あなたはどこまで許せますか?オギシマの流儀~人間関係編~
「やめようよ じぶんがされて いやなこと」
とか
小学校などで刷り込まれた思想があるとします。
その
「じぶんがされて いやなこと」
って
人の数だけ範囲とか部分があると思いました。
それが、重ならない部分の存在を知らずして、話を進めると
「何でこんなことをするの?」
という怒りというか、憤りを覚えることになると思います。
僕は自分が怒りの感情を抱いたり、「被害者」というポジションになることにコスパの悪さだったり、「そもそも、イケてない」と考えているので、
「自分が怒るくらいなら人に怒らせる」
「自分が被害者になるくらいなら加害者になる」
と、自分にコミットしています。
怒りの感情は怒りたい人にお譲りして、
被害者というポジションは被害者になりたがる人にお譲りするという考えです。
あまりにも有名な話ですが、僕は超合理的で、自分にとってのメリットデメリットで日々の無数の選択をして生きています。
そういう僕からすると
「怒りたい人」が怒るメリットがわからないし、
「被害者になりたがる人」が被害者になるメリットがわからないのですが、
世の中には
「わからない存在」がいて
だからこそ
世界はカラフルで面白い
とも思っていて
それは「役割」だとも言えるので
「餅は餅屋」
という様に
「怒り」は「怒りたい人」にお任せして
僕は笑って生きています。
さらに言えば
僕は人生を
「どれだけ楽しいことができるか(どれだけ笑えるか)」
と、考えていますが、
人生うんぬんかんぬんとかではなく
「生きるために働く」
みたいな考えで、命(時間)を消費している人もいると思います。
人間という点では同じですが
「何を考えて生きているか?」
という点では人の数だけ考えがあり、「違い」があると思います。
例えば…
僕は「ストレス解消」という言葉や、考え方や、そういう言葉を発している人がイケてないと思っていて、なぜならば
「何でストレスがたまるような選択(行動)をしているの?」
「誰かに頼まれて(求められて)仕方なくストレスをためているの?Noと言ったら死ぬの?」
と、いうふうに考えているからです。
だから僕は「ストレス解消」という言葉はもちろん「ストレス」という概念すら脳の中にない感じです。(意味はわかります)
とはいえ「ストレス解消」という概念があるおかげで、潤っている人もいると思いますので、「世の中から消えてもらわないと困る」とまでは思いません。
「理解できないことはあるけれど、そういうこともあって世界はカラフルなんだよね」
という感じです。
なぜならば
「許せないもの」
が少なければ少ないほど
ストレスの種は少なくなるし
それ(許せないもの)は自分で決められるので
僕は「どれだけ許せるか?」みたいなところにフォーカスしていたりします。
「許せるものが多いほど、器が大きく、イケてる」
とも思っています。
そういう僕が許せないものがあるとしたら…
(以下はエグい内容なので有料です)
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