発覚。後悔。怒涛の日。(2021年2月11日前半)
2月11日
朝起きるとはやちゃんがまだ起き上がっていなかった。ここ数日、たまに夜泣きをすることがあった。でもこの日は全くなく、静かに眠っていた。
ふと、ベビーベッドを覗き込むと、寝ながらまたプルプルと震えていた。
ここで、頭がパッパラパーの私は初めて「寝ている時も震えていた」という事実を知った。この時のことは何度思い返しても本当に怖い。なんでその可能性を考えなかったんだろう。
もしかしたら「寝てるわ~」と思っていたら、気づいたら息をしていない!なんて可能性がありまくったから。たくさんの奇跡が重なったんだと改めて感じる。
昨晩から、どのくらいの頻度・間隔でプルプル震えているのかをメモしていた。
昨晩の時点で、15分間隔。ということは、息子は眠りながらも(いや眠ったと勝手に思っていただけかもしれない)15分間隔であの苦しい時間を過ごしていたのだろうか。
これはいよいよやばいんじゃないのか?絶対におかしい。でも、今日は祝日で小児科からは明日紹介状をもらえることになっている…紹介状なしで、救急で突っ込むか…?診てもらえるのだろうか…?
そんなことを考えながら、近くの大きな病院を検索したりしながらも、朝から震えるはやちゃんを動画に残し続けていた。
(背景の生活感&はやちゃんの刺激的な寝ぐせがプリチー)
この写真↑の時もプルプル震えていて、左手を必死に開いて「手をつないで」と言わんばかりだった。動画に残しながら、「大丈夫やで。おかちゃんおるで。こわいな。大丈夫、大丈夫やからな。」と言いながら手をつないで、安心させようと必死だった。
旦那が出勤してすぐに、小児科の先生から電話がかかってきた。
初めてのことで驚きながら電話に出ると、
「その後どうですか?今どれくらいの間隔で痙攣してますか?」
とすごく心配そうな声で聞いてくれた。この日は祝日で、病院は休みのはずなのに。はやちゃんのことが心配で、気にかけてくれたのがとても嬉しかった。
今10分間隔まで縮まっていること、どうやら眠っている間も震えていることを伝えた。おそらく私の声色は焦りまくっていたと思う。「どうにかしてほしい」「助けてほしい」と、声に思いっきり出ていたと思う。
「もう今紹介状書きますので、すぐ取りに来てください!大きい病院にも連絡をしておくので、救急でかかってください!」
と早口で言ってくれた。「あっ、診てもらえるんだ」とすごく安心した記憶がある。それと同時に「やっぱり今の息子の状態は危険なんだ」と痛感した。
出勤してすぐの旦那を、電話で呼び戻した。
「えっ!診てもらえることになったん!?すぐ帰る!」
と、駆け足(ほんまにめっちゃ早かった)で帰ってきてくれた。
旦那が帰ってくる前に、出かける準備を済まし、帰宅後すぐに小児科に走った。アプリで小児科の前にタクシーを呼んでおき、紹介状をもらったらすぐに大病院に迎えるようにして。
そんな我が家の大緊急事態にも関わらず、はやちゃんは震えてる時以外は至って元気。「お、なんや。お散歩か?ええやんけ」くらいのテンションで、元気いっぱいおうちに向かっていってきますのバイバイを見せつけていた。
休みのはずの小児科
いつもの小児科は、入口の自動ドアが少し開いていて、スクリーンカーテンが人が通れるくらいに上げられていた。
「こんにちは…失礼します…」とおずおず入ると、いつもは白衣をキリッと着こなしているナイスミドルの先生が、オフモードのフリースを身に纏って立っていた。その表情は、穏やかに微笑んでいて。私に不安を感じさせないようにしてくれている気さえした。
紹介状をもらい、病院を去る時に、先生は、私に抱っこされているはやちゃんの頭を優しく撫でながら「いってらっしゃい。ママの胸の中だと安心するね。」と言ってくれた。(あかん、泣きそう)
そんな先生にも、大元気パワーで全力バイバイを見せつける息子。先生も思わず笑ってた。何度も頭を下げて、お礼を伝えてタクシーに乗り込んだ。
隣駅に位置する大きい病院
大病院に着くと、『救急外来』に向かって一目散に進んだ。はやちゃん抱っこは旦那に交代し、いろんな書類を記入し、母子手帳ケースからあれやこれやと提出した。
幸い、そこまで混雑しておらず、待合スペースには2~3人の人しかいなかった。そんな静かなだだっ広い空間、はやちゃんがじっとしているはずがなく。
「あんた自分が置かれてる状態わかってる?!」と言わんばかりに、自由気ままに闊歩しだした。
