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交流とは→カメラのススメ

強い僕は
苦手を克服する楽しさもあることを知っているのですが
苦手なことを長所と解釈して
頑張ったりせず
現状の自分で現状をいかに楽しめるかに集中するのも楽しいと思います。

で、交流会

で、写真は先日参加した交流会の写真です。

写真のレイディもですが、僕もこういう写真を撮ったりしていて、人と積極的にしゃべったりする姿勢がみられませんね。

but

僕は楽しかったです。

「楽しさ」とは、いつだって自分の中にあって、自分が感じるものだと思っています。

僕はこう考えています

交流会に参加したら
「積極的に人と関わらないとイケナイ」
とか
「ずっとスマホいじってたら怒られる」
とか
思っている人、いませんか?

僕はそうは思いません。

しゃべりたければしゃべればイイし
スマホいじりたければスマホいじればイイと思っています。

そして実際、僕はそうしてます。

先日の交流会では
結果的に
2時間くらいいて
そのうち1時間くらいは
1人の素敵な女性と話してました。
相手が楽しかったかどうかはさておき
僕はとても楽しかったです。

僕はこう考えています

僕の様に全員が
「他の人はさておき、自分は楽しむ」
と、思っていたら
全員が楽しい交流会になると思いました。

そうではなく
「自分が楽しいかどうかはさておき、人の顔色をうかがう」
と、全員が思っていたら
全員が楽しめない交流会になると思いました。

とはいえ

僕の様に無敵のマインドを持っている人は
以上の様な正論を実行に移せるのですが
だいたいの人達は何だかんだで人の顔色を伺ってしまうと思います。

そこでカメラという名の免罪符の登場です。

カメラマンというポジション

傍観者であることを許されるポジションだと思います。

そして
傍観者であることを活かせるポジションだとも思います。

人の輪の中に入らないからこそ
人の輪を撮ることができる
そういうポジションだと思います。

とはいえ

2時間交流会がある中で
2時間ずっと傍観者でいる必要があるわけではない

というところもポイントです。

ヒット&アウェイ
みたいなのが好きな人

輪の中にも入りたいし
一歩引いたりもしてみたい
そういう
欲張りな僕みたいな人にカメラはイイと思います。

「カメラで写真を撮る」という面白さ
だけでなく
「カメラマンというポジション」の面白さ
もあるのです。

そう、家族に対してもね。

僕は家族、特に父と母が好きです。兄も好きです。4人家族です。

そういう「当たり前」の様なことを言える様になったのは、カメラのおかげだと思っています。

僕は、今でこそベラベラしゃべる人になってますが、しゃべらない時代もありました。

しゃべればイイという訳でもないですが
しゃべることで
声に出して伝えるだけで解決する問題があったり
幸せになる人がいたりするのも事実です。

伝えたい気持ちを伝えたい人に

だと思います。

それを僕は
言葉よりも先に
写真ですることで
言葉が後から発達した感じです。

「好きだ」と紙に書いてから
その紙を「好きな人」に渡す感じです。

それは
「好きだ」と「好きな人」に言えない人でも
できる事だったりします。

「好きだ」と「好きな人」に言えない人でも
「好きだ」と書いた紙を「好きな人」の前で声に出して読むことはできるかもしれません。

これらは、同じ様で、違うことなのです。

僕は、家族を撮るのが先で、その後に家族が好きになりました。たぶん、そういう感じがします。

↑僕のフォトブック「オギシマの流儀(2)」から抜粋

で、

こういうところをみるに

僕は
「気持ちを伝えること」そのものよりも
「伝え方」にこだわりまくるがあまり、伝えられなくなる完璧主義者
な側面がある

リアル「伝え方が9割」man

なのだと思いました。

カメラは、その僕の
「行き過ぎたこだわり」

シャッター1つで凝縮し、具現化してくれる、ミラクルツールで、ベストパートナーだと思いました。

この場も利用して、カメラに感謝します。

で、

カメラやりたい女性募集します。

僕と会いたいがためにカメラやるという女性も募集します。

いつでも「どちらも」という選択を。

↑photo by takumiYANO

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