、70%以上!!!??

出血も少ないです。手術は成功と言えるでしょう。

そういう先生の顔は、一仕事終えたような、一息つくようなそんな表情で。もう、本当に「ありがとうございます」って下げた頭が床から離れることは一生なかった。(嘘はあかん)


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術後のはやちゃんは、さすがに顔色が悪くて。かぶせてもらってるお帽子にはところどころ赤い血がついていた。

それでも「ほんまにさっき頭開けたの…?」って疑うくらい、しっかりした寝息で眠っていた。



顔パンパンマン

そして「開頭手術の後の数日間は、顔がものすごく浮腫みます」と先生が苦笑しながら言っていたことを、痛感した。

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↑ 翌日の2月20日。

うん。浮腫んでる。特に、腫瘍がある方の左側がやっぱり腫れるみたい。まつげが埋まっていて見えない。


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↑その次の日、2月21日。

…え?誰?(ざわざわ)

この時のはやちゃんのことを私たち夫婦は『朝青龍』と呼んでいる。この姿も愛おしい。初めてのはやちゃんをいっぱい見れた。手も足も、全身が水分でパンパン。

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術後は良好

子どもの回復は本当に早いもんで。術後次の日から、起きてる時間も設けてくれていた。でも面会時間前に大泣きしてバタバタ暴れるから、血圧があがると危険だと眠らされていた。

術後、痙攣もほとんどなくなり、痙攣止めの薬も徐々に量を減らしていった。医療用麻薬のモルヒネも量を減らしていた。そのため、人工呼吸器(鼻から刺さっている)の違和感や痰の詰まりがはやちゃんにはつらいものだったと思う。

それでも段々と薬の量が減っていくのは、とても嬉しかった

眠っているだけだと思っていたけれど、リハビリの先生も入ってくれて、手足を動かす練習も始めてくれていた。はやちゃん一人に一体何人の人が関わってくれているんだろう、といつもいつも感謝の気持ちでいっぱいだ。


そのうち、起きているはやちゃんにも会えるようになった。でもなぜかタイミング合わず、いつも旦那が行く時は寝ていた。「はやちゃん俺のこと忘れてるんちゃうかな…」と不安になっていた。かわいいな。(愛)

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なかなかひかない腫れの中、きゃわいいおめめを開けてこっちをじーっと見つめてくれるのがかわいくてかわいくて。(かわいくて~冬~)

毎日少しずつ、薬が減り、点滴が減り、管が減り。装備が薄くなっていく度に、小躍りで喜んだ。「がんばったな」「偉いな」「すごいな」どれだけの誉め言葉もはやちゃんの頑張りに見合う気がしなかった。



突然の開眼

「うおっ!??」

静かなPICUに割と大きめな声を響かせてしまった。

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いやっ!!!突然っ!!!!!!!突然のお座り!!突然の開眼っ!!!!

それまで眠っているか、少し目を開く程度の様子しか見ていなかったから、面会に行くと突然けろっと座っていて、驚いた。ものすごくこっち見てる。すごい。目力すんごい。

前日までついていた人工呼吸器も外れたはやちゃんが、凛々しい顔で座ってた。座ってるはやちゃんを見たのは、入院した日以来だった。

やっぱり少し痩せたけど、そのせいもあってか、「俺、一皮むけたで」感。(やだ、かっこいい)


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約2週間、横になり続けていたこともあり、首の筋肉が落ち、安定していなかった。まるで首が座りたての赤ちゃんのように、ゆらゆら揺れていた。腰も不安定なので、抑制のベストで体を支えてもらっていた。

それでも本人は、視界が広がったのが嬉しいみたいで。忙しそうに動き回る看護師さんたちを目で追いながら、ご満悦な様子。処置のために、ベッドが倒されると激しく泣いて、「寝かせんなし!」と怒っていた。



一般病棟へ

2月28日。午前中に病院から電話があった。

「はやちゃん、一般病棟へ移ります

はやちゃんはPICUでしか使えない医療用麻薬を使っていて、その使用量を徐々に減らしていき、無事に一般病棟へ移動することができた。

入院、即PICUだったはやちゃんにとっては初めての一般病棟。嬉しい反面、正直不安も大きかった。PICUでは常に担当さんがはやちゃんを見ていてくれたから。

一般病棟ではそうもいかないだろうことはわかっていた。ナースコールも押せないはやちゃんが突然痰が詰まったら?容態が急変したら??そんなネガティブ思考が止まらなかった。

そんな私に旦那が言った。

はやちゃんが頑張ってくれた成果やで」

SORENA。(それな)

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「おい、ここどこや」

と言わんばかりのきょとんフェイス。今までと視界が大きく変わったことに、少し困惑している様子だった。

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なのでとりあえずハイタッチした。(アメリカン)(いえーい)


そしてやっと!やっと!この日17日ぶりにはやちゃんを抱っこした

軽くなってた。はやちゃんも久しぶりの抱っこに少し体を強張らせてた。なんならお互いがちょっと緊張し合っていた。久しぶりのはやちゃんの温もりを思いっきり胸に感じて、うるっときた。このまま抱きしめて連れて帰りたい。なんならこのまま私のパーカーに埋め込みたい。(こわいこわい)

長い間、横になっていたから、長い時間抱っこすると気持ち悪くなってしまうのではないかと心配になり、早々とおろした。またいつでも抱っこできるもんね!!!



次回予告

よ~し!術後も快調!このまま抗がん剤治療でズバババッと残存の腫瘍を小さくしちゃおうぜっ!!…えっ?!高悪性度グリオーマ?!血球がない?!粘膜がズタズタっ!?合併症っ?!またPICUに逆戻り~?!ど、ど、どうなっちまうんだ~っ?!

次回っ!こっちの心臓がいくつあっても足らへん3月編!お楽しみに!(やかましいわ)




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