お座りになっているおばあちゃんの前を、見せつけるように歩いては「かわいいね~」と褒められニヤリ。音が響くと気づいてからは「ひゃぁ~~っ♪」と甲高いテンションままの声をあげて轟かせてみたり。絶対入ったらあかんやん、という関係者入り口をスススッとくぐってみたり。
そう。発覚した当時もプルプル震える時以外、本当に元気だった。
いざ診察
少しして、はやちゃんの名前が呼ばれ、診察室へ。紹介状を書いてくれた上に、連絡も入れてくれていたため、状態をすぐ理解してくれた。
そしてまず体温測定しに来てくれた看護師さんの前でプルプル震えた。真剣な目で様子を見つめて、すぐに先生を呼んできてくれた。先生の前でもプルプル震えた。震える時間はだいたい1分くらいだった。
はやちゃんの様子を見た先生は、すぐに「右手に力が入ってないですね…」と言って、右足をにぎにぎ触ったり目に光をあてたり目の前で指を動かしたり。一通り様子を見た後、
「脳になんらかの問題が起きていると思います。即入院して様子を見ましょう。」
と言われた。ガツーーーーーン。私の脳が揺れた。気がした。なにかおかしいと思いながら、不確かな不安に溺れてていた時に比べれば、明確になることはいいことのはずなのに。
要するに心の準備不足だった。『脳に問題』『即入院』、このパワーワードに唖然としてしまった。心では依然に唖然で茫然(韻踏むな)だったが、キリッとした顔で、先生の言葉を一字一句逃さないようにうんうんと頷き続けていた。
「入院する場合、付き添い入院になります。今から細かい検査に入りますので、検査している間にお母さんは一度帰宅して、入院のご準備をお願いします。」
ガツーーーーーン!(2度目)そうか!付き添い入院か!なるほど!仕事…電話したらええねん、そんなん!入院ってなにいるんや?出産の時って何持ってったっけ…???
あわあわしながら、はやちゃんの検査の付き添いに旦那を残して、タクシーにひらりと乗り込み、颯爽と家に帰った。
荷物を取りに一時帰宅
タクシーの中で、『乳幼児 入院 必要なもの』などで検索をした。帰宅してからは、タンスの奥に眠るスーツケースを取り出して、わっさ~と物を詰めた。
そして、旦那のお母さん(元ICU看護師)に電話をした。事情を説明した。しっかりと伝えなければ、そう思いながら必死に話した。
「あんためっちゃ焦ってるやろ?!」
「落ち着き!あんな、お母さんの不安は全部子どもに伝わるねんで!あんたが落ち着かんでどうすんの!」
泣いた。(秒速)すべてを言い当てられたことにも、必死に不安を隠そうとしていたけどはやちゃんを不安にさせていたであろうことにも。恥ずかしくて、自分が情けなくて泣いた。
「おかんがなんでも教えたるから!あんたははやちゃんの前では焦ったあかん。しっかりしいや!」
泣いた。(音速)ここまで頼りになる人が身内にいることに泣いた。
持っていくべきものにも助言いただき、必死に荷物をまとめてタクシーで病院へ向かった。その車中で職場に連絡をした。仕事を休むことにも、申し訳なさしかなかった。嫌そうな声出されたらどうしよう、変な責任感に駆られていた。
「こちらは大丈夫です!おぎやまさんも、無理なさらないでくださいね!何も心配しないでください!息子さんのことだけ考えてあげてください!」
泣いた。(涙腺の門番は消えた)世界は優しい。専門職で一人が休むと、多大なる迷惑がかかるはずなのに。困った時に助けてもらえる存在が、故郷から離れたこの地で、こんなにいることが嬉しかった。
そして、病院に戻るとまた新事実がわかるのです。(もう心臓がもたない)
発覚当時の症状
・10分間隔、1分程度のプルプル震え。
・高熱はないが、少し高めの体温。
・震える時以外はいたって元気。
遡って書いていると、どうしても気持ちが暗くなってしまい、それがもろに文章に出ていました。
私が本来目指している、「脳腫瘍を患いながらも毎日ニコニコ笑っている息子を見て少しでも安心してほしい」というところとは離れてしまっているなあと思いました。
あと、個人的に発覚前のことを思い出しながら書いていると、本当に後悔が先走り、せっかくの息子の面会の時に『小さな変化も絶対に見逃さないマン』に変身してしまい、ちょっと顔赤いだけで「大丈夫?!」となり、ちょっと声小さいだけで「しんどい?!元気ない!!」となり。
またいらん不安心がむくむくむっくと湧き出てしまいまして。
これじゃ意味あらへんがな、言うて。なんのために書き出したんや、言うて。
なのでなるべく自然体で、いつもの私のテンションで書きたいと思い、今回から意識しました。不安を煽るような空気感になってしまっていたなあ、と反省をしました。
踊りながら書く、くらいのテンションでいこう。自分のメンタルのためにも。(ソイヤソイヤ)